prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

「SCOOP!」

2016年10月17日 | 映画
元は30年前の原田眞人監督脚本のテレビ用映画(2時間ドラマとはまた違う、アメリカだったら劇場公開することもあるような作り)「盗写 1/250秒」なのだそうだけれど、それほどの時代の違いは感じではない。
今どきスマホを使うのは当然だけれど、とっつかまえても写真を押さえられないように撮ったそばから写真データをサーバに送らないのだろうかと気になった。

パパラッチという言葉が日本で定着したのはフォーカスやフライデーやエンマが売れていた時期より後の気がする。
とはいえ、今では素人でもいくらでも写真を撮ってネットにアップできる時代なわけで、そのあたりの変化をまったくといっていいくらい無視しているのはちょっと不思議。

福山雅治がずいぶん小汚くして下品なパパラッチをやっているわけだが、どうも柄ではありません。二階堂ふみの困り顔は可愛い。

ラストがどうも後味が悪い。そこに持っていくのに重要なリリー・フランキーの役が作りすぎ、使い方も便利に使い過ぎで感心せず。

オープニングで空中高くカメラが上がっていくのはうまい掴みで、それと対応してラストでもまたカメラが上昇するのは昇天のイメージなのだろうし、逆にそのために冒頭とラストを設計したのだろう。
(☆☆☆)

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10月16日(日)のつぶやき

2016年10月17日 | Weblog

文化庁メディア芸術祭 20周年企画展 変える力 プログラム G. 日本の個人作家たちの20年(1)1997-2007

2016年10月16日 | 映画
「THE BUGS」は粘土アニメ、虫がごそごそしている部屋で読んでいる本の中身が、またジャン・レノ似の男がトイレの個室で用を足しているとトイレットペーパーが切れ、替えを取ろうとするとゴキブリやハチがジャマしたり助けたりする。グロい。

「上京物語」は「東京物語」のパロディ。老いた両親の方が東京の毒気に当てられて変わってしまう。新幹線が富士山の裾野を走り抜けると、富士山の裾がスカートになって風でめくれてパンティが見えるといった調子。

「頭山」は一番有名だろう、自分の頭にできた池に飛び込むというナンセンスを画にする苦心。

「ピカピカ」は実際の夜の公園で光るペンか何かを振り回して長時間露光で軌跡が流れるのをアニメに見立てた一編。

個人映画だから当然だけれど、それぞれすこぶる個性が強い。
秋葉原のUDXシアターにて。

早く着いたので、時間潰しにADVANTEST EXPO 2016という展示を覗く。最先端の計測技術の展示をしていた。ナノホールと微小電流による生体分子の測定、光超音波による皮下の血管の計測、テラヘルツ波による飲んだ薬の膜厚の測定、磁気による心臓の働きの測定など。
近赤外線を使った脳の血流の計測の展示もあったが、REDとして精神疾患の検診に試験的に使われていることは出ていなかった。

G. 日本の個人作家たちの20年(1)1997-2007

1997 THE BUGS 又吉 浩

1998 快動力 REAL 保田 克史

1998 believe in it 米正 万也

1999 上京物語 古川 タク

2002 頭山 山村 浩二

2003 FRANK 布山 タルト

2005 浮楼 榊原 澄人

2006 ピカピカ モンノカヅエ+ナガタタケシ

2007 カフカ 田舎医者 山村 浩二



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10月15日(土)のつぶやき

2016年10月16日 | Weblog

(お題)「美術館へは行きますか?」

2016年10月15日 | Weblog
たびたび行きます。このブログにも再三感想を書いています。

ただ見たいのが多すぎるのも困るし、混んでるのが多いのも大変です。若冲展など五時間待ちというので諦めました。(もっとも実はサントリー美術館や山種美術館でもけっこう若冲を展示していて、それは見ているのですが)

ちなみに、観客動員数が多かった展覧会の上位はあらたか日本のそれが占めているのだそうで、観光大国を目指す一環で日本の美術館をアピールしようという話も聞きます。ルーブルを目当てにフランスに行くようなものですね。ただ、コレクションの厚みという点ではなかなか欧米には及ばないそうですが。

