prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「ストリート・オーケストラ」

2016年08月24日 | 映画
ブラジルでそのままだと犯罪の道に入りかねないスラムの子供たちを楽器を演奏させることで感情を鎮めみんなで力を合わせて一つのことを達成するのを教える教育プログラムがあるのはCBSドキュメントで見ていたが、それの映画化。

スラムの厳しさを毒々しくはないが実写!を交えて描いているのが文字通り迫力あり。

主人公の教師を演じるラザロ・ハーモスはもともと黒人という設定ではなかったらしいが、ハーモス自身が映画の中の子供たちのようにスラム出身というのがどこか子供たちとの接し方に出ている。

子供たちを教えることで教師の方が自信を取り戻すというのはありがちだが、描き方が静かでやたらと感動的にしていない。といったら全体に言えること。それだけ生易しい状況でもないだろうし、映画のつくり方として格調高い。

クライマックスでバッハの「マタイ受難曲」の「神よ、この涙にかけて哀れみ下さい、見て下さい」が流れる。使徒ペテロがキリストを裏切った後悔恨する歌、というのはむしろアイロニーなのかもしれない。
(☆☆☆★★)

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8月23日(火)のつぶやき

2016年08月24日 | Weblog

「キャノンフィルムズ爆走風雲録」

2016年08月23日 | 映画
メナハム・ゴーランとヨーラム・グローバスというイスラエル出身の従兄弟同士が組んでアメリカで作った映画製作会社、キャノン・フィルムはまあ一時期あきれるほどに量産していた。
メジャー全体が10年かけて作る本数を1年で作ってしまうといった調子だったのだが、1990年代初めに潰れ、過ぎてみるとあくまで彼らはイスラエル出身のよそものだったという印象。

同じ時期にやはり「ランボー」の2、3などの大作を連発して存在感を示したカロルコ・ピクチャーズのアンドリュー・ヴァイナとマリオ・カサールがそれぞれハンガリー、レヴァノン出身という具合にアメリカ外から乗り込んで大旋風を巻き起こしたが、これまた同時期、1990年の中頃に潰れた。

潰れた理由とすると、当時のハリウッドのトップが金融業界出身者で占められることになって映画そのものに興味をなくしたのと、とにかくあまりに粗製乱造が過ぎたのと、製作費の高騰などが挙げられる。

フレンチ・レストランで両手にスープの皿を持って客がゴーランだと知ると頭上にハイキックをやって見せたウェイターというのが、ジャン=クロード・ヴァン・ダムというのが可笑しい。さらにオフィスに呼ばれて椅子を二つならべて両脚開脚して見せたというのがまた可笑しい。

コンチャロフスキーがソ連を出て「マリアの恋人」を作るまで、まるで自分は無名だったと語るのが奇妙な感じ。文芸映画「貴族の巣」「ワーニャ伯父さん」で、すでに国際的な名声を得ていたと思っていたが、ごく一部のインテリ層の話だったということで、そこから「暴走機関車」はともかくスタローン主演の「デッドフォール」にまで行ってしまうのだから、すごい振り幅。

ブロンソンのアクションものを売るのにカサヴェテスやアルトマン作品を抱き合わせで売る、という不思議な発想はどこから来たのだろう。

チャック・ノリス、ヴァン・ダム、ブロンソン、スタローンなどの金のかかったB、C級作品を安く早く作る一方で、ベルイマンやフェリーニなどのアート系の映画を配給してそれなりの興行的成功を収めたロジャー・コーマンとスタンスが近そうで、金の管理の厳しさが違ったということか。


8月22日(月)のつぶやき

2016年08月23日 | Weblog

伊藤晴雨 幽霊画展

2016年08月22日 | アート
江戸東京美術館で「大妖怪展」が大人気(いや、すごい混雑でした)な傍らで、伊藤晴雨の幽霊画展というのも別口でやっていた。

晴雨というとまず責め絵というのが相場だし、宮下順子、山谷初男主演、田中登監督、いどあきお脚本の映画「発禁本「美人乱舞」より 責める!」がすこぶる印象的だったせいもあり、やや意外の感とともに見ることになった。この展覧会を進めたジブリの鈴木敏夫の言でも、晴雨に幽霊絵という印象はなかったとある。

