おもちゃは遊び相手である子供がいなかったら存在価値はないのか、それともあるのか、といったテーマは「2」に出てきていったん解決したことではないのかな。
どこかひっかかるのは、極端にいうとキャラクター・グッズとしてのおもちゃしかおもちゃとしての価値を持たないみたいな設定になってしまっていること。
子供にとっては、それこそゴミ箱のスプーン一つだって、ただの棒きれだって想像力ひとつで武器にも魔法の小道具にでもなるのではないか。
Stanley Kubrick editing Barry Lyndon, 1975 pic.twitter.com/Xv2hZoLddH
— Eyes On Cinema (@RealEOC) March 12, 2019
昭和23年のアンチ闇煙草のポスター。
— 西条昇の浅草エンタメ散歩 (@saijoasakusa) August 14, 2019
〈愛せよ官製 恐れよ闇煙草〉〈闇煙草は懲役三年 罰金五万円〉。
右上の闇煙草をくわえたパンパンガール(?)、わっるい目をしてるねえ。#昭和レトロ #昭和 #戦後 pic.twitter.com/XiG5Jqu7X6
「吉永小百合さん御愛用のおパンテー 入りました」
— 西条昇の浅草エンタメ散歩 (@saijoasakusa) August 7, 2019
昭和40年代の浅草の洋品店でのものらしいです。
おパンテー…。#浅草 #吉永小百合 #昭和 #昭和レトロ pic.twitter.com/2Jhuf97xJt
筑波大学では仮想現実の中で歩きや階段登りなどを再現する装置を開発中🚶♀️。 pic.twitter.com/y6POv5r1YN
— Sangmin @ChoimiraiSchool (@gijigae) August 13, 2019