エンドタイトルで、ナチやヒットラーについて聞かれた一般市民たちがてんでとんちんかんな答えをする映像が並ぶ。
「ヒットラーなんか知らないよ」というフランス映画が作られたのが1963年で、もう50年近く前だ。日本ではドイツでは立派に戦争を語り継いで戦争責任を果たしているかのごときヨタが信じられていた時期があったが、乱暴に言えばまあ日本と似たりよったりだろう。
ヒットラーの虐待された父親に対する憎悪がキーになっていて、それが嵩じたあげく父の父はユダヤ人だなどと口走る。だったらヒットラー自身がユダヤ人ということになるわけで(実際にささやかれている、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」でも出てきた設定ですね)、つまりナチとユダヤ人をある程度相対化している。監督がユダヤ人だからという立場があるから逆にそうできたとも思える。
主人公の息子が父親に対して反抗的なのも同じモチーフにつながっている。
また、ユダヤ人もパレスチナで何をしているのか、虐げられてばかりいるわけではないだろうという認識が一般化したせいもあると思う。
ただし相対化によるヒットラーの喜劇化までは成功しているけれど、一方で全体主義社会と民族差別は相対化しきれるモチーフではなくて、強引に形としては整った結末をつけたという印象もある。
「イングロリアス・バスターズ」もだが、最近あまりヒットラーが似ていない。なじみがなくなったのだろうか、似てなくても通っちゃうみたい。
勝手な想像だが、ナチの魅力というのはかなりの程度制服や武器、行進の形式美にあるわけで、ヒットラーというのはどうもあまり美的に見えない。チョビヒゲはやしたチビで、一番格好悪くて、だから作り手もこだわらなくなっているのではないか。
(☆☆☆★)