責め絵はここでは展示していなかったが、風俗画でいくつかあるできりきりと縄で縛りあげられた女囚の絵などは事実を伝えるのが目的だが明らかにそういうテイストがある。

幽霊画そのものは、皿屋敷とか牡丹灯籠といった元ネタがはっきりしているものもあるが、物語の挿絵といった感じではなく、その場にあるものをスケッチしたような臨場感と勢いがある。これが生首をくわえた狼(幽霊関係ないだろ)となると、もっと生々しい。

幽霊だから足はないのがリアルとは違うのだが、そういう約束事はきちんと守るというのが売り絵画家としてのルールだったような感じもする。

展示物はすべて五代目小さん師匠のコレクションをもとにしているというのもびっくり。

伊藤晴雨 幽霊画展「幽霊が美しい-スタジオジブリ鈴木敏夫の眼-」


8月21日(日)のつぶやき

2016年08月22日 | Weblog

「電通」 田原総一朗

2016年08月21日 | 
この本が出たのが1984年なので、「最近」の記述には古くなっているところもあるだろうが、それ以前の黎明期の会社の成り立ちからして面白かった。満鉄調査部や軍隊の出身者を積極的に採用したところから当然国との結びつきが強くなる。226事件の後、政府は国民新聞、朝日、毎日のトップを貴族院議員に推挙するのに続いて、電通の光永社長を貴族院議員に推挙して、情報統制を飴と鞭の飴の飴の側からやっていたという。なるほどね。半世紀以上前、55年体制確立にあたって自民党の依頼で反共と日米安保体制擁護を宣伝する役に駆り出されたということで、当時の四代目の吉田社長が政治色を強めていたこともあるだろうが、今に至るも与党の情報管理に食い込んでいるだろうことは想像に難くない。オリンピックが電通の一手販売みたいになっているのは有名だが、実は博報堂が担当したこともあって、これがなんと日本が参加しなかったモスクワ・オリンピック。なんだかできすぎだ。

「きみがくれた物語」

2016年08月21日 | 映画
交通事故で意識を失いっぱなしの妻を見守る夫の話というと、なんてベタなメロドラマだろうと思いそうだけれど、原題The choiceからわかるように人が生きるのは無数の選択の連続だといった認識や批評精神のようなものが随所に出ていて、そこからかえって悲劇性に溺れないリリシズムが出ている。

入院している病院の医者の荒っぽく見える振る舞いなど、住人全員が互いに見知っているような田舎ならではでもあるし、友情みたいなものが垣間見えたりする。

草が生えた水辺の風景など、同じニコラス・スパークス原作の「きみが読む物語」(原題 The Notebook)とも共通している。邦題も似せてますね。

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8月20日(土)のつぶやき

2016年08月21日 | Weblog

「サム・ペキンパー 情熱と美学」

2016年08月20日 | 映画
西部開拓史に名を残す家柄で祖父が上院議員、というあたり、ロバート・アルドリッチと似たところがある。わざわざ先住民の血が混じっているというウソを言いふらした屈折したあたりも。

法律家が多い家柄だが、(口)約束は契約と同じというのが信念で、しばしばスタジオの法律家であろうトップのウソと裏切りと衝突し続けた。
周防正行監督の「Shall We Dance アメリカを行く」で、アメリカ式にやたら分厚い契約書を作ったところで信用できるというものではなく(強引に契約を結ばされそうになる場面が再三出てくる)、日本式の口約束の方が信用できるかもしれませんよ、とあちらの弁護士に言われるくだりを思い出した。まあ、最終的には人間次第なのだろうが。

「ワイルド・バンチ」や「ビリー・ザ・キッド」の撮影中に実弾が混ざっていたというのにあきれる。
「わらの犬」でセットのドアに投げナイフを投げつけていたものだから撮影に支障をきたしていたともいう。

チャールトン・ヘストンが「ダンディー大佐」のトラブルの時、ペキンパーの味方をして自分をギャラを製作費の不足に充ててもよいと言った(本当にそうなるとは思わなかったらしいが)というのに、晩年の全米ライフル協会理事職にあってダウンしていたイメージがかなり回復した。
他にも何だか周囲で面倒みてやりたくなるところがある人だったみたい。甘え上手というか。黒澤明もそんなところあったな。

