1963年、つまり半世紀前に閉鎖されたアルカトラズ刑務所に収容されていた囚人たちがなぜか現代のサンフランシスコに当時のままの姿で現れる。女刑事とアルカトラズを研究しているオタク学者、腹に一物あるFBIによる追跡と、昔のアルカトラズで繰り広げられていた囚人や看守たちのドラマとがカットバックされる趣向。
ただの囚人ではなく、アメリカ史上最も凶悪な連中が収容されていたというのが売りではありますが、凶悪というなら今の犯罪者の方がイメージとしては凶悪で理解不能ではないかという気はする。
J.J.エイブラハムズ製作によるドラマとしては「LOST」に近い構成だけれど、最近のアメリカ製ドラマってずいぶん語りが高度になった。
「LOST」みたいにフラッシュバック、フラッシュフォワード(というのをそのままタイトルにしたドラマもあった、シーズン1で打ち切りになったが)を駆使するもの、「ダメージ」みたいに過去と現在とがカットバックされて同時進行するもの、1960年代だったらアート・フィルムの技法だったものがエンタテインメントの手法として消化されている。
単純に違う場面を交互に次々に見せて気をそらさないという狙いもあるだろう。「CSI」では二つの特に関係ない事件が同時進行するのが普通だ。
スティーブン・キングが「IT」や「ミザリー」ではメタ・フィクションを、「シャイニング」で意識の流れをといった純文学の技法をホラー小説に持ち込んだのにも似て、アメリカのエンタテインメントの作り手の素養の厚みと胃袋の強さを思わせる。
囚人が女刑事の祖父、という都合上50年前に設定してあるわけだが、入れようと思ったら60年代のインディアンによる島の占拠事件もアル・カポネも絡めることはできるはず。しかし、謎というのはちゃんと作り手の方で答えを考えているのかと思うし、なまじ解けると白けたりする。今回の謎かけはかなり魅力的で、つかみとしては充分。
すべてはシリーズが続けられれば、ということになるのだけれど、続けるためにその場受けも狙わなくてはならず、だんだんきちんとした着地が難しくなるのが問題。日本のマンガもそのあたりは似ています。
大風呂敷を広げるだけ広げてへたる、というのはありがち、というよりそうでないのを探す方が難しいけれど、さてどうなりますか。
第3話の「児童誘拐犯 ネルソン」では刑務所長が菊の花を持っているが、クリント・イーストウッド主演、ドン・シーゲル監督の「アルカトラズからの脱出」でも菊の花が重要な小道具になっているのと関係あるのだろうか。
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