prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

山の湖 4

2020年09月20日 | 山の湖
 筏が組みあがった。縄で組み上げたのに加えて二本の鉄棒を両脇に通し、縦六尺、幅三間、水が漏れないように継ぎ目はしっかり泥と粘土とで塞がれている。
 岸に杭も打たれている。
 重しになる石を詰めた袋、漆喰を剥がすための鑿と槌その他、ある道具は使うかどうかわからないものも含めてすべて川岸に集められ、人間もいる者はすべてすぐ働くかどうかに関わらず、やはり川岸に集まった。
 川を堰き止めたあと、急いで滝の上に行って漆喰を剥がし、金を取り出す任に就くのは二人。剥がす漆喰の範囲からして、それ以上いても邪魔になるだけだ。この二人には、次之進と兵馬がそれぞれ名乗り出たので、すんなり決まった。何しろ、下手をしたら筏が決壊し、そのまま堰き止められた大量の水もろとも滝つぼに転落するかもしれない任なのだから、
 あと、ちょうど堰を作るあたりの岩の上に立ち、全体を見渡しながら指揮をとるのが圭ノ介。
 水を堰き止める筏を操るのに必要な人員は、両岸に十二人づつ割り振られた。出川は居場所がなくて、うろうろしている。どこにいればいいかというので、適当なところにいろと命じられて、圭ノ介の立つ岩の下にへばりついた。
 縄が筏の四隅にがっちり結び付けられた。重しもがっちり一辺にくくりつけられる。
 すでに筏の下には、コロになる細い木が三本ばかり入れられている。重しがついていても、さほど力を入れずに動かせるはずだ。
 兵馬と次之進は、それぞれ鑿と槌を持ち、命綱をしっかり腰にくくりつける。
 圭ノ介は、弓と箙とをしょい、扇代わりの大きな葉がついた枝を両手に持った。さすがに顔が上気したように赤くなっている。
「聞こえるかーっ」
 大音声で向こう岸に渡った連中に呼ばわった。
「おうっ」
 と、いう声がばらばらに返ってくる。
「声を合わせろっ」
 さらに大音声で命じたのに対し、
「おうっ」
 今度は呼吸を合わせた返事が返ってきた。
「こちらが」
 と、自分のいる側、川上から見たら右側の筏の引き止め手たちに対して、
「引く時は、こうだ」
 枝を弓手に持ち、頭の上で前から後ろに動かしてみせる。
「わかったか」
「おうっ」
「止めるときは、こう」
 と、斜め上に突き出して
「あちらが」
 今度は左側の引き手に対して呼びかけた。
「引く時は、こうだ」
 馬手の枝を、同じように前から後ろに動かす。
 それに対して、引き手たちは黙って綱を引く形を作って、それに答えた。
 同じ動作が繰り返され、全員にどの指示にどう動けばいいのか、叩き込まれた。
 縄の杭に一回し二回しされた続きが、全員の手に握られる。
「では、いくぞ」
「おうっ」
 腹の底から響く、一段の力の籠った声が返ってくる。
「流せ」
 コロに乗せられた筏が、押されて川に浮かんだ。
 たちまち流れに乗って下流に流される。急いで、全員腰を落として縄をつかむ。
 筏が重しを引きずりながら動いていく。杭に巻きつけられた縄が摩擦できゅるきゅる音を立てる。
 圭ノ介は指示を出さない。今のところ、自然に流れるままに任せているらしい。とはいえ、川の流れはともすれば筏を大きく縦向きに直そうと、周囲で複雑な渦巻きを形作る。
 やおら、圭ノ介が弓手を激しく前後に煽った。川下に向かって右側の引き手たちがいっせいに踏ん張って縄を引く。縦になりかけた筏が再び帆船の帆のように流れに向かって垂直になった。さらにじりじりと流されていくのを杭と人力で制御しつつぴたりと狭まった岩の間に嵌まるように導いていく。
 圭ノ介の両手はせわしなく合図を出し、三十人弱は懸命に今は一体になって、川の流れの力の強さに驚きながらなんとかこれをいなしかわしながら制御しようとする。
 筏にくくりつけられた重しがしばしば川底を摩った。大きな水の塊が膨れ上がって筏にぶつかり、三十人を軽々と引きずる。綱を握った手はこすれて血が滲む。
 なんとか岩場が迫った。
 岩の上に立つ圭ノ介はほとんど天に向かって踊り踊っているようで、物狂いの境地に入ったようだ。
 いよいよ目的の岩場が迫った。次之進が垂直に見るとほぼ直角に削って、筏が嵌まるようにしつらえた岩に、筏ががっとぶつかる。幅もほぼぴったり嵌まる。
 次之進と兵馬が六尺の鉄棒を持って縦六尺ほどの筏を川下から突き上げ立てると、そのまま水の勢いでみるみるたかだかと川の流れに立ちふさがり、そのまま動かなくなった。隙間から水が漏れはするが、流れてくる川の水量ははるかにそれを上回る。水は首尾よく堰き止められ、堰となった筏から下流はたちまち水が涸れ、先ほどまで轟々としていた滝の音がみるみる止んだ。止んでみると、不思議なほどの静けさが別の音のように押し寄せてくる。
