北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

やったぜ!野球の世界一!WBC優勝!

2006-03-21 23:45:04 | Weblog
 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝を見てから実家へ向かいました。
 お彼岸なのですがお墓がちと遠いので、家族揃って実家の仏壇にお参りで許してもらいました。
 許してもらえたかな?

【王ジャパン、世界一!】
 朝からもう気が気じゃなくて、7時前にはもう目が覚めてしまいました。

 別に野球のせいばかりとは言えないにしてもどこか興奮していたのかも知れません。

 試合は11時からという話だったのに11時15分になってもまだ始まりません。なんとものどかなものですが、これが世界標準なのでしょうか。

 試合の方は、一回にヒットやフォアボールでチャンスを広げたところで、デッドボールで先制点を取るという、なにやら荒れた展開で始まりました。

 小笠原も外角の球を良く我慢してフォアボールで追加点、今江が韓国戦でのエラーを帳消しにするセンター前ヒットでなんと初回に4点を取りました。これは幸先がよい。

 しかしキューバも簡単にずるずると戦意を喪失するということにはならず、松阪が先頭バッターにホームランを打たれキューバも反撃開始です。

 その後日本の2点追加点で6-1になったときは、もう安全圏かと思われたのですが、キューバもピッチャーが渡辺(俊)に変わってからは、日本にエラーも出始めて、2点を返され、さらに8回裏には2点ホームランまで打たれてしまい、一気に土俵際まで押し返されたような気がしました。

 ところがところが、最後の役者はやはりイチロー!突き放して欲しい時にライト前への適時打を見事に打ってくれ、エラー気味で意気消沈気味の川崎もそれまでのことを全部吹き飛ばすような劇走で本塁生還!

 私は見ていてタイミング的に「アウトか!」と思いましたが、右手がしっかりとホームベースを掃いていました。これはよく見ていてくれた審判のファインプレーです。

 こうなると再び流れは日本に傾いて福留のタイムリーに小笠原の犠牲フライと畳みかけることが出来ました。

 実際生で見ていると、「もう安心…」とは思うものの自信が持ちきれませんでした。大塚がツーアウトから最後のバッターを三振に取ってくれたときには、本当に嬉しさがこみ上げてきました。

 本当に良くやってくれました。日本チームが誇らしいです。

    ※    ※    ※    ※

 今回の始めてとなる野球での世界一決定戦。どのチームも自国の威信をかけて本当に精一杯戦ったと思います。

 テレビでは、キューバの監督のインタビューが放送されていましたが、「日本はよいチームだった。おめでとう」と言った後に、「WBCではお金のためではなく、国の旗のために戦うことが出来た。自分のためでなく旗のために戦うことができた」というコメントを述べていました。

 世の中は誰でも、心を寄せて一致団結する時のシンボルとして、当たり前に旗を使います。「3人集まるところ、旗と歌の無きはなし」という言葉を聞いたこともあります。日の丸が世界の人達が見ている中で翻っているのは実に嬉しいことです。

 普段はほとんど笑顔を見せず、修験者のような風貌のイチローまでもが、まるで子供のようにはしゃいでいました。本当に心底嬉しかったんでしょうね。

 「カゴに乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋を作る人」と言われますが、みんながみんな松阪やイチローではなくて、それぞれに与えられたポジションと期待に応えたことの結集が、この世界一の称号なのですね。

 日本中に歓喜をもたらしてくれた選手とチームにもう一度お礼を言いたい。ありがとう、本当にありがとう!

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日中韓三カ国観光担当大臣会議

2006-03-20 23:13:50 | Weblog
 連休の中日です。今日休めば4連休という方もいるかもしれませんが、年度末は仕事の最終打ち合わせが多く、休めるものではありません。
 逆に根を詰める打ち合わせが多く精神的にはアップアップです。

【冬に逆戻り】
 朝から猛吹雪で北海道は真冬に逆戻りしてしまいました。朝方だけで13センチの雪が降り外は一面真っ白です。

 しかしもう雪かきをする奇特な人もほとんどいません。皆、放っておいても暖かくなればすぐに溶けると思っているのでしょう。未来に希望があれば目先の苦難も辛いとは思わないのです。

