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「春本番」の明るい陽射しに誘われて、いつものウォーキングコースではない道を歩いてみました~~♪
←途中にある「小道地蔵堂」~~。延命地蔵が祀られているそうです。
じっくり見たことがなかったので、今日は思い切ってのぞいてみました(笑)。
ご近所の方々は「こみち地蔵」と呼んでいますので、私もそう覚えていましたが。。。どうも違うようです(苦笑)。
『石橋山合戦に敗れ、源頼朝主従七騎は土肥椙山(すぎやま)の山中(現寺屋敷後)に難を逃れました。これを僧純海は主従を堂内の穴に匿い身をていして救います。
大庭景親の軍勢堂内に押し入り、頼朝の行方を追求するも、純海これに頑として応えず、責めせっかんの末、ついに絶命。大庭方、引き揚げざるを得なかったといいます。
暮れ近く、穴から出た頼朝が純海の無残な姿にはらはらと涙を流すと、不思議や涙、純海の唇を濡らし、上人蘇生。
かくのごとく奇跡を経て、主従七騎は房州に逃れ鎌倉で天下(政権)取り。晴れて純海の忠誠に報いる為、頼朝は寺領を与え堂宇を建立。
「小道山来潮寺(しょうどうざんらいちょうじ)」(叉、小道山頼朝寺ともいう)の称を送ったと伝えられています。
来潮寺の謂いは吉浜海岸に塩田を与えたとも云われていて、この方が説得力があります。
堂は火災で焼失し、仔細は歴史の彼方。ですが、信仰(小道地蔵再建)は今も残りその消息を伝えています。』
↑ と、湯河原町の観光協会のホームページに記されていましたので、「しょうどう地蔵」というのが本当なんですね。
このお堂のある境内には「六地蔵」があります~~♪ お揃いの、赤い帽子に赤い前垂れ~~、可愛い~~♪
以下Wikipediaより拝借。
『日本では、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像が各地で見られる。
これは、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。
六地蔵の個々の名称については一定していない。
地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道の順に檀陀(だんだ)地蔵、宝珠地蔵、宝印地蔵、持地地蔵、除蓋障(じょがいしょう)地蔵、日光地蔵と称する場合と、それぞれを金剛願地蔵、金剛宝地蔵、金剛悲地蔵、金剛幢地蔵、放光王地蔵、預天賀地蔵と称する場合が多いが、文献によっては以上のいずれとも異なる名称を挙げている物もある。
像容は合掌のほか、蓮華、錫杖、香炉、幢、数珠、宝珠などを持物とするが、持物と呼称は必ずしも統一されていない。』
← 立派な「宝篋印塔(ほうきょう いんとう)」もありました~~♪