prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ポワロと私 デビッド・スーシェ自伝」

2024年02月24日 | 
スーシェのポワロは初めからポワロものを全部コンプリートするつもりだったのかとなんとなく思っていたのだが、考えてみるとそんなわけはなく、一シーズンごとに人気を見て決めていたのがわかる。

なんでそう思っていたかというと、本書のP232で書かれているようにポワロものは全作コンプリートするつもりだと2000年に初めてスーシェがはっきり発言したのが日本だったかららしい。 
先だって製作されたジェレミー・ブレットのホームズがコンプリートを目指して果たせなかったというのも頭にあったと思う。

継続が決定するまで気をもみながら他の仕事を、時に経済的事情から時に役そのものに惹かれて引き受けるわけだが、映画はともかく舞台は見ることがかなわないのは仕方ないが残念。
「アマデウス」のサリエリや「オレアナ」のジョンなど、見てみたかった。

同じ英語圏でもイギリスのテレビとハリウッド映画は全然勝手が違っていて「エグゼクデッブ・デシジョン」を見たというハリウッドのプロデューサーがあなたのアラビア語は見事だったと称えられて、きょとんとしてしまう(プロデューサーのくせに吹替という技術を知らんのか)などホントかよと思うようなエピソードもある。

ポワロを演じるにあたって、まずそのさまざまなクセや習慣を97項目にわたって書き出し、さらにそこから外堀を埋め内堀を埋めるようにポワロの人間性そのものに迫っていく。ポワロだったらこんなことはしないとわかるようになる。
つまるところ、スーシェ=ポワロの人間性そのものの豊かさが魅力の核心ということになる。

スーシェは繰り返し、自分は性格俳優であってスターでもセレブでもないと書く。ただし自分のポワロとしての人気が大勢の客を主に舞台に呼ぶのに役立つことには意識的でもある。それだけポワロ以外の顔を見せられる自信も実力もあるということだろう。