 さて、日本・中国・韓国の三カ国観光担当大臣会合の開催が、6月または7月に北海道で開催される方向で調整が進められてきたのですが、日程と場所が決まりました。

 国土交通省から記者発表もされていますが、7月1日~3日という三日間の日程だそうです。会場は、1日目の7月1日(土)が釧路市阿寒町(阿寒湖畔)に到着して阿寒湖畔に宿泊。

 2日目の7月2日(日)の午前に三カ国観光大臣会合を開催し、その後午後には富良野市経由で旭川市へ移動、夜に三カ国交流レセプションを開催し、旭川で宿泊。

 3日目の7月3日(月)は昼に札幌に着いた後、夜に北海道観光ビジネスフォーラム(大規模旅行商談会)に出席をする、という予定なのだそうです。

 この観光担当大臣会議は、この三カ国が毎年持ち回りで開催するのだそうで、その第一回が北海道ということは、北海道にとっては大変名誉な事です。それぞれの都市での受け入れ態勢も整えておもてなしの心で成功をさせたいものです。

 もっとも、不安なのが準備期間の少なさです。もれ聞くところによると中国と韓国を合わせると200人以上が来道されるという事ですし、大臣というVIPもいらっしゃるという事で警備等も含めて、準備が相当大変になりそうです。

 我々が実施する場合、国内イベントなどでも一年前から準備に入りますし、まして国際イベントともなると細かな情報のやりとりに通訳を介したりする手間もあって、二年くらいかかるという相場感を持っています。

 日本の場合観光担当大臣はわが国土交通省の北側大臣という事になるのですが、実務は観光を所掌する旧運輸省系統のラインが担当をするということになるようです。

 北海道では北海道運輸局がそのラインという事で、道庁、道観連などの関係団体を入れた実行委員会をつくり、そこで受け入れ事務を行うということですが、当然北海道開発局へもこの実行委員会への参加と協力依頼があったものです。

 我々自身は実行委員会のなかで主体的に動く事はできませんが、道庁さんや道観連などと連携して、同じ国土交通省として実行委員会の中で最大限の協力をしなくてはなりますまい。

 これは新年度第1四半期最大のイベントになりそうです。

 ちなみに、今回選ばれた釧路市、旭川市、札幌市は、「国際会議等の誘致の促進及び開催の円滑化等による国際観光の振興に関する法律」(通称:コンベンション法)における国際会議観光都市に認定されているのだそうです。

 この法律で認定されている国際会議観光都市は現在45都市で、この法律に基づいて、国際観光振興会は、これらの都市に、国際コンベンションの誘致情報の提供や、海外における国際会議観光都市の宣伝等を行ったり、国際コンベンション等の開催のための寄付金の募集や交付金の交府等の事業を行っているのだそうです。

 本当にいろいろな法律があるものですねえ。
 
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WBCでの韓国戦に勝利!後一勝をがんばれニッポン!

2006-03-19 21:17:28 | Weblog
 穏やかな日曜日は雪割り作業に最適です。この時期は至る所で雪割りをする姿が目につきますよ

【WBCの勝利】
 やった!やりました!ワールドベースボールクラシック大会で、日本チームが宿敵韓国を破って決勝進出となりました。

 午前中の雪割りも12時をめどに切り上げて、昼からはWBCの観戦です。

 しかしテレビ観戦をしようと思ったら「お蕎麦が食べたい」という奥さんからのリクエストがありました。それでは、と思いながらもテレビが気になって、気もそぞろに800gをそそくさと打ちました。

 自分ではそれなりに打ったつもりだったのですが打ちあがった蕎麦を茹でてみて、思いの外太かったのはやや意外でした。

 打っている最中は「やはり蕎麦は細い方が品があるというものだよな」などと思いながら細く打とうとしていたはずだったのですが。

 やはり気持ちを込めないと上手には打てないものだという事が改めて分かりました。

    *   *   *   * 

 さてWBCの準決勝の日韓戦ですが、両チームともなかなか点が取れずに0-0の膠着した状態が6回まで続いて手に汗を握る時間が過ぎました。

 日本はイチローや川崎などが塁を進めて良いところまでは行くのですが、最後の一本が出ずにいやな展開となりました。

 守りでは守護神上原が熱投して韓国打線を3安打に押さえる危なげない形で終始しました。今日は本当に上原さまさまです。

 しかしなんと言っても極めつけは福留選手の一発ですね。松中の闘志あふれる二塁打も打線を奮い立たせましたが、このチャンスに見事ホームランで応えてくれた福留には感激です。

