prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 3

2020年09月06日 | 山の湖


 図面が地面に広げられた。
 四方に柱が立てられ、屋根代わりにがっちり編まれた枝葉が葺かれて、雨が降っても大丈夫なようにしつらえられている。
集められているのは、次之進と兵馬と、出川。つまり、なんのことはない、初めに編成された中でいくらか指導的な立場にいた者たちばかりだ。
出川は単純に喜んでいるが、次之進は下っぱの不満が湧き起こると盾にされるのかと不安がぬぐえない。
 かといって、山を降りてどこに行けるわけもない。
「このあたりが、一番川幅が狭くなっている」
 と、圭ノ介が図の岩場が迫ったあたりを示した。
「ここに、前に仕掛けを施した」
「どんな」
「岩を削ってある」
「削ってある? どのように」
「川の流れに対して横に木を渡してはめ込めるように」
 次之進は思い返した。なるほど、苔が生えているとはいえ、不自然に加工された痕があった。
「前にここに宝を隠した時に、用意しておいたのだ」
「木を渡してどうする」
「水を堰き止める」
「なんだと」
「水を堰き止めて、その間に崖の上の宝を取り出す。漆喰で固めてあるから、手間がかかるが手早く剥がして取り出す」
 次之進は、何を言っているのだろうと思った。
「そんなにうまくいくか?」
「いくさ」
 次之進は後悔しかけていた。こいつの口車に乗って、とんでもないことをさせられそうだ。
「もし、水の重さに耐えられなくて、その堰が壊れたらどうなる」
「とうぜん、溜まった水が一度に流れ出すだろうな」
「その時、崖の上にいたらどうなる」
「押し流されて、崖からまっさかかまだろう」
 こともなげに言った。
「誰がやるんだ、そんな真似」
「やる者はいくらもいるさ。俺がやってもいい。宝を掘り出しに行く役目を務めた者は、分け前を増やすことにしたら、なり手はいる」
「水が堰いっぱいになって、あふれ出すまでどれくらいかかる」
「川の水の量にもよるが、まず一刻。長くて二刻。その間に漆喰を剥がして宝を取り出す」
少し、次之進は落ち着いてきた。
「試してみたのか」
「だから宝を隠せたのだ」
「そんな簡単にいくのか」
 堰から水があふれ出してしまったら、どう取り外すというのだろう。水の中に入って堰を壊すなどいう真似ができるとは思えない。
「簡単なわけなかろう。簡単に取り出せるのだったら、隠す意味はない。いやだったら、どこにでも行くがいい。止めはしない」
 迷っている余裕はなかった。というより、迷いを忘れるためにあえて余裕をなくしたというべきだろう。
 それから次之進は誰よりも汗まみれ泥まみれになって働いた。
すでに木の切り出しと製材は進行していたので、川に漬かっての、堰を支える岩の土台を鑿をふるってくりぬく作業を次之進は買って出た。
しかし水に漬かっての慣れない作業は疲労を倍加させる。それほど長い時間には耐えられない。
 疲労困憊して引き上げられた次之進に続いて水に入ろうとする者はなかなか出なかった。
 製材した材木が削られ組み立てられる。ほとんど隙間はない。これで堰の防水性を高めるのだろう。
 粘土の方の役目も次第にはっきりしてきた。
 地面に深さ一尺ほどの穴が掘られ、底に粘土が敷き詰められ踏み固められた。さらに溝が掘られ、中に小石が敷き詰められてる。その上で火が焚かれ、穴の内周を乾燥する。全体に傾斜がつけられ、斜め上に通気口がつけられ、下から上に空気が通るようにする。
 粗朶や小枝が敷かれ、上に薪がびっしりと詰め込まれた。
 さらにその上に粘土が積み上げられ、これも突き固められる。このあたりになると、何をしようとしているのか、だんだんわかってきた。
 さらに粘土を木槌で叩いて水分を抜き、最後にへらで丁寧に形を整えた。
 これらはすべて、圭ノ介の指導で行われた。
