prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「危険なメソッド」

2012年11月11日 | 映画
フロイトは自分の精神分析理論を「科学」だと信じていたように描いていて、実際そう信じていたのだろうが、「フロイト先生のウソ」 なんて本が出るくらいフロイト理論で実際のエビデンスが得られた例は皆無に近いらしい。

「今夜、すベてのバーで 」に精神医学が科学だったら再現可能であり実例による裏づけがあるはずで、いろいろな理論はやたら出るけれどどれが正しいのか統一されないのはおかしい、と作者の中島らもの分身である主人公が主張するところがあるが、精神医学がどうかするとインチキくさく見られる理由もほぼそのあたりに集約されそうだ。

しかし人間の精神活動は基本的に一回性のもので、人によって全部違うし同じ人でも同じ状態のことは二度ないわけで、数学や理論物理学みたいな強固な法則をあてはめようとするのにムリがあるのも確かだ。
そういった法則性によらない「非科学的」なオカルトや疑似科学に「脱線」するのをいとわなかったのがユング、ということになる。

ベルヴェデーレ上宮(クリムトの『接吻』が収蔵されている)の庭園のスフィンクス像の傍らにフロイトが立つシーンが二度ある。スフィンクスはもちろんエディプス・コンプレックスの元になったギリシャ悲劇のオイディプスに謎(朝は四本足、昼は二本足、夕は三本足はなんだ?)をかけた相手だ。
ものいわぬ石像はフロイトがほとんど自身の理論のオイディプスが殺す実父の王のようにふるまっていて、科学的方法を絶対化し外れようとするのを自身にもユングにも許さない(そしてユングにとっては学者としては死ぬことになる)象徴のようだ。

皮肉なことにフロイトの理論の中核をなす性衝動は最も法則化が難しい性格のものだろう。それを「科学的」な(つもりの)理論で解釈しようとし続けたパラドックス。
戯曲が原作とあって台詞が勝った作りだが、映画では言葉と言葉にならないものとの葛藤という面がいくらか強くなった。

フロイトとユングのどちらが勝つというより似たもの同士の齟齬が両方に歪みをもたらす、といった感じなのは「戦慄の絆」の双子の関係をちょっと思わせる。

原作・脚色は「危険な関係」で有名なクリストファー・ハンプトン。「危険」が続くが、偶然ではないだろう。社会的な枠組と男女関係との複雑なもつれに興味がある人ということになるか。

キーラ・ナイトレイが発作を起こすとき顎を突き出してほとんど猿みたいな顔になる。実際の発作を再現したものらしいが、知らないで見たら何かにとりつかれているか人間から退行していると思われて不思議はない。
患者が後に精神科医になる、治療者側にまわるというのは、今でもあること。単に恩を返したいというのではなくて、病気のことを知ること自体が治療になるという面があるから。

衣装・美術が優雅な分、取り澄ました下の生っぽさを感じさせる。

ユングの妻がしきりと男の子を産まなければいけないというほとんど強迫観念に近い思いを持ち続けて、キーラの方は女の子をあっさり産むあたりに、この時代の女性の性的抑圧(があるからフロイトが「ヒステリー研究」を著した)から抜け出ていくのが暗示されているのではないか。
(☆☆☆★★)

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11月10日(土)のつぶやき

2012年11月11日 | 映画

今朝の毎日新聞投書欄に「政治家の攻撃的発言に不快感」と。「石原慎太郎氏も橋下徹大阪市長も相手を見くだすような乱暴な、挑発的な言葉を投げかけるのはなぜでしょう。当然備えるべき教養とにじみ出る品位が感じられません。(略)聞く人に不快感を与える言葉の乱発にはうんざりします」。同感!!

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ヴィヴァルディ チェロとファゴットのための協奏曲ホ短調RV409


あ、清盛がカムイになってる。嫁さんも一緒だ。


タスキをかけて街角に立ってハグしましょうと呼びかけるおばさんがいた。


スピルバーグ、『スター・ウォーズ』を監督する可能性はなし! 本人が明言 cinematoday.jp/page/N0047658 007でも似たような噂が立ったけれど、なんでそういうこと言いたがるかな。ドリームチームが本当に強くなるかは怪しいよ。


中国が釣魚島が今度、係争地域だって強硬に主張してきたら、そんならチベットも係争地域ですかね、って言い返してほしいところだな、野田さんに。

小暮 宏さんがリツイート | 262 RT

コピペ日記 : 松下奈緒・ルノワール描かれた愛▽名画の謎を巨匠が愛した女性との関係から解き明かす lb.to/WP9n6P


王貞治が国民栄養賞を受け取ったことが、この変な賞を権威づけてしまったなあと思う。権威づけたというか、文句言いにくくなったというか。