 打った瞬間は私も立ち上がってしまい、ホームランと分かった瞬間には鳥肌が立ちました。

 スポーツの勝敗に一喜一憂し、たたえ合いながら悔しさを胸に秘めるという健全なナショナリズムは良い事だと思います。

 今日は勝利の美酒に酔う事にします。決勝は明後日のキューバ戦とか。後一踏ん張りで世界一に輝いて欲しいものです。

 最後にもう一度がんばれニッポン!

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口語体と文語体

2006-03-18 23:52:22 | Weblog
 年度末は様々な仕事の締め切りが迫ります。業務を委託される側だけではなく委託する側にとっても受け取りに値するかどうかをチェックして指導する大事な時期なのです。
 職場の人事異動も様相が見えてきました。4月にはいなくなる人も多いのです。後二週間ですから頑張りましょう。

【原稿の修正】
 仕事柄いろいろな報告書作成作業をお願いする事は多いのですが、ある一定の考えの下に修正を要請する事も数え切れません。

 今は自分自身が行った講演録について、講演録の確認を依頼されています。

 時間にして40分のおしゃべりは文字数にすると約1万6千文字で、原稿用紙40枚相当です。

 口頭で話した事を文章化しようとすると、改めて口語と文語の違いを考えさせられます。講演はあくまでも演じるもので、報告書は書かれるものです。

 記録とはいえ、講演録として残すには、講演で話した事が間違っていないかどうかという程度のチェックではなく、口述筆記から起こしたちゃんとした文章でなくてはならないと私は思います。

 そう考えているので講演のときも、できるだけ短い文章ではっきりと話したつもりだったのですが、話したとおりのことを文字興ししてきた文章を見るとがっかりするような下手な日本語にしかなっていませんでした。

 話していて一番まずいと思うのは、話した文章を終わらせる前に出てきた単語の説明を始めてしまう事です。そしてそのことで文章がだらだらと長くなってしまう事です。
 英語で言えば関係代名詞をどんどんつけまくるような文章です。

 これらに修正を加えようとすると、膨大な箇所の修正が入ります。

 我々もそうですが、役人が作る文章は事実を表してはいますが、読む文章として分かりやすいものにはなかなかなりません。役所の文章にも一定の文体があるということでしょう。

 自分の話し言葉を読んでいると「…ということです」表現が多く出てきます。聞いていると違和感はないのかも知れませんが、こうして改めて読んでみると目障りこの上ありません。まだまだ話し方が下手ですね。

    *   *   *   * 

 かつて国土庁の事務次官までやられたSさんという方は、「国土計画ならこの人しかいない」といわれた方ですが、この方の講演録はなんとそのまま文章にしても全く修正をしなくても良いといって評判でした。

 ある方が「どうしてあなたのお話は文章にしても修正せずにそのまま読めるのでしょうか」と訊ねたところ、「僕はその事を40年間考え続けてきたからね」と笑っていたとか。

 語りたい事を雰囲気でそのまま話すのではなく、洗練された文章として口にするというところまで磨き上げる事はできるのです。お手本がそこにあるのですから。

 下手な講演でも、修正が効くならばせめて下手な文章にはしたくないものです。 
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WBC、韓国に3連敗は許されませんぞ

2006-03-17 23:45:37 | Weblog
 こんなことがあるのか、と思うようなワールドベースボールクラシックでの、メキシコ勝利とアメリカの敗退です。野球でこんなに興奮したのは久しぶりのことです。

【三度目の正直】
 このシリーズで日本チームは二次リーグでアメリカには疑惑の判定で惜敗。また韓国にも惜敗で二連敗ということで、多くの人が決勝トーナメントへの進出の芽はなくなったものと思ったのではないでしょうか。