 もとよりこのあたりは山が険しく、山間部の民は平野部とでは没交渉だったので、土をいじるのは農民出身が多い雑兵にも経験はあったが、山で炭を焼くのは誰にとってもまったく未経験だった。
(こいつ、どこの出身だ)(どこに住んでいた)
 と疑ったのは、次之進だけではなかった。
 圭ノ介は保存されていた火を小枝に移し、さらにその小枝を溝に突っ込んで底に敷かれた粗朶に移す。
 辛抱強く息を吹き込みあるいは粗朶の位置をあれこれ突付いて動かしているうちに、やがてぶすぶすと粗朶と小枝がくすぶりだした。
 火はやがて薪に移ったが、十分に空気がないのですっかり燃え尽きることはない。焦げ臭い煙が立ち昇り、やがて酸っぱい匂いが混ざってきた。圭ノ介はさらに口を粘土で塞いで狭めた。
炭を焼いている、ということはすでに誰の目にも明らかだった。それにしても、なぜ炭が要るのかは、よくわからなかった。
手のすいた者は、川で魚を捕った。森に罠を仕掛け、鳥や獣を捕らえようとする者も出てきた。干したり煙で燻したりして保存するのは、それぞれで工夫した。里から持ってきた塩は極力節約され、必要な分だけ食べる時になめるだけになった。
 それでも塩が足りないと、次第に疲労が蓄積するようになる。
「いくらなんでも、少なすぎる」
「もっと持ってこなかったのか」
 という不満が燻ったが、大きな声になるほどの元気はなかった。
 いつのまにか、重い物を持つのが大儀になったせいもあり、刀、特に長刀の類は打ち捨てられるのが目立つようになった。
 皆、次第に里心がなくなり、もう何年も山で住んでいるような気分になって、もともと薄かった主家への忠誠心はすっかり失せていた。かといって、間違っても圭ノ介に忠誠心を持ったりはしないつもりだったが、実際に圭ノ介の手足となって働くうちに、次第に従うのに慣れるようになった者も多かった。
 兵馬がその筆頭だったが、この頃になるといちいち次之進も気に病むことはなくなってきた。
 三日ほどかけてじっくり窯を冷まし、焼きあがった炭を取り出せるようになった頃、川でも土台の基礎工事が終了しつつあった。


 圭ノ介は全員を集めた。
 そして、足りない物があると訴えた。塩かと思ったら、鉄だと言う。
鉄を何に使うのか、問われた。
「その前に、どういう手順で川を塞ぐのか、教えておこう」
 と、引き直した図を示した。横幅がちょうど一番狭い時の川幅である二間ほど、縦の長さが二尺ほどの筏が川上の最も川幅の広い地点から流されるという手順になる。
「川の流れを塞ぐといっても、ずうっと塞ぎ続けることは無理だし、意味もない。崖上の宝を取り出すまでの間、水流を食い止めてくれればいい」
 木材を組み合わせて一枚の板とした頑丈な筏を、川上から流す。方向が狂わないよう筏には四方から綱をつけて、方向を調節する。そして、うまく一番幅の狭いところにはめこむように持って行き、隙間を塞ぐ必要があったら小枝、泥、葉っぱなどを混ぜて塞ぐ。完全に塞ぐ必要はない。時間を稼げればいい。
「しかし」
 次之進が異論を唱えた。
「筏を流すだけでは、上に浮いたままで、門のように縦に立って水を堰き止めるというわけにはいかないと思うが」
「確かに」
 と、図に描かれた筏の長い辺に、何やら丸い物体がつけられているさまを示した。
「これは、石や砂を詰め込んだ袋だ。この重みで、筏は川面に浮かぶのではなく、半分沈んで川底に片方の辺をこすりつけるようにして流れる。そして目当ての場所に近づいたら、浮いた部分を縄で引き、沈んだ部分を突付いて、筏を立てればよい」
「筏の片側に重しをつけるというわけか」
「そうだ」
 次之進は考えた。確かに、しばらく時間を稼ぐだけならこの程度の仕掛けでもなんとかなる気がしないでもない。
「しかし、木を組み立てただけで長いこと溜まった川の水の重さに耐えられるものか」
「そこよ」
 と、圭ノ介はつかつかと歩いて、やはり雨がかからないように木を組んで上に簡単に屋根をふいている、焼いたばかりの木炭の山を示した。
「そこで、これがものをいう」
