釧路での二日目、今日は飲み会の二次会で馴染みのバーへ行きました。
こちらのバーに関していえば、コロナがほぼ終息してお客さんも戻ってきた、とのことで喜ばしい限りですが、繁華街の末広としてみるとかなりお店が減ってきた印象です。
こちらのバーは、マスターとお嬢さんがバーテンダーとしてカウンターの向こうにいてお客からのいろいろな要望に応えてくれます。
「お店が残るにはどうしたら良いでしょうか」とお嬢さんバーテンダーが訊いてくるので、「繁華街としては衰退するかもしれないけれど、そことの差別化で『バー文化は来得ません』という路線はどうでしょうかね」というのが私の提案です。
バーって、メニューから選んだようなカクテルを作ってお終いというものではなく、バーテンダーとの会話を楽しむという事が大切です。
カクテルも会話の中で「お別れのカクテルを作ってくれますか」とか「今日は幸せだったので、楽しいカクテルをお願いします」といった謎かけをして、それにバーテンダーがどういうカクテルで返してくるかといった丁々発止のやりとりも楽しめます。
「chatGPTならレシピまでは調べて書き出すだろうけれど、それを実際にシェイクしながら作るのは人間業ですからね、おいそれとなくなることはないでしょう」
人間がその手で作ってこそナンボのものはデジタル時代にもなくなるものではありません。
さらに私からは「昭和レトロを感じさせるようなバー文化、を若者にもっと教えてあげると良いと思うんですよね。昔の釧路はこうだった、というような物語も、博物館ではなくバーで聴くというのが良いじゃないですか」
地方都市のバーは心の灯台のようなもので、そこへ立ち寄ることで懐かしさを味わえるとともに地域の情報が得られる。
するとマスターが「これ、昭和35年の末広町界隈の地図なんですよね」と古い地図を見せてくれました。
「丸三鶴屋があるでしょう、そして栄町公園もあって今と基本的な構図は変わりませんよね」
でもビルのありようやテナントの入れ替わりなど、昔の姿ではいられないのが今の現状です。
釧路も姿を変えて今日に至っています。
「ここへ来れば、博物館とはまた違った釧路の繁華街の歴史が語られるというそんな文化拠点にしてほしいなあ、と思いますけどね。
当たり前の居酒屋は消えていっても、ここならではのバー文化は消えずにいてほしいものです。
釧路の夕焼けは一瞬遅くて見られませんでした。
ChatGPTには負けない人間的要素がふんだんに盛り込まれているのがバーです。