prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「霊的ボリシェヴィキ」

2020年09月10日 | 映画
何かの(おそらく調理)工場跡に死に近づいた人間たちが集まって、その体験を順番に話すうちに何か地獄の窯が開いたように何者かが召喚されてしまい、地獄が現実のものになる。

大半はその体験談を話す姿で構成される、一種の百物語なのだが、それぞれの話がいわゆる怪談や怖い話といった怖がらせるのを第一義としたのとは少しずれた、世界秩序の関節を外すようなもので、さらにところどころそこにいない者の声が聞こえたりする。そこにいる全員が聞こえたのに録音はされていない、といった怪異が現れる。
もっともそれがあからさまに具体的な姿をもって現れることはなく、あくまで彼らとその周辺の世界の変容として描かれる。

長い語りによって世界が変容するあたり、ベルイマンをちょっと思わせたりする。

すごい低予算であることは容易に察しがつくが、光の変化の描出などかなり凝ったことをしている。

しかし今どきレーニンとスターリンの肖像が掲げられ、ソ連国歌が唱和されるというのはアナクロという以上の異形の光景だろう。(ちなみにソ連が崩壊した後のロシア連邦国歌も歌詞を少し変えた「祖国はわれらのもの」を使っている)
この映画の脚本監督の高橋洋は早稲田のロシア文学科の出身だが、ソ連に対するヴィジョンはいわゆる一般的な左翼イデオロギー的なものではなく、マルクスが「共産党宣言」で言うところの「ヨーロッパに幽霊が出る。共産主義という幽霊が」といううちの幽霊という言に触発されたかのような異様なものだ。

ボリシェヴィキとはもともと多数派の意味だが、革命上の党派としては急進派で数からすれば少数派で、言葉の意味の顛倒といった性格を含んでいる。
言葉の顛倒と世界の顛倒とはつながっている、というより、「言葉とは世界の影だ」(中島敦)といったヴィジョンの感がある。