 さらにもう一つの何かの山を示した。よく見ると、刀の山だ。
「何だ、これは」
「見ればわかるだろう」
「これをどうする」
「こうする」
 と言うなり、その一本を取って、鞘を払った。
 少し刃こぼれして錆びかけた長刀が現れた。
「手入れが悪いな」
「面目ない」
 と、頭を垂れたのは、兵馬だった。
「このように、滝が近くて湿気も多い上に、このところまったく手入れする暇がなく」
「いずれにしても、ここでは役に立つまい。森では長い刀は邪魔になるし、鳥  獣相手に刀振り回すわけにもいかない。だから、脇差はとっておいても、長いのは積んでおいたのであろう」
「まあ、もう戦はないのだから」
「いい刀ではない」
 さすがに、兵馬も苦い顔をした。
「だから何だ」
「もっといい刀を買え」
「そのつもりだ」
「よし」
 圭ノ介はもう一本、やはり長刀を手にした。
「これは誰のだ」
 しばらく、答えがなかった。
「自分の刀を忘れたのか」
 おずおずと手が上がった。いつも鼻の頭を赤くして、鼻水を出している男だ。
福助とかいったか。見るからに刀など扱いなれていない感じだ。戦に出たと称しているが、まともに戦えたのかどうか。
「忘れたままでいるといい」
 言うなり、くるりと皆に背を向け、両手に持った二本の刀を激しく打ち合わせた。青白い火花が散り、福助の刀が真ん中あたりから折れて、折れた側の刀身が皆から離れた地面に刺さった。
 圭ノ介はくるりと皆の側に向き直ると、残った兵馬の刀を両手でつかみ、ぽきりとへし折った。打ち合わせた時、すでにひびが入っていたのだろう。
福助も兵馬も、いささか気を呑まれてしまって、何も言えないでいる。
圭ノ介は手にした福助の刀の柄を止めている目釘を小柄を器用に操って外し、左手で柄を握ったまま右手で自分の手首を叩くと、次第に刀身が柄から抜けてくる。抜けてきたところで、柄をつかんですっぽり抜き去ると、鉄の刀身だけが残った。
 福助は、あれよあれよと見ている。
 兵馬の刀も同様に刀身だけになった。
 都合四本になった刀を掻き集めて、圭ノ介は歩いていく。
 皆も彼についてぞろぞろと移動した。
 厳重に屋根が葺かれ、横に板を渡して雨風をしのぐようにしてある急作りの小屋があった。
 小屋の口は狭く、男たちはわけがわからないまま押しかけたが、とても入りきらない。
 中では粘土が四角く成型され、上に二周り小さな穴が掘られて、その中に木炭が敷き詰められて火床がしつらえている。向こう側には猪のなめした皮を大きな袋状にした鞴(ふいご)が二つばかり取り付けられている。おそらく、粘土の中を空気を通す穴が開いているのだろう。鞴の口には、薄く削った木板で作った弁がついており、空気の流れを一方向に定めている。
 ほとんど目に見えないほどだったが、すでに火は熾っていた。圭ノ介が袋を挟んでいる二本の棒の取っ手をつかみ、両脇から伸縮させると、たちまち風が通って木炭の火が真っ赤に熾る。
 そこに、折った刀を放り込んだ。
「何をする」
 悲鳴のような声を出川があげた。
 みるみる折れた刀が真っ赤になる。
「鞴を吹いていろ」
 圭ノ介が命じると、福助があわてて鞴に取り付いた。
「休まず、吹け」
 福助は懸命に鞴を押した。
 ヤットコで折れた刀を取り、金槌で叩く。みるみる薄い刀身が重なって融け合わさり厚い鉄の塊になっていく。
「力をゆるめるな」
 いいかげん輻射熱に辟易していた福助は、
「新三、おまえやれ」
 と仲間に押し付けた。
「順番に押せ」
 次之進は命じた。
「いつ押すかは、俺が指示する」
 間髪を入れず、圭ノ介が命じた。
「押せ」
 新三が力の限り、ふいごを押した。
 みるみる木炭が冴え冴えと白くなるほど明るく燃え上がり、刀を貼り合わせた鉄の塊が真っ赤になり、さらに明るく光った。
再び槌が降り下ろされ、火花が飛び散る。塊は全体として丸みを帯びた棒状になり、太く尖った大型の鑿の形を帯びてきた。
「武士の魂が…」
