prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「人間的自由の条件―ヘーゲルとポストモダン思想」  竹田 青嗣

2007年10月09日 | 


近代社会の原則としての「自由の相互承認」をヘーゲルにまで遡って、ヘーゲル批判から出発したマルクス、さらにマルクス批判から始まったポストモダンをひっくるめて根底的(=ラディカル)に考察・批判し、近代の原則は非可逆的であり、ポストモダンの批判は無効であることを立証する。

以後の宿題として、資本主義(=欲望の追求の自由)が人の自由を否定するアポリア(難問)について、著者がどういう形で問題を終結させるかに期待。

「本当の自分」の現象学  山竹 伸二

2007年10月09日 | 


「本当の自分」とは何かを問うのではなく、現象学の本質観取によって、なぜそういうものを想定したくなるのか、を問い詰め、自由に生きられる楽しさとともに苦しさも引き受けなければいけない近代人のあり方を明らかにする。

蜃気楼を追うような自分探しても、そんなものはないのさと一刀両断するニヒリズムとも違う、「自己了解」の意義と価値に目を開かされる著。なぜ精神分析は色んな説が増えていくばかりでちっともまとまらないのか、という説明にも納得。

「悪童日記」 アゴタ クリストフ

2007年10月09日 | 


第二次大戦中の東欧の僻地で繰り広げられる戦争の狂気と前近代的な土俗性がまざった悪夢のような世界なのだが、すべて「ぼく」ではなく「ぼくら」という人称で描かれることで、おとぎ話のような透明感と非現実感と黒いユーモアとが常に張り詰めている。

モチーフはコジンスキー「異端の鳥」とも共通するが、ユーモアとふてぶてしさがあるのが大きく違うところ。

「キヤノン特許部隊 」 丸島 儀一

2007年10月09日 | 


特許というとそれでロイヤリティーを稼ぐことが目的のように思われてしまうが、本当の目的は他社が持っている特許技術を利用するための駆け引きのカードとして使い、最終的に優れた製品を作って売って儲けるというの本来の目的と説く。
巨人ゼロックスを初め、早くからアメリカに乗り込んで渡り合ってきた経緯も興味深い。

「時間はどこで生まれるのか」 橋元 淳一郎

2007年10月09日 | 

素粒子(ミクロ)の世界では時間というものは存在せず、光子から見たら(?)時間も空間も存在しない、という指摘に、そういえばそうだな、と思う。「時間」の中に生きていることが生物の存在のあり方そのもの、という発想は偶然だろうが最近読んだ「生物と無生物のあいだ」と共通している。
ここではハイデガーの「世界内存在」と「現存在」との関わりで説明されたりしている。理系と文系といった垣根が

「第五の権力 アメリカのシンクタンク 」 横江 公美

2007年10月09日 | 


シンクタンクが税制で優遇される条件としての中立的研究機関であるという建前と、政権内部に出入りする人材提供機関として抱え込む政治的バイアス、またそれ自体経営として成り立たせるためのメディアへのアピールなど、多くの側面に目配りが効いた著。
聞きなれない、または略された(AEIなど)組織名が多いので、巻末にまとめて索引をつけてくれるとありがたかった。

「ラヴェンダーの咲く庭で」

2007年10月09日 | 映画
イギリスの田舎で二人暮らししている老姉妹(ジュディ・デンチとマギー・スミス)のところに、ダニエル・ブリュール扮する英語のわからない青年が漂着する、というところからアブない展開になるのかと思ったら、まるで違う方向に行く。原作だと姉妹は40代だというけれど、年食ったからといって老名女優たちは水気たっぷりだものね。上品なところがいいとも言えるけれど。

ブリュールの正体が明かされていくところで政治的なものが絡んでくるのかと思ったら、これまたハズレ。
あれだけのバイオリンの腕をどこでどう身につけたのか、というのもよくわからない。わからないのが魅力になってればいいけれど、ちょっと違う。

イギリスらしい風景・衣装・調度などは魅力的。
(☆☆☆★)