先日、札幌である教育関係者とお会いしました。
学力低下問題でとかく批判の対象となる学校や先生ではありますが、その実態はかなり大変。
先生は大学では授業の仕方だけを学んで卒業し、多くはそのまま教師の世界へと飛び込んできますが、「実際の学校における教師の仕事とは、1/3が授業、1/3が丸つけや成績評価、打ち合わせなどの校務、そして残りの1/3が親やPTAとのコミュニケーションなんですよ」と言っていた知人のお話を思い出しました。
最近の小学校での出来事で興味深かったのはスキー授業のこと。
「若い先生の世代に、青春時代にスキーをやらずにスノーボードで育ってきた先生が多いんです。だからスキーを子供たちに教えられないということが増えています」
「そ、それは困りますね。子供たちにスノボを教えるわけにはいきませんよね」
「やはりスノボは危険ですからね。実は札幌市でも、一時期父兄からスキーセットを揃えるのが経済的に負担だとか、スキー学習で山へ行く費用負担の問題だとかで、スキー授業をやらない学校が増えた時期があったんです」
「本当ですか!?」
「はい、私たちが子供の時はもちろん100%ありましたが、それが30%くらいしかやらない、なんて時期が十年くらい前にありました。それでどうなったかというと、スキーを知らない世代は大人になってもスキー場に行きませんよね。それではスキー場はただでさえ少子化名のにダブルパンチ、つまり地域のスポーツは地域経済を支えていた、ということに気付いたわけです」
「…」
「それを反省して、今は再びスキー授業をする学校が増えてきましたが、それでも70%くらいでしょうかね。そして今お話しした、スキーを教えられない先生という問題です」
「困りましたね。どうしますか?」
「学校の先生が全ての教科において、最高レベルの知識と経験を生徒に教えられるかというと、ある特定の分野ではそうではなくなっています。例えば『森林を歩こう』などという野外体験などでは、木の名前だとか山野草の話、豊かな動植物など森の生態系の話などは苦手な先生が多いんです。そこで、そういうときは森林や動植物の生態に詳しいガイドさんにお願いするということを始めているところもあります」
「それって素晴らしいですね。自然ガイドの方も仕事が増えることでしょう」
「効果は高いと思います。しかしながら、ガイドさんに支払う料金が、義務教育では経費として出ないのでそこは父兄による受益者負担になるというのが現実です。それを保護者の方たちが認めてくだされば良いのですが、その負担が重いということになると、そういう選択はできません」
「なるほど~」
「そしてスキー授業でもこの構図は同じです。有償でのインストラクターにお願いしようと思えば、保護者の負担が発生するというわけです」
「むむむ、ジレンマですね。しかし、『学校の先生たるもの、自分でちゃんと練習をして生徒を指導できるようになれ!』という意見もあるでしょうね。どうしたらよいでしょう?」
「私の知っている学校では、父兄の方たちにボランティアでスキー指導をお願いしているところがあります。あくまでも責任は学校が取ることとして、実際に教えてくれるのは経験も深い保護者の皆さんというわけです」
「なるほど…、しかしそれは奇特な保護者の皆さんがおられる地域とそうでないところで格差も出そうですね」
「確かにその通りです。そういう意味では各学校は、自分たちでやれることは何かを徹底的に考えて、保護者や地域の力も借りながら子供たちに良い学習環境を与えようと必死になっていますよ。」
「もしかしたら校長先生の力量によって学校経営も差がついてくる可能性がありそうですね。お話を聞いていて、学校はもう教育サービス業としての側面が非常に強くなっていることを感じました」
「はい、その通りです。しかも学校というところは極論すれば、災害や衛生、健康などを含めて、生徒さんたちの命を預かっているサービス業ではないかと思います。先生たちには健全な批判も大切ですが、どうか地域社会の皆さんも地域の学校に対して関心を深め、ご協力をしていただいて、頑張っているところに対しては良い評価や褒め言葉も与えてあげていただきたいと思います」
※ ※ ※ ※ ※
学校というところは「生徒の命を預かる教育サービス業だ」という発想は目からウロコでした。
保護者や地域社会も、学校に対して「角を矯めて牛を殺す」のではなく、温かく見守りながら連携を深めるという接し方、関わり方を学ばないといけないのかもしれません。
それにしてもアウトドアガイドは学校と組めば新たなビジネスチャンスが広がる可能性があるということもわかりました。
より質の高いサービスを適切な対価で提供し、これを支払うという形がもっと一般的になると良いですね。
