今日は三カ月に一度の尿管メンテナンスの日。
尿管狭窄で痛みの出た患部に9段階の太さの違う器具を段階的に入れてゆっくりと押し広げるのです。
治療を始めたころは一番太い道具を入れるのがかなり痛かったのですが、それを数回繰り返すうちに、今や一番太い器具を入れてもそれほどの傷みや違和感を感じなくなってきました。
この症状の根本原因は前立腺の肥大だ、という先生の見立てなのでそれ用の薬は服薬を続けていて、症状が落ち着いてきたのでしょうか。
医師の先生とは、「次回は内視鏡を入れて、今回のメンテナンスでどれくらい縮まらなくなっているかを見てみましょう」と言われていて、本当に症状が落ち着いてきたら三カ月に一度が半年に一度になるかもしれません。
一方この治療では効果が薄いと判断されれば次のステップに向かうことも考えられ、私としてはとにかく服薬を地道に続けつつ、あとは幸運を祈るばかりです。
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介護の勉強をしていると、「〇〇をしたから病気にならなかった」という類の宣伝文句がむなしく聞こえてきます。
それは、老化による障碍や機能の衰えはある確率で誰にでも起こりうるという事実を教えられるからです。
もちろん、健康が維持されて家族や介護施設のお世話にならないのが一番良いのですが、何かを食べ続けたからとか何かの運動を続けていたから、というのはほとんど健康に寄与する面が薄いのではないかと思います。
運動をしても内臓の病気になるかもしれないし、何かを食べ続けても関節や筋肉に痛みが出るかもしれません。
それはひとえに確率の問題で、振り返って健康であればそれは本当に幸運だったとしか言いようがありません。
もっとも、だからといって酒、タバコ、暴飲暴食を繰り返しても良いという事でもありませんが、その反対に、なにか効能のありそうな食品やサプリなどに血眼になるというのも違っているように思います。
先日耳鼻科にかかったときに耳鳴りの薬を処方されましたが、耳鳴りは波のように押し寄せてきて、薬が効いているのか効いていないのかよくわかりません。
ただ、何もなすべきことがなくて不安に思うよりも「とりあえず薬を飲んでいるから」と思うことで、なにか改善しているような気になって心に安心感が漂います。
先生に「薬が効いているかどうかわかりませんが、なにか安心感があります」というと、「確かにねえ、薬を飲んでいるから安心というプラシーボ効果だってありますからね」とのこと。
ドクターも、薬の効用の一つにプラシーボ効果による安心感を認めているのか、と思って、まあそれでいいじゃないか、と思うようになりました。
高齢者の不思議な水やサプリもプラシーボ効果だと思えば高くはないのかもしれません。
これからも一つ一つの症状と付き合ってゆくしかないのですねえ。