飛行機が落ちる直前に教会の尖塔に翼をひっかけるところ、信者が祈りを捧げているすぐそばに落ちるのにも寓意を感じる。
これだけアルコール依存を克明に描いているとは思わなかったのだが、特に重要な自分の意思で飲んでいるつもりで実は自分の意思ではやめることのできないコントロール障害であることを何度も描いている。
この「自由意思」というのがどこまで人間の「自由」になるものなのか、というのが問題。アルコール依存というのは自由意思を喪失している状態で、それは薬理作用であるとともに、少なくとも初めは自分から飲みだしているわけで、どこまで自由意思というものが自分のものとしてあるのかの切り分けは難しい。大きくいって人は何物かに依存しないで生きていくことはできない、という考え方もできる。
アルコールを断つためにアメリカで結成された会AA(アルコホリック・アノニマス=無名のアルコール依存者たち)の12のステップに、
「私たちはアルコールに対し無力であり、思い通りに生きていけなくなっていたことを認めた」
「私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした」
「祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神との意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた」
といった具合に、ものすごくざっくり言って人の力には限界があって、アルコールに頼っていたのを神に頼ることに乗り換えることで解決するというキリスト教的発想があると思うし、この映画も根は一緒に思える。
よくできたドラマであることを認めた上で、この神さまが出てくるあたりの発想で無宗教者としてはどうにもいくらかの違和感を覚えるのも事実。煎じづめて言えば、クライマックスは「懺悔」ではないか。
とはいえ、人間の意思の限界についてのドラマとして依存症の問題よりもっと射程距離は広い。
たとえば公聴会前にデンゼル・ワシントンがアルコールを断つように缶詰になったホテルの隣の部屋に通じるドアがなぜか開いていて(風でドアがとんとんいうのがノックに聞こえる)、しかも冷蔵庫に酒類がびっしりというあたりはなんだか現実の出来事に思えないタッチで、神が試しているような感じもする。
飛行機事故に至るプロセスの描写のリアリティは気持ち悪くなるくらい凄い。
あちこちに映画などの引用が出てきます。
「朝のタバコの匂いはいいぜ…(勝利の匂いだ)」はマリファナまみれ映画「地獄の黙示録」、「時間通りに教会に」Get Me To The Church On Timeは「マイ・フェア・レディ」の酔いどれオヤジの歌、ジョン・グッドマン扮するヤクのディーラーの最後のセリフDark Side Of The Moonはピンク・フロイドの「狂気」の原題、エレベーターにかかっている音楽はWith a Little Help From My Friends「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド 」よりといった具合。
総じて酒かドラッグ関連の歌が多い。まあ、ロックを使ったらかなり自動的にそうなるけれど。
(☆☆☆★★)
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