室内シーンで広角レンズをはめこんだドアの覗き穴(和製英語だとドアスコープ、英語でpeephole)から見たみたいに撮られた丸く切り抜かれたショットがあちこちにはさまるのだが、実際にはドアも覗き穴もないのだし、どういう狙いだろうと首をひねった。
後の方のパリのシーンではこの覗き的あるいは顕微鏡的アングルの頻度がかなり減る。ヒロインの一種の主観(ヒロインも写っているのだが)として視野狭窄になっている状態を表現しているのかいなと思ったりした。
空の色を含めて明らかに作りものっぽい美術にヒロインが人造人間(それを作ったウィレム・デフォー自身がフランケンシュタインばりに顔中縫い目だらけなのだが)というのが徹底している。
ヒロインが何の脳を移植されたのかかなり後まで伏せている。これもある意味それこそ白紙で見るためだろう。
意識がイノセントなのがほとんど即非常識になるのが肉体は成熟していると相対してかなりグロテスク。
渋谷PARCOほかの展示より。