 次之進と兵馬は、この時を逃さず溜まり水を蹴立てて川底にあるでおろう漆喰で固められた痕を探してまわった。
「どこに隠した」
 圭ノ介に訊くと、
「そのあたりだ」
 岩の上からちょうど川の真ん中あたりを示す。
 二人は血眼でそれらしい痕を探す。だが、水流にさらされ洗われているうちに白かったであろう漆喰も褐色に変色し、まわりの岩と見分けがつかない。
「どこだ」
「どこだ」
 水面に顔をすりつけ、それでも足りずに肘の中ほどまで減った水に顔を突っ込んで、川底に鼻をすりつけて二人は探しに探した。
「ここではないか」
 兵馬が叫んだ。
 次之進が水を蹴立てて駆けつける。
「どこだ」
「このあたり」
 手で探ってみるが、感触では区別がつかない。
「えい」
 苛立ちと気合を込めて、次之進は川底に当てた鑿に向けて槌を振り下ろした。すでに、鑿の頭が出るほどに水面は下がっていた。
 が、返ってきた手応えに次之進は、
(これは)
 と、思った。
 さんざん苦労して削っていた川周辺の岩と同じではないか。
「これは違うぞ」
 次之進は急ぎ、断じた。すでに堰の向こうでじりじりと嵩を増しているであろう水の重みと冷たさを、長いこと川の流れに漬かり身体を冷やしながら作業した次之進には、ありありと想像できた。
 次之進はすぐ鑿で少しづつ川底を突付きながら場所を探る方法に切り替えた。
 次第に離れていく次之進を見て兵馬は、
「どうしたんだ。ここだ、ここ」
 と言うが、次之進は耳を貸さない。
 手が空いた他の仲間たちが、わらわらとあるいは岩場を駆け上がり、あるいは堰の上によじ登り伸び上がって二人を見ている。
 さらに全体を岩の上から、圭ノ介が見下ろしている。
「どうした」
「何してる」
 口ぐちに応援とも非難ともつかない声が浴びせられる。
 二人は次第に焦り始めた。
「もたもたしていると、堰がもたんぞ」
「水があふれ出してしまう」
 実際は、それほど水位の上昇は早くはなかった。
 初めは、膝ほどの高さだったのが、今は腰ほどに来ている。
 しかし、それが見えない二人にとっては、今にも山のような大波が堰を破壊して押し寄せているのではないかという恐れに囚われていた。
 恐れは手元をぞんざいにする。
 岩の上から見下ろしている圭ノ介の目は、やおら背の箙から矢をとり、弓につがえて射た。矢は二人の間の岩に当たって弾け、流され去った。兵馬がその当たったあたりを慌てて鑿で穿ちだす。
 次之進は、
(何をするのか)
 と、いささか呆然として立ち上がり、圭ノ介を見上げようとした。
「あった!」
 しかし、すぐ後に続いた兵馬の声に、振り返り、川面を見下ろす。
 と、それまで顔をすりつけて見ていると気づかなかった、楕円の長径を尖らせたような奇妙な紋様がおそらく漆喰で描かれているのに気づいた。水が抜けてみると色は岩とやはりあまり変わらないが、その起伏に一定の規則があるのがわかってくる。どうやら木の葉のようにも見える形をしているらしい。
 しかし、それを確かめる暇などあるわけもなく、次之進は急ぎその紋様を兵馬とともに鑿で突き崩しにかかった。
「あった!」
 まだ金を手にしたわけでもなく漆喰の壁がごぼっと抜けた感触だけで、思わず同じ叫びが次之進の口から出る。
 震える手で強く鑿を握り直し、槌を連打する。面白いように漆喰の床が抜け、中に閉じ込められていた空気が泡になって浮かんでくる。
 二人はそれぞれに自分が開けた穴に手を突っ込んで、一握りにわずかに余るほどの大きさに長く細く成型した金の塊をつかみ出して、掲げて見せた。
 見ていた男たちから、大きな波のようなどよめきが起こった。
「見せてないで、投げろ!」
 圭ノ介の大喝がとんだ。
 次之進は一瞬、どちらの岸に向かって投げればいいのか迷った。が、迷うことはなかった。
 兵馬が投げたところに、わらわらと男たちが争って我が手に金を握り締めようとわれもわれもと飛びつき集まってくる。
 堰の向こうから乗り越えて飛び降りてくる者もいる。
 次之進の胸に、底意地悪いような喜びが湧き上がってきた。
 こちらの岸に投げ、あちらの岸に投げる。さらには調子に乗って、堰を越えて溜まった川の水にまで投げ込んだ。
 たちまち、何人もが溜まり水に飛び込み、懸命に潜水しながら放り込まれた金を探す。かなり泥がたまってきており見通しが悪い。だが、ほとんど鮒のように泥に潜り、見えるはずのない金をどうやったのか手にした者が、活魚のように水面に跳ね上がって咆哮した。
