人間学を学ぶ月刊誌「致知」の今月号のテーマは「看脚下」。
「看脚下」とはなんでしょう。それは文字通り「足元を見よ」ということです。
昔中国に法演(ほうえん)という禅僧がいたそうです。
その法演が3人の弟子を連れて夜道を寺まで帰る道の途中で、一陣の風が吹き松明(たいまつ)の火が消えてしまいました。
昔のことなので街灯などあるはずもなく、あたりは真っ暗な漆黒の闇。
一行は思わず立ちすくみますが、そこで法演が弟子たちに禅の質問を放ちます。
「さてお前たち、暗い夜道を歩くには明かりが必要だが、今その明かりが消えてしまった。さてお前たちこの暗闇の中をどうするか」
この意味は、頼りとしたものが消えて思いもよらず災難に会い目の前が真っ暗になったときにどうするか、という問いでもあります。
すると一人目の弟子が「すべてが黒一色のこの暗闇は、赤い鳥が夕焼けの真っ赤な空を舞うようです」と言いますが、法演は良しとしません。
二人目の弟子が「闇の中でこの曲がりくねった道は真っ黒な大蛇のようです」と言いますが、しかしこれも法演は良しとせず。
その次に3番目の弟子の圜悟克勤(えんごこくごん)が「看脚下」(かんきゃっか)と答えました。
その意味は、「真っ暗で危ないですから、まずは足元をよく見ましょう」ということで、これを聞いた師匠の法演は「その通りである」と絶賛したということです。
何かにつけて高い理想を掲げ、遠い道のりを行こうとする我々ではありますが、そういう日常が崩れたときに、まずなすべきことは自分の足元を見よ、ということであり、それはまず自分自身をよく見ることであります。
最近、やるべきことに追われてちょっと心が疲れていた私ですが、この「看脚下」を知って、改めて心が洗われる思いがしました。
たまには古典の言葉に触れるのも良いものですね。