時代設定は1957年で、よく時代色を再現しているので感心していたら、韓国で撮影されていたのでした。昔の日本の風景を韓国で再現するとは、なんだかふさわしいような気がする。セットだからどこだって関係ないというものでもないだろう。
もっとも「パンパン」という言葉にせりふのやりとりの中に注釈を入れるくらい時間が経ってしまっているわけだが、清張作品には高度成長に乗れた者と乗り損ねた者との格差みたいなものがあって、しかも殺されるのは乗り損ねた方。
いい思いをしている側がうしろ暗い過去を知られるのを恐れての犯罪、というのが「砂の器」にも通じるパターンで、バブル期くらいだったら古くさい感じが強かったのだろうが、ぐるっと巡ってまた高度成長前に戻ってしまったような観のある今の日本ではまたリアリティを獲得しなおした観がある。
大岡昇平は清張作品を「ひがみ根性の文学」と評したけれど、ひがみ、ねたみ、そねみといったマイナスの感情は「豊か」になっても後ろめたさという形で生き続けるのだろう。
ニコラス・ローグの「赤い影」から抜け出たような赤いコートに身を包んだ犯人のイメージが写る三面鏡の使い方や、ガラスに押し付けられた死人の顔の気味悪さなど、殺し場の演出が存外冴えている。
新聞記者が出てくるのだが、腕章にしっかり「朝日新聞」とある。製作委員会に名を連ねているのだからフシギはないが。
広末涼子がスカーフの巻き方からして50年代の感じを出している。
推理ドラマとすると解決編がちょっとばたばたしてペースが乱れる。
ラストで現在の銀座が出てくるので野村芳太郎版の「八つ墓村」みたいになりはしないかとぞっとしたが、さすがにもっとセンスいい使い方。
(☆☆☆★)
本ホームページ
ゼロの焦点 - goo 映画
もっとも「パンパン」という言葉にせりふのやりとりの中に注釈を入れるくらい時間が経ってしまっているわけだが、清張作品には高度成長に乗れた者と乗り損ねた者との格差みたいなものがあって、しかも殺されるのは乗り損ねた方。
いい思いをしている側がうしろ暗い過去を知られるのを恐れての犯罪、というのが「砂の器」にも通じるパターンで、バブル期くらいだったら古くさい感じが強かったのだろうが、ぐるっと巡ってまた高度成長前に戻ってしまったような観のある今の日本ではまたリアリティを獲得しなおした観がある。
大岡昇平は清張作品を「ひがみ根性の文学」と評したけれど、ひがみ、ねたみ、そねみといったマイナスの感情は「豊か」になっても後ろめたさという形で生き続けるのだろう。
ニコラス・ローグの「赤い影」から抜け出たような赤いコートに身を包んだ犯人のイメージが写る三面鏡の使い方や、ガラスに押し付けられた死人の顔の気味悪さなど、殺し場の演出が存外冴えている。
新聞記者が出てくるのだが、腕章にしっかり「朝日新聞」とある。製作委員会に名を連ねているのだからフシギはないが。
広末涼子がスカーフの巻き方からして50年代の感じを出している。
推理ドラマとすると解決編がちょっとばたばたしてペースが乱れる。
ラストで現在の銀座が出てくるので野村芳太郎版の「八つ墓村」みたいになりはしないかとぞっとしたが、さすがにもっとセンスいい使い方。
(☆☆☆★)
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