 しかし最後にメキシコが意地を見せて、アメリカに2-1で勝利し、この結果勝率が同じ同士では「失点率」で順位を争うというなんともわかりにくいシステムながら、どうやら日本が1勝2敗の三チームの中では一番良かったとのこと。

 試合の結果は仕事中なのでテレビを当然見られなかったために遅い時間になってから知ったのですが、「2対1でメキシコが勝ちました」と言われた時には、職場の何人もが「2点差で勝たなくちゃ駄目なのじゃないか」と思っていました。

 ところが失点をイニング数で割る失点率という計算では、「アメリカが8回2/3までに2点以上取られて負けること」が日本が決勝トーナメント進出の条件だったのだそうで、まさにそのぎりぎりのところに落とし込んだ形になったのでした。

 まずはめでたいことと、次の韓国戦での雪辱に大いに期待したいところです。

 しかし王監督も言っていましたが、同じ負けでも精神力が切れて大量得点を許しての負けではなかったので、最後にこういう結果が訪れたのだ、ということなのでしょう。

 いつのときでも諦めては行けないという見本のようなものですが、あまりにも教訓じみているようでもあります。

 もうなくすものはないとは言うものの、「3連敗は絶対に許されない」という気分も蔓延していることでしょう。気負わずに精一杯のプレーをして良い結果に結びつけて欲しいものです。

 やはり国際試合は燃えますね。日曜日はテレビを抱きながら見てしまうかも知れません。
 
 がんばれ日本! 

 



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北海道遺産は地域学の集大成です

2006-03-16 23:18:06 | Weblog
 道路の路面から雪がほとんど消えました。少しほこりっぽくなっていますが、春を感じる風が吹いています。
 コートを春用に代えました。

【改めて北海道遺産】
 北海道遺産を推進する北海道遺産推進協議会の方が訪ねてきて、改めて北海道遺産について説明をしてくださいました。

 北海道遺産は、次の世代へ引き継ぎたい有形・無形の財産の中から、北海道民全体の宝物として選ばれたもので、北海道の豊かな自然、北海道に生きてきた人々の歴史や文化、生活、産業など、多くの分野にわたっています。

 第1回選定分としては平成13年10月22日に25件が決定・公表され、また平成16年10月22日に第2回選定分27件が決定・公表され、北海道遺産は総計52件となっています。

 例えば自然では「宗谷丘陵の周氷河地形」や「積丹半島と神威岬」、歴史では「札幌苗穂地区の工場・記念館群」や「江別のれんが」、食べ物では「ジンギスカン」に「ラーメン」、文化では「姥神大神宮渡御祭と江差追分」に「アイヌ口承文学」など実に多岐にわたっています。

 北海道遺産の目下の問題は、これらがまだまだ地域にしっかりとは認識されておらず、ビジネスや名物などを生み出すような動きになっていないことです。

 それでも観光ツールとしてはロゴマークを作ったりして他との差別化に努めています。なかでも、シィービーツアーズという旅行会社が「○○と行く北海道遺産の旅」という面白そうな企画を売り出していることが特筆されます。

 小説家の選考委員に合田一道さんという方がいらっしゃいますが、「合田一道と行く松浦武四郎と天塩川の旅」が今年の夏に向けて募集されていますが面白そうですよね。

 以前には、箱館戦争(誤字ではありません)の旅などを行ってみたところ、なにげない海岸を「ここに新政府軍が上陸したのです」と解説されたり、ただの原っぱのはずが「ここが最初の合戦の場所になりました」と紹介されるだけで同行者の中には感激して涙ぐむ人も現れるほどだったとか。

 このような質の高い案内を受ける旅というのは、これからはますます人気が出てくると思われます。現状に甘んじていないで、新しい旅の形を提案するという創意工夫力こそが経済活動の源泉です。

 様々な団体がそれぞれに切磋琢磨して企画を盛り上げて欲しいものです。

    ※    ※    ※    ※

 次に話題は情報提供に及びました。
「まだまだ情報提供が不足しているのではありませんか。これからの情報提供の形も写真と文章ではなく、動画によるビデオクリップでおくることが出来ると良いと思うのですが」と言うと、
「実はもうNTTドコモさんのご協力で番組を配信していて、それをネットでもアップしているんですよ」とのこと。

