出だしの豪雨の中、向かい合う軒下で雨宿りしている母子の姿のもとは、もちろん小津の「浮草」の中村鴈治郎と京マチ子の痴話喧嘩。
主人公の世田谷の自宅や軽井沢の別荘の庭に咲いている葉鶏頭は、小津が山中貞雄が出征する(そして中国で戦病死する)前に会った時に庭に生えていたもので、「浮草」はじめ小津作品にしばしば現れる。
小津は浴衣の柄にすごくこだわるが(ひょうたんとか)、一家が浴衣姿で集まる場面で役所広司が着ている浴衣の柄が白地に藍でモミジで、宮崎あおいのが藍の地に白抜きでやはりモミジと、ちょうどネガとポジになっている。対立しているようで実は同じものの表裏である父と娘の関係を画にしています。
そして、ラストで樹木希林と親子三人が海辺で集まった後、本物のモミジが色づいている風景がいくつも重ねられる(ここは単なる情景描写ではなく、すでにシナリオで指定されています)。
南果歩の古美術商をしている妹が、家の古道具類を持っていってしまうのは「東京物語」の杉村春子の形見分けを思わせる。
随所で時代が白抜き文字で示されるけれど、そのうち「1963年」という表示だけ文字が大きい。小津が亡くなった年です。
という具合に挙げていくと小津調ばりばりみたいに聞こえるけれど、実はそうでもない。やはり井上靖の原作が大きいのではないか。父親像がもうちょっと家父長的なのです。
法事など親戚が集まる場面が多いのと、そうでなくても家族大勢でテーブルを囲んで食事したりするシーンが多い。
小津は食事シーンで食べ物を直接に見せていない(ローアングルだと見えないのです)が、ここでは俯瞰してはっきり見せている。オープニングで生のワサビをすりおろしてご飯にかけて食べて、ワサビ畑を通って帰り、母にワサビをおみやげにまで持たされる。
ワサビを育てるのに必須なきれいな水の清冽さと、ぴりっとした味わいが映画自体のテイストとしていると思わせる。
役所広司がちゃんと文豪に見える。よくある原稿用紙をびりびりっと丸めて棄てるというチンプな描写がないだけでも助かる。
著者検印を一家総出と編集者も手伝っていちいち検印紙に押している情景というのは、初めて見た。ああやって見ると○○万部突破と数字で言われるより、いかにもベストセラー作家という感じになりますね。
昔の本なんか見るといちいちハンコが押してあって、もう少し時代が下ると「著者との申し合わせにより検印廃止」になって、今ではそれもなくなってます。あの情景、なんのことだかわからない人も多いのではないか。
井上靖の「しろばんば」の単行本が本棚に並んでいます。
すごい豪壮な本棚に本が並んでいて、しかもきちんと整理されている。おそらく通いの書生が整理しているのではないかと思わせたりするけれど、いまどき書生っていないだろうなあ。
「イングマール・ベルイマンの『処女の泉』」と若い女性が口にするとどんなふしだらな映画かと思わせますな。公開当時は「イングマル」と表記されていたはずだが。
ベルイマンは小津と同類の女性から創作力をもらうタイプの作家、というのが原田監督の見立て。
「失敬」と何度かセリフに出てくるけれど、あまり今では使わない表現ですね。
音のつけ方が細かい。大勢の人間が家の中のどこから話しているのか音の場や広がり、反響まではっきりわかる。ちょっとジョン・ヒューストンの「ザ・デッド」を思い出したくらい。
ほか、いちいち挙げればきりがないくらいスタッフワークが優秀。
役所広司のファースト・カットはお守りで自分の頭を叩いているところだが、親子三代の間で、自分の、あるいは下の世代の相手の頭をつつく動作が随所で繰り返される。それぞれ自問自答と親子間の垣根が取り払われたことの表現だろう。見ようによっては、相手の頭をつつくというのは相当失礼な動作ですしね。タイでやったら大変らしい。
しきりと主人公は煙草のピース、それも缶入りのをすっていたりする。原田監督自身は煙草をすう役者を肌が荒れる、声が悪くなるとして「プロ意識の欠如」と書いていて、「突入せよ! あさま山荘事件」の警察の会議で役にもたたない連中が煙草ばかりすっているのに業を煮やした役所広司が窓を開けて「煙草禁止!」と怒るシーンなんてありましたね。
(☆☆☆★★★)
原田眞人監督の早稲田大学での小津に関する公開講座
http://blog.goo.ne.jp/macgoohan/e/18037a4bcac0ab7647b2cbf0e7e22652
同じ監督・主演コンビによりテレビドラマ「初秋」
http://blog.goo.ne.jp/macgoohan/s/%BE%AE%C4%C5
本ホームページ
言霊大戦
わが母の記 - goo 映画