大量破壊兵器などないのにあると言い張って国連の決議なしにイラク戦争に踏み切ったブッシュのアメリカの工作を知ったイギリスの情報機関の翻訳担当の女性職員が、情報をオブザーバー誌にリークした実話をもとにしたポリティカルサスペンス。
大量破壊兵器などなかったのがはっきりした現在からすると、白黒はっきりついているのが娯楽的に有利なのと、にも関わらず結局戦争そのものは避けられなかった苦みが残る。
公務員であるヒロインが、自分は国民に仕えているのであって政府に仕えているのではない、と言い切るセリフが印象的。
自分たち国民が国を形成しているのであって、政府は交換可能な、一時的に統治を任せている存在でしかないという覚悟は、むしろこの今の日本にこそ耳に痛く響く。
裁判になったら、もとより法制度自体が為政者が決めることなのだから敵の土俵に乗ること以外の何者でもなく勝ち目はないはずなのが、政府が国連決議なしに戦争を仕掛けるという違法行為を犯したらどうするのか、という弱味を突く形で公訴自体を取り下げさせる展開は、法治国家の権力はたとえそれが絶対的なものに見えようとも、政府・国は法の下にあるのであり法的公正さを抜きにしては存続しえない原則を示す。
キーナ・ナイトレイが堅い表情の中に微妙な感情表現を見せるほか、英俳優たちがアメリカとは一味違う静かに抑えた厚みのある演技を敷き詰めている。
ヒロインが台湾育ちで日本の広島で英語教師をしていたという尋問で経歴を語るところで、平和記念資料館に行ったかと聞かれて行ったと答えると、では反戦活動家かと問われるあたりぞっとした。
良心に従った行動をとると反政府的な人間であるかのようにレッテルを貼ろうとする性行は、国という権力システムの当然な帰結とも思える。
ヒロインの夫がクルド系トルコ人で、サダム・フセインに迫害されてきたにも関わらず中東人→テロリストの仲間であるかのように疑われるのもおぞましい。
一方で妻に対して、君は本当に戦争を体験したわけではない、というセリフは先進国の安全地帯で平和を語っていられる人間の弱味を突いている。
裁判所で被告が地下から急な階段を上って法廷に上っていく構造は、デヴィッド・リーン監督の1950年作「マデリーン 愛の旅路」でも見たのと同じ。