prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「愛のさざなみ」

2016年08月17日 | 映画
1970年製作。キャサリン・ロスは1940年生まれだからこの時30歳。ロバーズは1922年生まれなので48歳と、18歳違いのラブストーリーということになる。

1974年にやはりロスとイブ・モンタン(21年生)が共演した「潮騒」とちょっと感じが似ている。年齢の問題だけでなく、ラブストーリーである本筋と関係ないところで奇妙に暴力的なニュアンスが散りばめられているところが。

「愛のさざなみ」の原題はFools(愚か者たち)、「潮騒」はLe Hasard et la violence(偶然と暴力)と、ラブストーリーという感じではない。
実際、終盤かなり唐突に暴力沙汰にエスカレートする。
なぜそうなったのかはよくわからない。考えてみると「明日に向って撃て!」はアウトローとつるむ女教師役だったわけで、そのあたりで意外と暴力的なモチーフと組み合わされるのかなと思ったりする。こじつけだが。

ロスのポンチョ姿やミニスカート姿など、70年代ファッションであることはわかるが、今見ても魅力的。


8月16日(火)のつぶやき

2016年08月17日 | Weblog

「ワーテルロー」

2016年08月16日 | 映画
ソ連が国をあげて製作した大作「戦争と平和」(1967~68)三部作で「まあ阿呆みたいな馬鹿でかさ」(荻昌弘)のスケールのナポレオンのロシア侵攻を描いたセルゲイ・ボンダルチュクが、イタリアのプロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスに迎えられて、ナポレオン率いるフランス軍とウェリントンを頂くイギリスをはじめとする連合軍とのワーテルローの戦いを描く1970年作。

今ではとても再現不可能な膨大な数のエキストラを動員した(再びソ連軍を借り出したそうです)えんえんたる戦闘シーンはさすがに凄い。

「戦争と平和」だと茫洋としたカメラアングルで捉えることでかえってスケールがでかく見えたところがあるのだが、イタリアの至宝というべき名カメラマン、ジュセッペ・ロトゥンノが撮っていることもあって、画面の捕まえ方はもっと様式的で美的。

大軍がタブローをなして動く様式性とか、騎兵隊の突撃のスピード感など、西側のショー精神が注入された感はあり。ときどき間抜けなスローモーションが入るのは困るが。

「戦争と平和」でヘリコプター・ショットを使ったのを19世紀の視点で撮っていないと批判されたのに対抗してか、連合軍が四角い陣を組んでいるのをフランス軍がぐるりから攻めるのをヘリから大俯瞰で撮るといった具合に陣形をよりわかりやすくするのに進化させて使っている。

ロッド・スタイガーのかなりエキセントリックで汗っかきのナポレオン像は、どこか「ヒトラー最後の12日間」のブルーノ・ガンツのヒトラーを思わせる。
クリストファー・プラマーのウェリントンが最初出てくる時にロシア人みたいに毛深いメイクなのはよくわからない。

国際的大作だから英語版にしないといけないという事情はわかるにせよ、ナポレオンが英語を話しているというのはどうも気がいきません。
しかし考えてみると、フランス映画でナポレオンその人を正面から扱った映画というのはサイレント時代のアベル・ガンスの「ナポレオン」から後、これといったものはないのではないか。

これが興行的に失敗したもので、キューブリックの「ナポレオン」の企画が頓挫してしまったらしい。



8月15日(月)のつぶやき

2016年08月16日 | Weblog

「ハイ・フィデリティ」

2016年08月15日 | 映画
ジョン・キューザック扮する主人公がレコード店で働いている音楽オタクで、一応次々と彼女はできるのだが、ことごとく振られてしまうという男で、なんで自分を振ったのか元カノたちに聞いてまわる、というのが主筋。

そういうことをするから振られるのだ、と思う一方で、これだけ女性たちを気にかけるからけっこう嫌われはしない、という気にもなる。
原作の記述をセリフに起こしたものだろうが、ひんぱんにカメラ目線で今考えていることを喋り倒すところで自意識過剰気味な性格がよく出た。

High Fidelity=ハイ・ファイというとレコードの録音の音質を真っ先に思い浮かべるのだが、Fidelityというのは忠実・貞節といった意味で(だから原音に忠実といった意味になる)、内容はレコードと男女関係と両方にひっかけている。

スティービー・ワンダーなんてダサいアーティスト聞くなとレコードがあるのに売らない傍若無人な店員役でジャック・ブラックが出演、2003年の「スクール・オブ・ロック」でブレイクする3年前ということになるが、キャラがほとんど同じなのに笑ってしまう。珍演と見せてクライマックスではすこぶるまともな歌を聞かせるのがあちらの役者の底力でもある。

ふんだんにかかる一世代以上前の音楽の魅力も大。





8月14日(日)のつぶやき

2016年08月15日 | Weblog

「スナイパー/狙撃」

2016年08月14日 | 映画
原題はSilent Trigger (1996)。
ドルフ・ラングレンがスナイパーで、女の監視人spotter=ジーナ・ベルマンのドラマがメインなのだけれど、終始仲良いもので、「山猫は眠らない」一作目ほどドラマチックな対立にはならない。
狙撃の舞台になる工事中の高層ビルのがらんとしたヴィジュアルや狙撃に絡む陰謀などまあ一応揃っているけれど、これといって目覚ましいものはない。