出川が唖然とした調子で呟いた。
(何が武士の魂だ)
 次之進には一斉に皆から立ち昇った声にならないせせら笑う声が、ありありと聞こえた。
 下っぱ、ほとんど百姓と見分けのつかない侍にとっては、刀は身を守る武器以外の何物でもなく、精神性などかけらもなかった。
それだけに、いくら脇差は残したとはいえみすみす刀を取られてしまった福助と兵馬に対しては、
(間抜けめ)
 という無言の侮蔑が集中した。
 同時に自分の刀をこのまま取り上げられてはかなわない、と全員浮き足立った。
 わらわらと刀の山に取り付き、自分のを取り戻した。
 圭ノ介はそのような騒ぎも知らぬげに槌を振るい続けた。
 火床に、傍らに置かれていたいくつかの石が入れられた。木の幹を二つに割り、中をえぐった中に水をためた水槽が、圭ノ介の指示で水を持ってこられた。
圭ノ介は、その中に熱くした石を放り込んで、温度を調節する。
 頃合を見て、熱した鑿を水に一気につけ、焼きを入れた。
 水から上げると、太さは一握りほど長さは上腕部ほどもある大型の鑿が現れた。
「これを何に使う」
「岩を穿つ」
「鑿なら、もうあるだろう」
「あれでは足りない」
 次之進はややむっとした。
「だったら、初めからこれを作ればよかった。これがあれば俺が水に漬かって寒い思いをしながら岩をちまちまと削ることはなかったはずだ」
「こんなでかい鑿を、一人で水の中で操れるのか」
そう言われると、できるとは言えない。
「それに、これが要るとはあとから気づいたのだ」
「なぜだ」
「筏に組んだ木を操るのに、縄を結びつけて引っ張るだけでは人数不足だ。人力だけで流されようとする筏を引きとめようとするのは、無理がある。そこで頑丈な杭を川の横の岩場に打って、そこに縄をまわして力を分散する。その上で杭にまわした縄を緩めたり締めたりして操る」
 圭ノ介はすらすらと淀みなく説明した。あまりに淀みがないので、どこか胡散臭いのはいつものことだ。そして次之進が胡散臭いと思いながらも、協力してしまうのも常態になりつつあった。筋が通っているように思えるのに弱い、というだけではないようだ。なぜなのかと次之進にもわからない。
 とにかく、再び重労働を渋る雑兵たちを説き伏せ、岩を抉る作業とともに、杭打ちの準備が進められた。
 大型の槌は木の根っこあたりの重く太い部分を削って新たに作る。杭も同様に頑丈な部分を選りすぐって削った。硬く身が密度濃く締まり、人を斬るために作られた薄い、それも出来の悪い刀ではおよそ刃が立たない。
 文字通りおっとり刀で自分の刀を取り戻した雑兵たちも、久方ぶりに刀を手入れをしようとして、思った以上に痛んでいることに驚いた。
いかに湿気が多いとはいえ、錆が浮き出て、ひどいものになると鞘から抜くのにひっかかってなかなか抜けないものまであった。
「これはひどい」
 中には、打ち直してもらえないかと圭ノ介のところに持ってくる者もいた。名は源一。
「馬鹿を言え。俺は研ぎ師ではない」
 圭ノ介はにべもなく断った。
 それから、続けた。
「鉄はまだ足りない」
 そう言われると、持ってきた源一は浮き足立つ。もともと「敵」に武器の手入れを頼んでどうするのか、と自分でも思っている。
「何を作るので」
聞き方がどこか卑屈になってしまう。
「木を貫く心棒だ」
「心棒?」
「長い鉄の棒だ。長く細くて丈夫な棒がいる」
「何に使うので」
「筏の骨格となるのに」
「筏?」
「川を堰き止めるのに使う筏だよ」
「なんだと」
 思わず、源一が大きな声を出した。
 意味がわからず、壊すという言葉に何かとんでもないことをしようとしているという印象だけ受けたかららしい。
「大きな声を出すな」
 圭ノ介は呆れた。あまり一人一人に懇切丁寧に応対しても仕方がないとそれ以上は説明せず、後になって次之進には説明した。源一のことは次之進には話さなかった。
「鉄の棒を、木に通して一つにまとめようというのか」
「その通りだ」
圭ノ介は内心、呑み込みのよさに満足した。