「それは知りませんでした。北海道遺産のホームページにはリンクが貼られているのですね」と訊くと、
「それが、探せばリンクを探せるのですがトップ画面のわかりやすいところではありませんね」とのこと。

 実際にホームページを探してみると、確かにドコモさんのところにたどりつけると一話2分程度のビデオクリップが貼られているのですが、いかにも判りづらいところにあるのでした。これは残念。

 しかしこうしてビデオで見るとそれぞれの北海道遺産にまつわる物語やドラマが伝わってきます。自分たちの故郷を改めてよく知るきっかけとしての地域学の集大成そのものです。

 我が組織でもこれらを軽んじずに、北海道の財産として観光や地域づくりに活かしたいものです。開発局では稚内の北防波堤ドームと旭橋、小樽港防波堤、北海幹線用水路、天塩川、石狩川などが登録されています。

 ちなみにナレーションは俳優の竹中直人さんが担当してくれています。一度ご覧下さい。

 



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長旅には本を

2006-03-15 23:01:47 | Weblog
 沖縄最後の朝ですが、早朝にホテルを出発。リゾートのない沖縄というのは寂しいものです。

【沖縄から札幌へ】
 今日は札幌で午後1時半からの会議があるために、那覇空港を8時5分発の飛行機で出発し、羽田で10時50分発の札幌行きに乗り換えるという慌ただしいスケジュールです。

 天気はお日様も見える晴れなので天候不順による飛行機のトラブルもなかろうと安心して空港へ向かいました。

 予定の便に乗り込んで、滑走路へ飛行機が出発してしばらくしたところで機内放送が始まりました。
「え~、ただいま機内で急病のお客様がいらっしゃいます。機長の判断で再び駐機場へと引き返すことといたしました。お急ぎのところ大変申し訳ございませんが、ご協力の程お願い申し上げます…」

 うーむ、私の場合天気によるトラブルは少ないのだけれど、天候以外の理由で飛行機が遅れることがしょっちゅうあるのです。まあいざ自分がそういうことになったら、と考えると「明日は我が身」ということなのでしょうね。

 結局飛行機は遅れて出発し、羽田では予定の便の20分後の11時発の飛行機に振り替えて札幌へと向かいました。前の便に乗らない方が良いという何かの暗示だと思うことにいたしましょう。

    ※    ※    ※    ※

 飛行機の長旅は本が良く読めます。面白くて面白くてずっと読み続けてきた塩野七生さんの「ローマ人の物語」ですが、ついにその14巻を読み上げてしまいました。

 このシリーズは、著者が一年に一巻ずつを上梓し全15巻で完結するという予定になっているのですが、昨年の12月に発刊されたのがこの第14巻なのです。…ということは、最後の一巻を読む楽しみは年末までお預けということです。なんとも待ち遠しい限りです。

 さて第14巻が描く時代は、4世紀の初めから西暦402年までの約一世紀ですが、読んでいて切なくなるほどに、かつてあれほどの帝国を築き上げそれを守り抜いてきたローマ帝国が崩壊の一途をたどる一世紀なのです。

 著者はその理由を、北方からの蛮族襲撃の常態化や、その一方で内線による国内精鋭軍の衰退と喪失、そして他人の信仰に対して「寛容」を誇ったギリシャ・ローマ神への信仰が他の宗教に排斥的な一神教であるキリスト教の隆盛などを挙げています。

 著者はこの4世紀後半を描きながらこう言います。
「この頃になって私は、ローマ帝国の滅亡とか、ローマ帝国の崩壊とかは、適切な表現ではないのではないかと思い始めている。滅亡とか崩壊だと、その前はローマ帝国は存在していなくてはならない。存在していないのに、滅亡も崩壊もしようがないからである。と言って、分解とか買いたいとかいう表現も納得いかない。全体が解体して個々の物体になったとしても、それは規模が小さく変わっただけで、本質ならば変わってはいないはずだからだ」