監督はラッセル・マルケイ。もともとデュラン・デュランなどのMTV出身でデビュー作「レイザーバック」ではMTV調を長編劇映画にまんま持ち込んでいたものだが、この頃はおおむね普通の撮り方になっている。


8月13日(土)のつぶやき

2016年08月14日 | Weblog

「ヤング・アダルト・ニューヨーク」

2016年08月13日 | 映画
ストーリーをとってみると「イブの総て」のドキュメンタリー監督版といったところ。

新作の6時間半もの仮編集版を抱えたまま完成も公開もままならないでいる44歳のドキュメンタリー監督ベン・スティラーの上映会に若いファンを名乗る男アダム・ドライバーが現れ、いろいろ嬉しがせることを言いながら自分の作品を見てほしいと接近する。
一方でベンと妻でプロデューサーのナオミ・ワッツとの仲は表立っては満足しているがところどころ綻びを覗かせている。

アダムのLPとVHSテープに囲まれたレトロ風のアートそのものといった暮らしっぷりに魅了されたベンと何かとアダムに協力するが、気づいたらナオミの父で大物ドキュメンタリー作家のチャールズ・グローディンを巻き込んで新進監督として華やかに売り出すことに成功し、ベンは踏み台になったことに気付く。

おもしろいのは、ドキュメンタリー作家みたいに外見は社会の良心みたいに見える仕事をしていても、建前と本音の見栄と功名心と過剰なプライドの板挟みになっていること。
なかなかベンがバカ長い版を切れないのも作家性に忠実というより子供っぽい自己中心性と執着心の現れっぽい。

それからベンはアダムの時制の入れ替えや知っていることを知らないような顔で語る作り方をドキュメンタリーとしてはアンフェアだとむきになって批判するが、大物ドキュメンタリストのグローディンがそれくらい普通に許されることだろうといった顔しているので振り上げた拳のやり場がなくなってしまうあたり、周囲の大人の事情を汲みとれないアダムの浮きっぷりが情けなくも苛立たしい。

アダムがずうっと帽子をかぶっているのは「8 1/2」のフェリーニの分身である監督役マストロヤンニみたい。ささやかな権威と自己防衛と見栄の象徴であることが、自分が利用されたのだとはっきりわかるあたりで投げ捨てるところではっきりする。

クライマックスでスケートボードで走るアダム・サンドラーの姿、というのはやはり「LIFE!」のアダムの姿を頭に置いてだろう。あれが喜劇ならこちらは悲喜劇。

「ロッキー3」の「アイ・オブ・ザ・タイガー」が自分をアゲる曲として使われるあたりの時代感覚。
ニューヨークのアーティストの世界をおしゃれなところと

実はチャールズ・グローディン、ずいぶん年取っていたのでエンドタイトル見るまで誰だかわからなかった。
(☆☆☆★★)

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8月12日(金)のつぶやき

2016年08月13日 | Weblog

「ムード・インディゴ うたかたの日々」

2016年08月12日 | 映画
前に東京都現代美術館でミシェル・ゴンドリー展としてこの映画に使われた数々のガジェットを展示していたのを見ていたので、小道具を通して映画を見るという変わった体験をすることになった。

ノスタルジックにして未来的、という手触りで、あからさまにレトロなのよりチープでおもちゃのよう。
それが全体に現実離れをしていると共に一種の稚気を出していて、子供ではなく青年たちの物語だが、いつまでも続く世界ではないというのを感覚的にわからせる。

ムード・インディゴ~うたかたの日々~|映画情報のぴあ映画生活

映画『ムード・インディゴ うたかたの日々』 - シネマトゥデイ

「ムード・インディゴ うたかたの日々」 公式ホームページ



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8月11日(木)のつぶやき

2016年08月12日 | Weblog

「清水港は鬼より怖い」

2016年08月11日 | 映画
1952年度作品。実際のフィルムに出るタイトルは「虎三の清水港」。

ずらっと出演者が並んでポーズを決めたのに名前がかぶる画がいくつも続くのがオープニング。
浪曲に合わせてオペレッタ風の映像処理をしているのだが、困るのはそれ以外のセリフや自然音がまるで入ってこないので、まるで仕上げ中のラッシュを見ているような気分になる。
マキノ雅裕の「次郎長三国志」シリーズのオペレッタ風処理はずいぶん進歩していたなと思う。

加藤泰が後年、川の中だろうと雨の中だろうと同時録音にこだわったことからは想像しにくい処理。当時は技術的に無理があったのかもしれないが。
この頃は特にローアングルは使っていない、どころかやや俯瞰ぎみのが多い。

山茶花究があきれたぼういずの一員として登場、ぼういずはこの年に解散することになる。



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8月10日(水)のつぶやき

2016年08月11日 | Weblog

「ダーティ・メリー クレイジー・ラリー 」

2016年08月10日 | 映画
「イージー・ライダー」のライダーイメージと一般社会からのはみ出しぶりを残したピーター・フォンダの暴走ドライバー役と、スーザン・ジョージのフーテン娘(死語?)ぶりが、70年代のニューシネマの匂いを残しつつ娯楽アクションにシフトしているのだが、ラストで結構いきなりニューシネマに回帰する感。

原作だと畑の間の碁盤目状の道のどこをどう走るのか、それを追うのか警察との駆け引きが描かれていたらしいが、映画だと難しい。林の向こう側は見えませんものね。

ダイヤル式の留守番電話などのガジェットや、犯罪の手口がいちいち古めかしい。