ジャンゴが倒す相手が最初は奴隷農場で鞭を振るっていた三兄弟かと思うとディカプリオになり、さらにサミュエル・L・ジャクソンへとずれていき、しかもその展開の間がかなり開くというのはどんなものだろうか。単純に復讐劇とするなら小悪党から大悪党へと順々にやっつけていかないと座りが悪い。一番悪いのを一人にまとめられるはずで、一番悪い奴をやっつけるところが快感になるようにすっきり構成されていないのです。1時間40分ですむ話を2時間44分かけている。
長台詞をこなすのは役者としては楽しいだろうけれど、演劇ならともかく映画で聞かされるとかなりダレます。
ディカプリオが頭蓋骨を出して見せて黒人にはこういう三つの突起があるといういかがわしい骨相論をぶつのだが、ナチスドイツの御用学者がユダヤ人の頭蓋骨の部分部分の比率を「分析」して、従ってユダヤ人は人間ではないのであるというトンデモな結論を導き出したのを思わせる。
「イングロリアス・バンターズ」製作の時のリサーチが影響しているのか、アメリカ南部にもああいう似非科学があったのか。
KKKばりの頭巾をかぶった連中が穴が小さかったりずれたりで外が見えないと文句をぶうたれあうシーン、なんで襲撃の途中にフラッシュバックされるのだろう。長くなりすぎたからまとめるためかどうか、とにかく時制の交錯はここでは意味をなさないし、アクションシーンの途中で腰を折るように入れなくてもよさそうなもの。
音楽がヴェルディの「レクイエム」なのは「バトルロワイヤル」の引用だろうか。
なんで奴隷出身のジャンゴがああ射撃が得意なのだろうね。マカロニだったらジュリアーノ・ジェンマ主演で先輩のリー・バン・クリーフにしごかれて修行するドラマがあったと思う(「怒りの荒野」)が、今回の歯医者とジャンゴの関係には主従関係を避けるのはモチーフからして当然として、先輩後輩の関係も白人黒人の葛藤もこれといってない。白人をドイツ人にしたのはアメリカ人だと主従関係を絡ませないわけにいかないからかもしれないが(あるいはクリストフ・ヴァルツにあて書きしたか)、なんだか公民権運動後の人間関係という感じ。
ディカプリオがジェイミー・フォックスとクリストフ・ヴァルスとともに自分の農園に到着するあたりの音楽が、ジェリー・ゴールドスミス作曲の「アンダーファイア」のうち「ニカラグア」(エンドタイトル)というのにちょっとびっくり。
マカロニ・ウエスタンの再生でもあるからルイス・バカロフやエンニオ・モリコーネの曲が流れるのはわかるが、ゴールドスミスの全然関係ない内容の映画音楽が一緒に出てくるとは思わなかった。単純にいい曲だからだろうか(余談だが、このゴールドスミスの傑作はポーリン・ケイルが「スクリーンで聞いた最も優れた映画音楽」と激賞している)。映画音楽家としてはモリコーネとゴールドスミスは60年代から80年代にかけて多作家の双璧だったし。
(☆☆☆★)


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ジャンゴ 繋がれざる者@ぴあ映画生活