「となると、溶解だろうか、と思ったりする。ローマ帝国は溶解していった、のであろうか、と」

「少なくとも宗教面では『溶解』が妥当であるように思う。なぜなら、ローマ人がキリスト教徒に敗れたのではなく、ローマ人がキリスト教徒になってしまった、のだから」

    ※    ※    ※    ※

 強大なローマ帝国にあってローマ市民と指導者層が健全であった時には、指導者層は元老院というチェック機関かつ人材養成機関との権力バランスを取りながら世間の信任を得る形で権力の正当性を保持していたのです。

 そのときには、どんなに辛い時代であっても自分たちの指導者は自分たちが選んでその指導者に政治を託す、という強い生き方が当たり前であったのです。

 それがキリスト教が台頭してきて、これをローマ皇帝が公認し国教として行く中で、皇帝に正当性を与えるものは「市民の信任」ではなく、「神の意志によるもの」という考え方の変質が起きていったのです。

 そこでは神の意志を告げる者という存在としての司教という立場が存在し、この立場が神の意志を代弁するという形で皇帝を選ぶ役回りを持つようになってゆきました。

 テオドシウス帝の時代の西暦390年に、皇帝による政治上のある判断に対して時の司教アンブロシウスは厳重な抗議を行い、結果として皇帝の側から司教に対して和解を求めるという事件が起きました。

 この700年後の西暦1077年に、イタリア中部のカノッサという町で、神聖ローマ帝国皇帝ハインリッヒ四世が法王グレゴリウス七世に対して許しを請うために三日三晩雪の中に立ちつくした「カノッサの屈辱」と呼ばれる事件が起きます。
 
 これはまさに宗教が政治の上に存在した暗い中世を代表する事件と言われていますが、その萌芽はなんとこの西暦390年に起きていたのです。

 ローマ帝国がローマ帝国でなくなったのは、自らのことを自ら選べなくなった時からなのではないか、と思うのです。指導者が判断を間違えるということはあっても、その指導者は自分たちが選ぶのだ、という自己責任のマインドを持ち続けることが出来たことが、ローマ帝国があれほども続いた大きな要因であるように思えるのです。

 現代日本に対してこのことはどの様な示唆を与えてくれるのでしょうか。

    ※    ※    ※    ※

 エピソードをもう一つ。このキリスト教の国教化の後にはそれまでのローマ神たちの像や彫像の破壊の嵐が吹き荒れます。

「『大競技場』の遺跡からテヴェレ河に向かう途中に、聖マリア・イン・コスメディン教会がある。この教会も他と同様に、四世紀末を境にローマ帝国中の公共建造物がキリスト今日の教会に変えられた例の一つだが、この教会に入ってすぐの前廊の壁面に、通称『真実の口』と呼ばれているものがはめ込まれていて、嘘をついた人は手を入れるとかみ切られるという伝説を信ずる観光客が、いつもその前に長い列を作っている」

「これは実は、古代ローマ時代の舗装街路に降る雨水を集めて、街路下を通っている下水道に流しこむためのマンホールのふたであったものなのだ。大型の円盤に彫られているのは河神の顔で、その神の口が、二千年後の今では『真実の口』に化けたというわけである…」 

 ローマは現代ヨーロッパにはまだ確かに生きているのです。

 最後の15巻の発刊が待ちきれない思いです
  
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「ツール・ド・おきなわ」というおもてなし

2006-03-14 23:50:37 | Weblog
 今日の沖縄は気温が14~15℃とのことで、前日の稚内から見るとさわやかな春の風という感じです。
 
 しかし地元の人達は「寒い~、冬に逆戻りだ~」と叫んでいます。「さわやかな気候じゃありませんか?」と尋ねると、「昨日は25℃あったんですよ!きょうはもう冬に逆戻りですよ」ですって。

 ところ変われば感じ方も変わるんですね。

【ツール・ド・おきなわのお話し】
 午後1時半からNPO法人であるツール・ド・おきなわ協会の皆さんやツール・ド・おきなわ実行委員長のMさんたちとお会いして、ツール・ド・沖縄のお話しを伺いました。

 ツール・ド・おきなわは今年が18回目と言うことで、北海道が行っているツール・ド・北海道からは2年遅れで始まった自転車競技大会です。

「当時は沖縄で国体の全国一巡目が終わった頃で、スポーツで地域振興をしようという気運がすごく高まっていましたね。今でも宮古島トライアスロンや那覇マラソンなどのスポーツイベントがこちらでは盛んです」とは実行委員長のMさんです。

