ウズベキスタン側の関係者がなぜ黒沢清に自国を撮らせようと考えたのかよくわからないが、よくあるお仕着せの観光映画におよそなっていないのはウズベキスタン側にとっても正の成果だったのではないか。
もちろん実際のウズベキスタン人の意見を聞かなければわからないことだし、単によくわからなかったという答えが返ってくるかもしれない。
しかしここに先入観や生半可な知識によるイメージのお仕着せはまずないのは確かだろう。監督がまったく知らなかったのをむしろ見込んだのではないか。
マーケットの迷ってしまうような壮大さと、迷路感をもっと強調しそうだししたくなりそうなのをあっさり断ち切られる。
ディスコミュニケーションを強調するでなく、戸惑いは当然で、無理やり成長物語に落とし込まない。
一種、ありがちな罠をことごとく回避していく感がある。