prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

7月15日(金)のつぶやき

2016年07月16日 | Weblog

「クリーピー 偽りの隣人」

2016年07月15日 | 映画
鉄の扉の向こうに恐ろしいものが…というシーンは怖い映画の定番だけれど、今回の向こうの部屋の発想とデザインは出色。
三軒の家がコの字型に並んでいる並びに妙に執着するあたりのオブセッションを自然に実物の並びを見せていくことで納得させてしまう。どこまでロケに手を加えているのかわからないが、ああいうかなり不自然な家の並びが二つも三つもあるという処理は見事なもの。
ドローンでぐうっとカメラが上がって並びを俯瞰で見せるあたり、ドローンの使い方としても新鮮。

香川照之の隣人の会話が成立しないずれっぷりは「CURE」の荻原聖人以来。
コトバを無効化することによって依って立つ根拠を奪い従属に導く存在というか、中身が空っぽのカリスマといった存在という点で一貫している。
プロセスを使って車が地面の上を走っているようでなく宙を飛んでいるように撮っているのも「CURE」以来。

黒沢清監督の空間と光に対する嗅覚が一段と磨かれてほとんど超絶技巧的になってきている。

タルコフスキーを屋内外を逆にしたような、カーテンが外に向かってはためているという奇妙に不安を煽る光景。

竹内結子が料理好き、という設定の割に実際にどんな料理ができているのか曖昧(はっきり曖昧にしているのがわかる)なのがじりじりと不安になってくる。

一方的に香川が「家族」を支配しているのかというとそうでもなくて、自ら支配され調子を合わせている、あるいは合わせるようになるというのが不気味なリアリティがある。

西島秀俊が恰好いいのに、というかだからこそ自然に常識を逸脱してしまう感じをよく出した。
犬でさえこの一種異様な支配の輪からは逃れていない。意思が通じないという意味で逆に家族の一員ということになるのかもしれない。

ストーリー・テリングが流麗なのでとっつきやすいけれど、その一方で常にストーリーを前進させるロジックを逸脱する力が働いているスリル。
(☆☆☆★★★)

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映画『クリーピー 偽りの隣人』 - シネマトゥデイ

7月14日(木)のつぶやき

2016年07月15日 | Weblog

お題「1ヶ月食べ続けるとしたら?」

2016年07月14日 | Weblog
ラーメンですかねえ。しょうゆ味、みそ味、とんこつ、つけ麺、などなど基本的な味にバラエティが富んでいるのと、トッピングの種類も制限ありませんから。

ただ実際にやったら飽きるだろうし、およそ体にはよくないでしょうね。

朝食に限ったら、ほとんど毎日目玉焼きに海苔とみそ汁と浅漬けを続けて食べて飽きないでいます。

「二ツ星の料理人」

2016年07月14日 | 映画
才能はあるけれど自分勝手なためシェフとして一流になりきれない男が周囲のことも考えるようになって再起するという、ありがちな話だけれど、そのプロセスがきっちり描きこまれていなくて、なんとなく再起したらしい、といった程度の印象なのは物足りない。
いくら腹を立ててもシェフが皿を投げつけてはダメでしょ。

ブラッドリー・クーパーとシェナ・ミラーの組み合わせというのは「アメリカン・スナイパー」で夫婦役だったのが再共演ということになるが、それも計算してのキャスティングだろうか。

監督が「ER」を何本も撮っているから「ER」風に厨房を撮っているのかと思ったら、救急病棟よりもっと狭いし火は強いしでそれほどカメラを動かさないでカットを割って撮っている。その分やや平凡。

ミシュランの調査員のやり方がああバレていていいのだろうか、と思った。それとも映画用の創作だろうか。
(☆☆☆)

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映画『二ツ星の料理人』 - シネマトゥデイ

7月13日(水)のつぶやき その2

2016年07月14日 | Weblog

7月13日(水)のつぶやき その1

2016年07月14日 | Weblog

「日本で一番悪い奴ら」

2016年07月13日 | 映画
治安を守るために銃を摘発するのが点数稼ぎの自己目的化するあたり、警察の活動のお役所仕事としての面を描いていて、マジメにもっともらしく脱線していく姿がなんともいえず可笑しい。
チャカとシャブ、どっちが大事なんですかって、ほとんど「キャッチ22」のようなむちゃくちゃなロジックの世界。