ツール・ド・おきなわがツール・ド・北海道と異なるのは、沖縄はコースが毎年決まっていること、イベントは土、日の二日間だけ、参加者を多く迎える参加型で行こうという指向、そのために多様なメニューを用意しているという点などです。

「ツール・ド・おきなわを続けてみて、地元に自転車乗りが増えたと言ったような波及効果はありますか?」
「ツール・ド・おきなわへの参加者は年々増えていてそれが心強いです。しかし沖縄の地元が自転車好きな土地柄になっているかといわれるとそうはなっていません。いまだに沖縄は車社会です」

「地域振興を元々目指していたのでしょうか?」
「元々そういうことで始めました。そこで地域とマスコミと我々のようなノウハウ団体の協力で始めようとしたのですが、県の補助との絡みでマスコミよりは県との結びつきが強くなりました」

「コース設定に警察の協力が欠かせないと思うのですが」
「毎年同じコースなので、その点は何とかなりますが、最初はやはり苦労しました。それでも当時の名護市長が協力に力添えをしてくれました。また当時の名護警察署長も理解して下さって本当に助かりました」

「苦労する点はどういう点ですか?」
「我々は道路を両車線完全に封鎖して行いますので、事前告知をしっかりするように言われています。しかし最近は観光客も結構多く、また観光客がレンタカーを借りてドライブすることがすごく多くなりました。そのため道路を封鎖しているところまで来て『知らなかった』ということがままあります。しかし道路の合流するところでは必ず人を立たせて車を止めていますが、これには北部市町村のボランティアが800名も参加してくれています」

「お話を聞くと美ら海水族館も連日1万人以上のお客さんがいるとかで、かなり観光振興が進んでいるように伺えますが、ツール・ド・おきなわが11月に開催される意味はなんですか?」
「昔は観光入れ込みに波があって、6月と11月はお客さんが落ち込むシーズンだったのです。それで11月に設定をしたのですが、結果としては一年で最後のレースということになったので『一年の締めくくりは沖縄で』を合い言葉にして宣伝しています。しかし最近はこの6月と11月に修学旅行などを入れてくるようになり、あまりシーズンオフという感じではなくなりました。北部は観光で地域振興がされてしまったのかな、と思うこともありますよ」

「運営していて気付いたことはありますか?」
「やはり国際力をつける方が良いと思います。また海外も欧米を相手にするのか、東アジア圏内でのアジアサーキットという位置づけにするか、といった変化の方向が有り得ると思いますね」とのこと。

 こちらには宿泊所としてリゾートホテルが数多くあるので、参加者が来ても宿泊に困ることはないようだ。

「これからは少し高級路線にも挑戦してみようと思うんですよ。宿泊のレベルを上げるとかね」
 参加者も団塊の世代が増えて来つつあるという。沖縄はこういう世代を取り込むのにやはり熱心だ。観光を主産業にしなくてはならない地域の熱意の表れなのかも知れない。

 北海道が観光にかける気持ちは、沖縄のそれに遙かに及ばないように感じた。切迫感というか熱心さというものの差でしょうか。

 
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稚内から沖縄まで

2006-03-13 23:48:49 | Weblog
 稚内からの深夜バスで札幌到着は朝の6時。一度家に帰ってから出勤です。ふー。

【沖縄へ出発】
 今日から2泊三日で沖縄への旅です。目的は自転車ツアーを北部の地域振興策として用いているツール・ド・沖縄のお話しを聞くことです。ツール・ド・北海道にとっても参考になりそうです。

 早朝に札幌に着いたので一度家で着替えを取り替えてから出勤。日程調整やらメールチェックを終え、なんだかんだでもう昼近くになり空港目指して出発です。

 今回は羽田で乗り継ぎの沖縄への旅ですが、那覇空港へ降り立ったのが18時半のこと。ホテルには19時過ぎに到着です。

 夕べの23時出発のバスから見ると、今日のうち約12時間以上をひたすら移動に費やしていた計算になります。

 それにしても稚内から札幌までの時間が、職場から那覇までとほぼ同じとはね。今日は那覇入りまでの一日でした。
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稚内で都市再生とまちづくりを語る

