兄は調子がいいアクティブ派で、弟は消極的でネガティブ志向なので、弟が兄にコンプレックスを持つかというと弟には魔法の才能があるが兄にはないという具合にねじれている。
ベースには聖書のカインとアベルがあるのだろう。
兄弟といっても違う人間だが同じように扱わなくてはいけないようで違いが出てきてしまう、ルールとして優劣をつけても必ずしもすっきりするわけではない。
聖書でいうところの父と子と聖霊の三位一体で父は神の代理みたいな権威的な役割を負わされるわけだが、今はそういう時代ではなく、ほとんど下半身だけの姿で現れる。
下半身だけの人間というのはまあ間抜けで、キャラクターとしてちゃんと感情表現をしているのは見事なものだが、もちろん権威にはなりえず、ひたすら全人格として再会したいという欲求をストーリーエンジンにしている。
その再会が父子の和解(もとより感情の齟齬はないのだから)ではなく巧みに兄弟の和解にずれる結末は感動的。
兄が運転するすごいボロのライトバンの名前がグィネヴィアとアーサー王のお妃の名前になっているのは、聖杯を探すアーサー王気取りということか。
ベースには聖書のカインとアベルがあるのだろう。
兄弟といっても違う人間だが同じように扱わなくてはいけないようで違いが出てきてしまう、ルールとして優劣をつけても必ずしもすっきりするわけではない。
聖書でいうところの父と子と聖霊の三位一体で父は神の代理みたいな権威的な役割を負わされるわけだが、今はそういう時代ではなく、ほとんど下半身だけの姿で現れる。
下半身だけの人間というのはまあ間抜けで、キャラクターとしてちゃんと感情表現をしているのは見事なものだが、もちろん権威にはなりえず、ひたすら全人格として再会したいという欲求をストーリーエンジンにしている。
その再会が父子の和解(もとより感情の齟齬はないのだから)ではなく巧みに兄弟の和解にずれる結末は感動的。
兄が運転するすごいボロのライトバンの名前がグィネヴィアとアーサー王のお妃の名前になっているのは、聖杯を探すアーサー王気取りということか。