「しかし、もし壊れないままだったらどうする」
「壊れるまで放っておいてもいいと思うがな」
「水が増えるぞ」
「増えるだろう」
「森が水に漬かるつもしれん」
「それがどうした。後は野となれ山となれ、あるいは湖ともなれ、だ」
「本気か」
「まさか。自然に壊れるだろうさ」
 次之進が聞いた。
「ところで、その心棒になる鉄棒を作るのに、何本刀がいる」
「五本かな」
 打てば響くように圭ノ介が応えた。
「なんとかしよう」
 次之進は口約束してその場を離れた。五本、刀を集めるといってももちろん自分のは入れない。他の者の武器を吐き出させれば、何かと有利になる。
次之進はそうはっきり考えていたわけではなく、圭ノ介はそう企んでいるだろう、その企みに調子を合わせていた方が自分にも有利に働く、何かまずいことがあったら圭ノ介のせいだ、そんな気分でいた。


 さしわたし六尺に及ぶ鉄棒を二本、それぞれ川の両岸から使えるように二本用意するとなると、結局集められる大刀すべてを注ぎ込むことになった。
一人、二人が拠出したとなると、ではなぜおまえは出さないのだ、それほど武器を手放さない理由があるのかという理屈で攻め立てて、吐き出させるのはそれほど難しくなかった。
それでも、次之進は背中に怨嗟の目が刺さるように感じた。すでに相手は持っていないはずの刀を突きつけられるような気がしたのも、一度二度ではない。
(それにしても)
 一体、乾圭ノ介という男は一人しかいないのか、と思わせる働きぶりだった。
あちらでは鍛冶を率い、こちらでは筏となる木の削り方と組み合わせ方を監督する。さらに岩場の杭打ちの位置を決め、自ら最初の槌を振るって岩を穿ち、さらにそれに合わせた太さと形の杭を決め、穴に合うよう細かく削り直す。
 次之進は主に川べりの作業を受け持った。戦の時、陣地をしつらえるのに杭を打ったり、柵を作ったりする指揮をとったことはあるので、まったく見当つかないわけではなく、次第に自分の判断で指揮できるようになったのが
 圭ノ介は主に森の中での鍛冶作業に従事し、助手に兵馬がついた。六尺の棒を鍛えるとなると、炉も焼きを入れる水槽も新しく作る必要があった。それらも、ほとんど圭ノ介と兵馬が二人でやって、他の人間は受け付けなかった。


 朝から大雨が降っていた。
 みな久しぶりの休暇に羽を伸ばしたいところだが、山の中とあって急ごしらえの小屋で雨をしのぎながら、博打をしてなんとか気を紛らわすしかなかった。板敷きの床を通してじとじとと湿気が上がってくるのを、上で火を焚いてなんとかしのぐ。
 酒もなければ、女もいない。
 博打をしても、これから大金が入るのだ、という浮かれた気分の一方で、実際の金はまったく増えも減りもしておらず、妙に現実感をなくしつつあった。
そうなると金を賭けるのが妙に空しい。
 突然、大喧嘩が始まった。
 和平という男が女の話ばかりをするのを聞いているうちに、あまり女に縁がないで過ごしてきた仙吉という男が急に腹が立ってきたからだというが、実際には原因らしい原因などない。
 大刀は持って行かれてしまったので脇差を抜いて、土砂降りの雨の中で二人の男が犬のようにいきりたって言い争う。周囲もまったく止めるようすはなく、おもしろがって遠巻きに見ている。
 次之進も見ているだけで、割って入ろうなどとはしない。
 誰も止めないので引っ込みがつかなくなった二人は、腰がひけたままちょいちょいと刀を前に突き出してみる。まったく届かないので、少しづつすり足で泥を踏み分けながら前進する。
 刀の先端が触れあった。弾かれたように二人が後方にとびすさる。
「どうしたどうした」
「度胸見せてみろ」
「やっちまえ」
 引っ込みがつかなくなった二人は、今度は思い切り腕を伸ばしてぶんぶん脇差を振り回しだした。
「イテッ」
 指が切れたらしい。
 切られた側は逆上して組み付き、二人して地面に倒れて泥まみれになった。