2006-03-12 23:46:31 | Weblog
 パソコンに触れることの出来ない環境が4日間続く出張でした。移動距離はどれくらいでしょうか。
 疲れました~。

【稚内市都市再生セミナー】
 午後1時半に稚内駅に到着するスーパー宗谷で稚内へ向かいました。途中の音威子府当たりからは吹雪模様でちょっと不安になる天気の中、汽車は宗谷丘陵の中を蛇行して北上するのでした。

 汽車で稚内駅に降り立つのは何年ぶりのことでしょうか。おそらく高校三年生の冬休み以来でしょうから、約30年ぶりのことです。駅が小さく感じたのは自分が大きくなったからに違いありません。

 さて今日は稚内市が年に一度主催する都市再生セミナーです。現在稚内市では駅前地区で再開発事業を計画していて、これにはTMO、バスターミナル、JR稚内駅との接続なども計画されています。

 まさにこれまでなかなかやれなかった市街地中心部の大改造ですが、周辺の既存商店街の疲弊も著しく、現状を打破する最後の挑戦といっても良いでしょう。まさに稚内の将来の命運をかける事業になるのです。

 今日のセミナーは、そんな再開発事業を前にして関係者が一堂に集まってもう一度意識を共有することを目的として開催されるものです。

 午後二時に始まったセミナーは基調講演として私が掛川のお話なども含めて、まちづくりに関するお話しを50分ほどしました。普段は滅多に時間をオーバーすることもなくぴたりと収められるのですが、今日は講演の冒頭でネタふりとして幼い時の稚内の思い出を語った分の5分をそのままオーバーしてしまいました。

 内容はいつものことですが、「稚内らしさとは何なのでしょうか?」、「稚内学というものを作り上げてみては?」、「(探検家にして間宮海峡の発見者である)間宮林蔵って地域でどういう存在ですか」といったことから地元オリジナルの発見が自分たちの再認識と、他に代わりようのない自分たちの故郷を味わって欲しいというメッセージを送りました。

 後半のパネルディスカッションでは、パネリストの一人のS先生から「町の活性化には4つの鉄則があるんです。①(バリアフリーも含めた)デザイン、②企画、売り込みというプロモーション、③組織をどう作るか、④街なか商店の経営努力と再生、の4つです」とのこと。なるほど、わかりますねえ。

 同じくパネリストの横田市長さんからは「稚内には隠れたポテンシャルがあるんですよ。商業統計を見てみると、一人当たりの小売りの額は人口10万人のそれと同じくらいなのです。これは人口4万人の稚内だけではなく周辺からの流入もあるのかな、と思いますが、いずれにしてもこのお客さんを旭川や札幌に出さない工夫が必要です」

 S先生からはさらに「街なか再生が絶望的な町も確かにありますが、稚内は市立病院がまだ街なかに頑張って残っていますよね。これが大きいと思うんです。病院が移ってしまっては活性化するのは難しいんです」とも。

 最後に横田市長からもう一言。
「稚内学というのは良いですね。今年の2006年というのは、実は間宮海峡が発見されてから200年なんですよ。生涯学習では掛川の榛村さんになかなか及びませんが、これからも地元の歴史なども地域の誇りに繋げて行きたいですね」
 
 思い出したが横田市長さんは、文科省の進める全国生涯学習市町村協議会の副会長を務めていただいているのでした。これからも生涯学習を是非進めていただきたいと思います。
 これからも大いにお手伝いさせていただきます。

    ※    ※    ※    ※

 さて、明日の月曜日からはなんと沖縄出張。夜遅くまで稚内市内の面白い人達と飲んで過ごしたけれど、少しでも早く帰るために翌日の飛行機ではなく深夜バスで札幌まで向かうことにしました。

 稚内から沖縄までの旅です。「稚内から石垣まで」なら都市再生のキャッチコピーになるのですが、ちょっと距離が足りなかったよう。

 それでもかなり疲れそうです。ではおやすみなさい、ZZZ…

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