学力低下問題でとかく批判の対象となる学校や先生ではありますが、その実態はかなり大変。
先生は大学では授業の仕方だけを学んで卒業し、多くはそのまま教師の世界へと飛び込んできますが、「実際の学校における教師の仕事とは、1/3が授業、1/3が丸つけや成績評価、打ち合わせなどの校務、そして残りの1/3が親やPTAとのコミュニケーションなんですよ」と言っていた知人のお話を思い出しました。
最近の小学校での出来事で興味深かったのはスキー授業のこと。
「若い先生の世代に、青春時代にスキーをやらずにスノーボードで育ってきた先生が多いんです。だからスキーを子供たちに教えられないということが増えています」
「そ、それは困りますね。子供たちにスノボを教えるわけにはいきませんよね」
「やはりスノボは危険ですからね。実は札幌市でも、一時期父兄からスキーセットを揃えるのが経済的に負担だとか、スキー学習で山へ行く費用負担の問題だとかで、スキー授業をやらない学校が増えた時期があったんです」
「本当ですか!?」
「はい、私たちが子供の時はもちろん100%ありましたが、それが30%くらいしかやらない、なんて時期が十年くらい前にありました。それでどうなったかというと、スキーを知らない世代は大人になってもスキー場に行きませんよね。それではスキー場はただでさえ少子化名のにダブルパンチ、つまり地域のスポーツは地域経済を支えていた、ということに気付いたわけです」
「…」
「それを反省して、今は再びスキー授業をする学校が増えてきましたが、それでも70%くらいでしょうかね。そして今お話しした、スキーを教えられない先生という問題です」
「困りましたね。どうしますか?」
「学校の先生が全ての教科において、最高レベルの知識と経験を生徒に教えられるかというと、ある特定の分野ではそうではなくなっています。例えば『森林を歩こう』などという野外体験などでは、木の名前だとか山野草の話、豊かな動植物など森の生態系の話などは苦手な先生が多いんです。そこで、そういうときは森林や動植物の生態に詳しいガイドさんにお願いするということを始めているところもあります」
「それって素晴らしいですね。自然ガイドの方も仕事が増えることでしょう」
「効果は高いと思います。しかしながら、ガイドさんに支払う料金が、義務教育では経費として出ないのでそこは父兄による受益者負担になるというのが現実です。それを保護者の方たちが認めてくだされば良いのですが、その負担が重いということになると、そういう選択はできません」
「なるほど~」
「そしてスキー授業でもこの構図は同じです。有償でのインストラクターにお願いしようと思えば、保護者の負担が発生するというわけです」
「むむむ、ジレンマですね。しかし、『学校の先生たるもの、自分でちゃんと練習をして生徒を指導できるようになれ!』という意見もあるでしょうね。どうしたらよいでしょう?」
「私の知っている学校では、父兄の方たちにボランティアでスキー指導をお願いしているところがあります。あくまでも責任は学校が取ることとして、実際に教えてくれるのは経験も深い保護者の皆さんというわけです」
「なるほど…、しかしそれは奇特な保護者の皆さんがおられる地域とそうでないところで格差も出そうですね」
「確かにその通りです。そういう意味では各学校は、自分たちでやれることは何かを徹底的に考えて、保護者や地域の力も借りながら子供たちに良い学習環境を与えようと必死になっていますよ。」
「もしかしたら校長先生の力量によって学校経営も差がついてくる可能性がありそうですね。お話を聞いていて、学校はもう教育サービス業としての側面が非常に強くなっていることを感じました」
「はい、その通りです。しかも学校というところは極論すれば、災害や衛生、健康などを含めて、生徒さんたちの命を預かっているサービス業ではないかと思います。先生たちには健全な批判も大切ですが、どうか地域社会の皆さんも地域の学校に対して関心を深め、ご協力をしていただいて、頑張っているところに対しては良い評価や褒め言葉も与えてあげていただきたいと思います」
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学校というところは「生徒の命を預かる教育サービス業だ」という発想は目からウロコでした。
保護者や地域社会も、学校に対して「角を矯めて牛を殺す」のではなく、温かく見守りながら連携を深めるという接し方、関わり方を学ばないといけないのかもしれません。
それにしてもアウトドアガイドは学校と組めば新たなビジネスチャンスが広がる可能性があるということもわかりました。
より質の高いサービスを適切な対価で提供し、これを支払うという形がもっと一般的になると良いですね。