 人間のものではないような異様な声があがった。組み合っていた二人が離れると、地面に仰向けになって転がっている仙吉の胸に脇差が刺さっている。
 おもしろがって周囲を囲んでいた連中が、一斉に引いた。
 争いの間、圭ノ介はずっと少し離れたところで腕を組み、見ているようなそっぽを向いているような格好でいた。
 次之進がちらと見ても、出てくる気配はない。
 やむなく、次之進が前に出て、倒れている仙吉の首筋に手を当てて脈をとった。
「死んでる」
 殺した和平は真っ青になってがたがた震えている。
「どうする」
 次之進はそれだけ言って、ぐるりを見渡した。
 皆逃げ腰なのが次之進にはありありと感じられた。
 圭ノ介は、どこの世界の話だという顔で離れた場所で突っ立ったままでいる。
 出川に至っては、顔も見せていない。普段でも小屋の中でふててごろごろしていたから、まして雨の日では表に出てくるわけもない。
 自分が決めなくてはいけないか、と次之進は腹をくくった。そして、腰から大刀を抜き払った。
「押さえつけろ」
 命じると、恐怖と反発が周囲に走った。次之進が見渡しても、目を伏せて誰も従おうとしない。辛うじて、兵馬だけが目を伏せていなかった。
「押さえろ」
 次之進は今度は兵馬の目をしっかり見て命じた。兵馬は、素直に従い、和平の腕を逆に取った。
「縛れ」
 すでに抵抗をまったくやめている和平が後ろ手に縛られた。
「何するんだ」
 要蔵という先ほどまで博打で負けまくっていた男が、突っかかってきた。
「人を殺した者は、死罪だ」
「そんなもの、誰が決めた」
「そうだそうだ」
 一斉に声があがった。
 次之進はひるみそうになった。
「手が足りないんだろう。逃げないようにつないで働かせればいい」
 という声にも心が揺らいだ。
 しかし、声を励まして断言した。
「仲間同士で剣を抜いて争った者は、理由の如何を問わず死罪。そう決まっていたはずだ」
「どこでだ。斉藤家でか。そんな家は今ないじゃねえか」
「従う義理のある相手なんか、いやしないぞ」
 口ぐちに屁理屈をこねる。
 これを認めてしまったら、自分の拠って立つ立場がなくなる、と次之進は直感し、
「問答無用」
 と、大刀を振りかぶった。
 和平が弾かれたように立ち上がり、なりふりかまわず駆け出した。兵馬があわてて縄をつかもうとしたが、間に合わない。
 豪雨をついて、和平が逃げ去ろうとした時、さらに素早く駆け寄った影がある。そう思うより早く、追いついた圭ノ介の刀が抜かれて、がっという硬い物にぶつかる音とともに和平の頭が吹っ飛んだ。
 あわてて次之進が駆け寄ると、和平の頭は、首からではなく口のあたりで両断されており、下顎は胴体の方に残ったままでいた。
 一同は言葉もなく、おそるおそる和平の遺体に寄って来た。
 和平はすぐには絶命せず、全身ばね仕掛けのように痙攣して、なかなか動きが止まらない
「刀を抜いて争った者は、死罪だ」
 圭ノ介は雨で血糊を洗い流した後、ぶんと一振りして鞘に収めた。
 と、同時にぴたりと和平の痙攣が止まり、絶命する。
「文句のある者は」
 誰も言い返そうとはしない。
「小屋に戻れ。たまの休みだ。よく疲れをとっておけ」
 一言の文句もなく、全員もそもそと小屋に戻っていった。


 二人の遺体は、次之進と兵馬が穴を掘って埋めた。あちこちに動物を捕らえるために罠が仕掛けられているので、うっかり藪の中を歩き回って適当な場所を探すのも難しい。あやうく落とし穴にはまって植えてある槍に串刺しになりかけもした。
 やっと場所を見つけても、掘るそばから泥水が流れ込み、作業は難渋をきわめた。たちまち二人とも泥まみれになる。面倒なので穴は二つではなく、一つにまとめてしまうことにした。
 埋める前、さっさと穴に落とそうとする次之進を制止し、兵馬は表情ひとつ変えずに遺体から衣を剥ぎ取って丸裸にした。
「仏に何をする」
「仏になったら、服はいらんだろ」
 兵馬は平然と言い放った。
(こんなこと言う男だったか?)