マックイーンも相当とっつきにくい人だったらしいが、逆にそのせいか二度も組むことになった。

若いときの当人がなかなかの美男子、奥さんたち(五回結婚して、そのうち三回は同じ相手w)も美人、インタビューに答える実娘がまた美人。

「ビリー・ザ・キッド」の撮影中から相当体調悪かったらしく、ボトルを一日に四本も空けて、アッパー、ダウナー両方のドラッグをやっていたのだから、ただごとではない。59歳と早死にしたが、むしろ長生きしたくらいだ。

でてくる役者たちの大半が現在はプロデューサー兼任というのがおもしろい。


8月19日(金)のつぶやき

2016年08月20日 | Weblog

「ネイキッド・ソルジャー 亜州大捜査線 」

2016年08月19日 | 映画
サモ・ハンも還暦過ぎているので、娘とコンビを組んで立ち回りを演じます。
それ以外も、立ち回りを演じるのが女性、それもずいぶんと未来的?なメイクとファッションの女性が多い。香港のカンフー映画も初期の泥臭いのから信じられないくらい様変わりしたもの。

カンフー・アクション自体はそれほど変えていない。あまりワイヤーワークとかも目立たないし、生身の肉体主体でやるのがやはり一番の武器ということになるのだろうが、手詰まり感は否めない。

チャウ・チンシーの新作が中国本土で途方もないヒットをしていると聞くと、マーケットとしての本土に香港映画界はどう取り組んでいくのだろうと思う。なんて言うより前に、日本映画は中国市場に入っていけるのか、というか入るのがいいことか、とも思う。






8月18日(木)のつぶやき

2016年08月19日 | Weblog

「シン・ゴジラ」

2016年08月18日 | 映画
これくらい最近論じられている映画もあまりないので、ネタを知らないでおくのは大変でした。
さっさと見ればよかったのだが、とにかくバカみたいに混んでいて、空くまで待とうかと思っていたのが一向に空かない。結局一番前の席で見ることになった。お盆は過ぎていたのに本当に満杯でしたからねえ、慶賀の至り。

で、ここで一知半解の論を展開しても始まらないので、やめておきます。他でやたらと詳しい人による話が本当にいくらてもありますので。
ただこれまったく怪獣映画なりエヴァンゲリオンなり岡本喜八なり市川崑なりをまったく知らない人が見たらどう見えるのだろう、とか、あるいは外国人が見た場合どう映るのだろうとは気になった。

とにかく日本人の自意識の塊みたいな映画で、核兵器と原発事故と両方にわたる核に対するトラウマであるとか、アメリカの属国であるという事実の認識(これ自体、ずうっと言われていることではあるけれど、共有されるようになったのは割と最近ではないか)とかいった部分など、どの程度わかるものかな、と思うけれど、意外とわかるかもしれないとも思う。

ちなみにhttp://anond.hatelabo.jp/20160816025540というサイトが面白かった。実際に中国で公開できないかどうかはまだわからないが。

最初に出てきたゴジラの姿にびっくり。その後も一種の気持ち悪さはついてまわる。
政府の関係者をはじめ中高年の出演者の顔のアップにつぐアップがかなりグロテスク。メイクをしていないのかしていないように見えるメイクなのか、顔のぶつぶつであったり老人班であったりといった普通は見せられない部分までありありと見える。
一種のなまなましい生物感みたいなもものが出ていて、ゴジラと対応しているようでもあり、なんだかパゾリーニみたいだとも思った。
その中で石原さとみだけがきれいにメイクした顔で出てくるのが、かえって違和感があったりする。

ゴジラが東京の街を焼き払うあたりで巨神兵みたいだ、と思ったら、第一・第二形態のぐちょぐちょした感じができかけの巨神兵に似ていたことに気付いた。

自衛隊の攻撃で、ゴジラに命中していない弾、ひとつもなかったのではないか。めちゃくちゃせ精強で錬度高し。実際あれくらいいくのではないかという気もする。

東京の街の相当な広さとその中でも見えるゴジラの姿を組み合わせた画の壮大さ。
ただの会議の場面もびしっと物が詰まったような画にしていて、ちょっと黒澤明の望遠ショット風でもある。

レジェンダリー版のゴジラもだけれど、平成ガメラの影響はずいぶん大きいとも思った。
(☆☆☆★★★)
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8月17日(水)のつぶやき

2016年08月18日 | Weblog