東映の映画館でかかっているのが昔の「県警対組織暴力」あたりのムードと重なってきてくるが、軽く笑えるのが今風。あれほど熱っぽい情念の世界ではない。

綾野剛がブイブイ言っている間はかなり年月が経っているのに歳をとらないのに、落ち目になるとがくっと老け込む。編年体とは別の時間の流れ方をしている作り。

犯人が払い腰で路上で投げ落とされるシーンがいくつもあるが、ケガしないかとひやひやした。ああいうシーンでも安全にこなせるやり方があるのかな。

主人公が酒が飲めないという設定が、適当に発散できず融通が利かずやたら一所懸命に働いてしまうのにも、シャブに手を出してしまうのにもつながるようで巧妙。

潜入捜査していて耳が潰れているのを疑われるシーンがあるが、ヤクザって意外と格闘技を習っていたりするものではないのかな、と思った。凶器を使うより素手を使った方が懲役が短くて済んだりするらしいので。

考えてみると、主人公は危ない橋を渡っている割に儲かっていない、というか持ち出しになっているのがただの腐敗警官とは違うところ。

一番悪いやつはよく寝ている、というモチーフは不幸にもずうっと昔から通用している。
さらに現実は続きがあって北海道新聞の報道を警察が潰しているのだから、そっちでも一本映画ができそう。しかしよく作ったと思う。これからちくちく嫌がらせされそうだが。
(☆☆☆★★)

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映画『日本で一番悪い奴ら』 - シネマトゥデイ

7月12日(火)のつぶやき その2

2016年07月13日 | Weblog

7月12日(火)のつぶやき その1

2016年07月13日 | Weblog

7月11日(月)のつぶやき

2016年07月12日 | Weblog

「10 クローバーフィールド・レーン」

2016年07月11日 | 映画
メアリー・エリザベス・ウィンステッドという主演の女優さんが端正な美人なので調べてみたら、これまでも「ファイナル・デッドコースター」「遊星からの物体X ファースト・コンタクト」などで主演していたのだから顔を覚えていておかしくないのだけれど、なぜか忘れていた。
やはりでかい画面で見た方が印象が強いということか。顔よしスタイルよし、芝居をしても限られた場所の長丁場が飽きない。撮り方も丹念。

登場人物はほとんど三人だけ、ジョン・グッドマン(巨体を生かした怖さ)扮する外部はすべて侵略者によって汚染されていると信じてシェルターに閉じこもり続けているというキャラクターはときどきアメリカの映画やドラマ(「24」とか)に出てくる。
核兵器を恐れてでもあるだろうし、ノアの箱舟ばりに自分だけは神に選ばれて生き延びるといった考え方の現れでもあるだろう。

外はどうなっているのかといった謎を小出しにして、さらに冒頭になんでもないように出てくるスケッチや酒瓶まであとになって効いてくる小道具や伏線の張り方が緻密で丹念、さらに監禁もののホラーがかったり、場は固定しながらさまざまなジャンルを往復してどう展開するのか見当がつかず、しかも全体として新しく統一がとれている。こういう続編のやり方があるかと思わせる。
(☆☆☆★★★)

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映画『10 クローバーフィールド・レーン』 - シネマトゥデイ

7月10日(日)のつぶやき その2

2016年07月11日 | Weblog

7月10日(日)のつぶやき その1

2016年07月11日 | Weblog

「大巨獣 ガッパ」

2016年07月10日 | 映画
タイトルを見ていたら、企画が日活アクションで有名な(他に「西鶴一代女」などもあるが)児井英生、助監督がロマンポルノで名を上げる小沼勝といった名前が目に付く。

日活唯一の怪獣映画だけれど、南の島から連れてきた怪獣の親が日本まで追ってくる基本的なストーリーは「モスラ」調(イギリスの「怪獣ゴルゴ」がさらに元らしい)で、日本人が肌を黒く塗って南洋の「土人」を演じるというのは昔のアメリカのミンストレル・ショーみたいなもので、今だともろにポリティカル・コレクトネスにひっかかるところ。

特撮・原案担当の渡辺明は円谷英二と共に東宝で怪獣の造形などをしていた人だそうで、特撮の基本的な技法に大きな違いはないように思える。
ガッパは名前から連想するような河童より羽を広げて飛ぶ姿やクチバシなどかなりカラス天狗みたいな姿です。

日本企業の様子が東宝製より豪勢な感じで、ガッパを報道するのが新聞ではなくカラーのグラフ雑誌だったり、熱海あたりの旅館で芸者を上げて宴会を開いている様子が今見ると高度成長期真っ盛りの感(製作は1967年)。