prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「KESARI ケサリ 21人の勇者たち」

2019年08月30日 | 映画
インド映画の大作、といってもマサラムービーではなく、歌や踊りも入るが基本的にリアリズムの範疇に収まっている。

ただ、21人の兵士(と料理人ひとり)で二万の大軍勢を迎え撃つという大風呂敷な設定なのだが、いくらなんでも実話ネタということもあって至るところで大見栄を切るような演出だが荒唐無稽テイストには向かわない。

1897年のインド北部、今のパキスタンとアフガニスタンの国境付近で、イギリスの支配下にあって英軍の下部に組み込まれているシーク教徒の部隊と、敵対している現地の各部族の連合軍との「サラガリの戦い」を描く。

現地人からしてみればシーク教徒の部隊は真の敵であるイギリスの腰巾着とも見えるはずで、実際イギリス人将校に主人公はおまえらインド人は生まれついての奴隷だと侮辱される。
その侮辱に対してあくまで勇猛果敢に戦いぬくことでインド人としてあるいはシーク教徒としてのプライドを守るというのが骨子なのだが、どうしても戦う相手が違うという違和感はついてまわる。
それでも死ぬ前に一人でも多くの敵を倒してやるという奮戦にはぐっとくる要素があるのは確か。悲壮に流されすぎず、あくまで戦いの迫力に徹しきっている。

アクシャイ・クマールが「パッドマン 5億人の女性を救った男」とは髭を伸ばして 別人のようないでたちと演技で鬼神のような大奮戦を見せる。

登場人物ほとんど、イシャル・シンという具合に何々シンという名前なのにびっくりする。初めみんな髭を生やした濃い顔が並ぶもので誰が誰だかと危ぶんだが、見ているうちに見分けがついてくる。

インド人というとターバンというイメージがあるが、シーク教徒に限った話だとは知っていた。そのターバンに賭ける象徴性やプライドといったものがかなり描かれている。

大群衆シーンがCGくさくない。よほど巧妙なのか、実際にかなりの大群衆を集めたのか。最近珍しい埃っぽい大群衆シーン。
アメリカ映画だったらエンドタイトルに来る「この映画で動物は虐待していません、CGによるものです」といった断り書きが冒頭にくるのだが、闘鶏に使われた鶏はCGなのだろうか。あまりそうは見えなかったが。
もちろん人体を剣が貫くといった効果はからしてCGを使っているには違いないのだが。

やはり冒頭に「特定の宗教を批判するものではない」とタイトルが出るが、ムスリムからすれば批判的だと思うのは避けられないだろう。



8月29日のつぶやき

2019年08月30日 | Weblog