 次之進は肌に粟を感じた。
 ほとんど泥水の中に遺体を押し込むようにして、なんとか埋葬を終えた。あまりに地面が柔らかくて、墓標を立てることもできない。
 早々に手だけ合わせて、その場をあとにした。
 まだ雨は降り止まない。せいぜい全身に雨を受けて、泥を洗い流す。
 二人は、辛うじて空いていた一番小さな小屋に身体を押し込むように潜り込んだ。
 次之進は火を吹いて埋もれ火を熾し、ぽつぽつと粗朶を入れて火を移す。しけっているせいか、煙ばかり出てなかなか燃え上がらない。
 兵馬が手伝うつもりか、反対側から火を吹いてくる。
「それじゃ、風が止まってしまう。こっちに来い」
 次之進は兵馬を自分の傍らに寄せた。
 二人息を合わせてふうふう吹きまくり、なんとか火が燃え上がった。
 炎に当たり、肌にしみついた湿気を乾かす。やっと人心地ついた後、しばらく二人とも狭い中、うずくまって黙っていた。
「どう思う」
 ぽつりと、次之進が訊いた。
「どう、とは何がだ」
「おかしくないか」
「おかしい、とは何がだ」
「たとえば、おまえだ」
 兵馬は答えない。
「前は、仏から平気で衣を剥ぎ取ったりしなかった」
「そうでもない」
「やったことあるのか」
「あるさ」
 次之進は思わず、兵馬のまだ幼さが残る横顔をまじまじと見た。
「本当か」
 兵馬は答えなかった。
「嘘なんだな」
「そう思いたいだけだろう。俺だって、戦に参加した」
「それで人を斬ったか」
「斬ったさ」
「嘘をつけ」
「俺をガキだと思っているのか」
「死にかけている相手にとどめを刺しただけだろう」
 兵馬はまた黙ってしまう。
「近頃、おまえ人が変わってきたぞ」
「成長したのさ」
 言ったきり、そっぽを向いている。
「あいつに取り入っても、ムダだぞ」
 まだそっぽを向いている。
「仮に宝が手に入ったとして、おとなしく俺たちに分けてくれるなどと思うか」
「思うわけがない」
「じゃあ、どうする」
「頃合を見て、殺して奪うさ」
「あいつの腕を見ただろう。そう簡単に殺せるか」
「何人か束になってかかればいい」
「誰を束ねる。誰が束ねる」
 兵馬がじろっと次之進を睨んだ。
「まだ兄貴分面したいのか」
「そうだ。あいつにくっついてるより確かだぞ」
「どうだか」
 兵馬は着物を乾かしだした。
「とにかく、あいつは俺が殺る。後どうするかは、その時のことだ」
 雨の音が静まってきた。
「できるか」
「できるさ」
 言い切ると、着物を上からぶら下げて干し、二人の間の仕切りにして、そのままごろりと横になった。
 次之進はうずくまったまま動かない。
 雨の音がいつのまにか治まっている。
 次之進もいつのまにか寝てしまっていた。
 次第に外が白んできた。
 カンカンカンカン…
 板木を叩く音が響く。
「起きろ、起きろ、起きろ」
 大声が聞こえてきた。次之進が目を覚ます。兵馬はすでにいない。
 次之進が起き上がると、枕元に何か置いてあるのに気づいた。脇差だ。
 あわてて腰にあたりを探ったら、見当たらない。兵馬が次之進の脇差を取って、首のあたりに置いて去ったのだ。
 次之進の首筋に冷や汗が浮かんだ。
(どういうつもりなのか)
 いざとなったら俺でも寝首をかけるぞということか。次之進を脅しているのか、それとも圭ノ介を殺すこともできると宣言しているのか。見当がつかなかい。
 次之進は小屋の外に出た。