 あまりの周囲の興奮ぶりに当てられ、兵馬も図に乗ってあちこちに金を撒き散らす
 圭ノ介は怒り、
「あちこちに散らすな。一つにまとめるんだっ」
 と叫ぶが、聞く者はいない。
 その憤激ぶりに逆に煽られ、恐れ知らずになっていた二人はあるたけの金を撒いてしまい、そのうち、ついに詰め込まれていた木の葉型の穴は空っぽになった。
 次之進と兵馬自身は下帯一つなので、自分では手に持った分しか持ちようがない。
 その足元に、矢が跳ねた。
 一同は一気に冷め、立ちすくんだ。
「こ・ち・らに投げるんだ」
 圭ノ介はさらに二の矢を男たちの間を通す。誰にも当たらなかったが、全員が矢が切る風を感じた。
 静まった中さらに、ぎしっと堰がきしむ音が響く。
 いつのまにか、胸ほどの高さに、水が上がっていたのだった。
 男たちはあわてて川から上がろうとする。
 次之進はその様子をじっと見た後、手にした金をさっと圭ノ介とは反対側の岸に投げた。
「拾えっ」
 少し滑る川底に両足を踏ん張り、腹の底から声を出す。
 自分たちに向かって言われた、と思ったのか、男たちは一斉に投げられた餌に向かう犬さながらに走り出した。
 次之進はさらに隠されていた金を次々と同じ側に投げる。
 圭ノ介は走っていく男たちに矢を射掛けた。その一人の背に刺さり、そのまま二三歩走ってどうと倒れたが、誰も省みない。
 野本の里の出の、正吉改め野本正助が、川に突っ伏してそのまま絶命した。数えで十六歳だった。
 圭ノ介が岩を駆け下り、川岸に迫る。
 次之進が身構え、身に寸鉄も帯びてなくても、なんとか一矢報いたいとあたりを見渡し、倒れている正助の背から矢を強引に引き抜いた。鏃にかえしがついていたので、少しちぎれた肉がついてきた。
 兵馬は、次之進と圭ノ介のどちらにつくか迷っている。
 圭ノ介は川岸に立ったまま、やってこない。
「どうしたっ」
 いらだった次之進は叫んだ。
「なぜ来ない」
 圭ノ介は矢を弓につがえた。
 兵馬は、思わず目をつぶる。次之進もつられて身を硬くした。
 圭ノ介が放った矢が、迫ってきたと思うより早く、次之進は兵馬を突きとばし、自らも反対側に飛んだ。
 矢は二人の間を抜けて向かい岸で跳ねた。
 最後の矢を使った圭ノ介は、弓を水溜りになった川に捨てた。
「今は見逃してやる」
「こちらは素手だぞ」
「今は見逃す。二人相手に余計な手間をかけて、やっと金二本では割が合わん」」
「なぜだ」
「このまま、金を持ったまま連中が散って帰らないと思うか」
「むろん」
「どうかな」
「何が言いたい」
「自分で見てみるといい」
 圭ノ介は身を翻して岩に駆け上がった。
「また会おう」
 姿が見えなくなった。
「どういうことだ」
 呟く次之進の足元から、突きとばされて濡れネズミになった兵馬が起き上がった。
「金は」
「これだけ」
 兵馬が両手に握った分だけ見せた。
 ぎしっとまた堰がきしんだ。
「早く逃げよう」
 二人は連れ立って、圭ノ介が消えた川岸に上がった。
 岩の上に登り川面を見下ろすと、兵馬が思わず声を上げた。
 いつのまにか、堰の上限近くまで水が溜まり、澄んでいた川はくろぐろとした沼のような色に変わっていた。しかも沼のようにどんよりと淀んだ感じではなく、いつうねり出し暴れるかわからない得体の知れぬ力がそこかしこに感じられる。
 堰だけでそれら大量の水を支えているのではなく、流れ込んできた泥や木や葉っぱの切れっぱしがいつのまにか堆積し、隙間を埋め、それ自体が水を堰き止めるようになってきていた。それは男たちが塞いだのとは別に、川の流れとうねりが自ら上流の森の土を掘り崩し動かしたものだった。
 水位そのものは五尺程度しか上がっていなかったが、それによって堰から上の風景はまるで別物になっている。
 川岸は完全になくなっていた。川岸どころか、男たちが作業した岩場もすっぽりと水に漬かり、どこにも見えなくなっている。
 次之進と兵馬の二人が、堰と涸れ滝の間で懸命に立ち働いたしばらくの間に、まるで山河ひとつが丸ごと別のものに取り替えられたかのようだった。
 あまりの変わりように、二人はしばらく声もなく水辺にたたずんでいた。
「なんと」
「どうする」
 次之進は森の中にあった宿舎や身の回りのものすべてを置いてあったあたりを急ぎ思い浮かべた。
「いつ堰が壊れるかわからぬ」
「むろんだ」
「急ごう」
 と、森に踏み込み、すぐ立ちすくんだ。目の前に、石で頭を潰された異様な死体が転がっていた。