政府に不都合な公文書は一向に公開しようとしないという態度は、今現在の日本政府そのまんま。
アメリカもそうかと思うが、実際権力というのは洋の東西を問わず、政治体制を問わずそういう隠蔽を必ずするものだと認識を徹底しないといけない。
ジョディ·フォスターのグアンタナモ収容者の弁護士と、公訴する検察のベネディクト·カンバーバッチとが、立場は真逆ながら根拠になるデータがなければ法廷で戦えないと断固として黒塗り文書の開示を求めるのが興味深い。
画面のサイズは基本シネマスコープサイズ(2.35:1)なのだが、監禁されている主観に近づくシーンになるとぐっと横が狭まってスタンダード(1.33:1)ないしほとんど正方形になる。
デジタル化と共にサイズを変えるのが簡単になったせいか、
軍人は法と秩序をまず叩き込まれるというのが、本来そうあるべきなのがえてして法に反する真似をする現体制を守る方を優先させてしまうのが、きちんと筋立てだって描かれる。
アルカイダがもとはと言えばサダム・フセイン同様アメリカ側だったことも改めて思い起こさせる。
オバマ政権になっても六年間拘留が続いたというラストの字幕により、体制はそれ自体の力学で動くことが示される。