4Kレストア版とあって画質に注目したが、それ以上に音それも小さな音に耳を傾けた。
レストアに際しては撮影監督(ここではジュゼッペ・ランチ)の監修は受けるけれど、録音やミキシングの方はどうなのだろう。
ホテルの廊下でピアノの音がごく小さく聞こえた時は、気のせいかと思うくらい。
クライマックスの「第九」は対照的にかなりマチエールが荒く聞こえた。
「ストーカー」でも列車の音でわざと聞こえにくくして「タンホイザー」や「第九」を使っていたが、こういう音の処理はあまり例がない。
武満徹の、
「近ごろ人間の音に対する感性は、鈍ってきていて、とくに映画の場合、音が大きくなってきたということもあるんですけど、無神経になってきている。かならずしもドルビー・システムが悪いわけじゃないけどね。その無神経さと、タルコフスキーの感性は、対極にある」
という発言を思いだした。
上映中の場内に遠くからドルビーシステムと思しき響きが伝わってきたのが気になった。
Bunkamuraル・シネマの7Fで見たので同じ時間に上映していたのは9Fの「燈火(ネオン)は消えず」のはずだが、そんなに大きな音がする性格の映画だろうか。
テレビで見る(聴く)時も薄型が主流になっているせいかどうも響きが貧しい。サウンドバーを接続すると繊細な響きが潰れるし。
映像は最初に見た虎の門ホール(続けてシネヴィヴァン六本木)の印象と変わらない。
つまり作った直後のプリント状態を保っているということ。
おそろしくスローだがむらのない時間の流れはタルコフスキー自身の理論の実践(「刻印された時間」=Sculpting in Time)と思える。
見ている間、まったく雑念が湧かなかった。満たされていたと言うべきか。最近、珍しい。