prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
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「沈まぬ太陽」

2009年11月16日 | 映画
会社というのは利潤を追求するもののはずなのだが、その割に不合理な理由で動くものでもあるらしい。懲罰人事というのは当人の損になるのはもちろんだが、会社にとっても「得」になるものでは本来ないはずだ。

話はとぶけれども、宮崎駿も東映動画組合のれっきとした活動家だったわけで、いろいろあって辞めて徳間書店に拾われて、ご存知のようにメガヒットを連発するようになってから、あれだけのヒットメーカーを逃して惜しくありませんかと記者に聞かれた東映動画幹部が、「冗談じゃない、あいつを追い出すにはそれは苦労したんだ」と答えたという。
なんか問いと答えが噛み合っていない気がするが、こういう幹部連中にとっては社員が能力を発揮して会社が利潤をあげるより、社内の「秩序」つまりは自分のよりどころを守る方が優先するのだろう。

映画でも幹部連中の会社より自分の小さなプライドを守ろうとするセコさがよく出ていて、うんざりする。ああいう奴ら、いるよ。山本薩夫の社会派映画だと悪役がそれなりのスケールと魅力があることが多かったけれど、今の日本人の身の丈に合ったセコさともとれる。

この映画でも香川照之扮する運動家が左遷人事でまったく何もするところのない部署にまわされてかといって会社にずっといなくてはいけない蛇の生殺しのような目に会うけれど、いじめて会社を辞めさせようとする陰険さはバブル崩壊後のリストラにも、国鉄民営化の時の国労員の扱いでもいくらも見られたことだ。もちろん、今でも。

なぜ主人公が会社を辞めないか、という点について「シナリオ」誌に載った桂千穂の指摘によると、主人公が息子に語りかけるセリフで、昭和20年8月15日の終戦日の真っ赤な夕日を見て、最初から車輪を捨てていく特攻隊の姿を思い出し、無責任にいい加減な嘘を押し付けてくる国の連中のことは信じるまいと誓ったというのがあったという。つまり、御巣鷹山の犠牲者というのは、国の無神経と傲慢と怠惰の産物という意味で大東亜戦争の戦死者とだぶるし、ラストの雄大な夕陽にもつながってくる、ということ。
ただし、これが完成した映画ではカットされているからわからなくなっているというわけ。

日本航空がモデルになっているのは周知だけれど、わざわざこの映画に対する批判を社内で展開しているらしい。バカじゃないか、と思う。原作も映画も事実ではなくフィクションと断っているのだから、うちは関係ありませんととぼけていればいいだけの話だろう。それをわざわざうちがモデルですと名乗り出て藪をつついて蛇を出しているのは、むしろ社内の異分子を炙り出して踏み絵を踏ませる道具にしているのではないかと邪推したくなる。もっとも、会社側だけでなくて組合側がそういう真似をすることがあるのが珍しくないから、ややこしいのだが。
(☆☆☆★★)


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