古典も現代美術も両方見ます。
これから見たいのは、ゴッホ×ゴーギャン展、ダリ展、鈴木其一展、などです。
恵比寿の写真美術館が新装なって再開したのも楽しみ。



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10月14日(金)のつぶやき

2016年10月15日 | Weblog

「歌声にのった少年」

2016年10月14日 | 映画
パレスチナのガザ地区という貧しく抑圧された環境で育った少年ムハンマド・アッサーフが恵まれた歌の才能を生かしてアラブ人代表として世界的な名声をつかむという絵に描いたような実話ネタのサクセスストーリーなのだが、タイトルがアラビア語と英語の併記になっているように、作り方がサクセスストーリーを踏襲しながら微妙に見慣れたものと違っている。

クライマックスが典型で、普通だったら不安と戦う少年→不安を振り払って熱唱→大ウケ→結果発表でまたドキドキ→優勝、万歳という流れになるのだが、この「熱唱」と「優勝、万歳」の部分がそれまで演じていた俳優ではなくて、いきなり実物のムハンマド・アッサーフになってしまうので、アレということになる。

実話ネタの映画でエンドタイトルで実物が顔を出すというのは珍しくないが、クライマックスで早漏れしてしまうというのは珍しい。それだけこの人が偶像(英語タイトルはThe Idle)として重要なのかなと思わせるが、正直やや見ていて当惑する。
違う文化的文脈というのがあるのだろうな、と思った。

そうしたフォローが音楽そのものの盛り上がりを削いでしまっている感もあるのが残念。
ガザ地区のロケ(世界初だとか)による、子供たちが遊ぶ路地が舗装されておらず土がむき出しになっている感じとか、すごい敏捷に走り抜けていく映像そのものが状況の厳しさとそれに負けない活力を語っている。

歌声にのった少年 公式ホームページ

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映画『歌声にのった少年』 - シネマトゥデイ



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10月13日(木)のつぶやき

2016年10月14日 | Weblog

「HUNGER/ハンガー」

2016年10月13日 | 映画
「それでも夜は明ける」のスティーヴ・マックイーン監督の長編デビュー作。
極端にセリフを使わないシーンと、据えっぱなしでえんえんと喋り続けている二人を捉えたシーンとが混在し、ひどく残虐な監禁や拷問、ハンガーストライキといった生理的に生々しい表現をスタイリッシュな映像と音響処理で一種の距離を保ちながら目をそらさずに見つめ続ける、といったスタイルはすでにここに端的に表れている。

マイケル・ファスベンダーのがりがりにやせ細った姿はどこまでCGでどこまで実際にやったのかわからないが、飢えの映像=肉体表現の極限の感あり。
政治映画というより生な肉体性の表出が表に出ている。

IRAは昔はテロリストの代名詞のようなものだったし、実際爆破事件など数限りなく起こしているのだが、よく和平を結んで今でも保っているものだと思わせる。

HUNGER/ハンガー 公式ホームページ

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10月12日(水)のつぶやき その2

2016年10月13日 | Weblog

10月12日(水)のつぶやき その1

2016年10月13日 | Weblog

「キョンシー」

2016年10月12日 | アート
かつての「霊幻導士」に代表されるホラー・カンフー・コメディとはうって変わって笑いの要素ゼロでおどろおどろしさ全開の作り。
カンフー調の肉体アクションも出てくるが、それ以上にCGが活用されているのが今風。

舞台になる巨大集合住宅の古ぼけた質感と迷路のような作りがかなりの見もの。
双子の女の悪霊というのが「シャイニング」と伽椰子を混ぜたみたいな造形で「アンダーワールド」の狼男族のように壁や天井を走り回ったりと、いろいろ入ってます。

人物配置が割とぐずぐずで誰をメインにして見ていいのかシーンによってバラけているのが困る。
旧作にあった鶏の血とかもち米といったキョンシーに効くアイテムが曖昧で、どうすれば防げるのか倒せるのかはっきりしないもので、クライマックスがにぎにぎしい割に盛り上がらない。
(☆☆☆)






10月11日(火)のつぶやき

2016年10月12日 | Weblog

アンジェイ・ワイダの舞台

2016年10月11日 | Weblog
アンジェイ・ワイダの訃報が入った。
『灰とダイヤモンド』『鉄の男』などの ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ 死去 90歳。 親日家で東日本大震災の時もメッセージを寄せる

ワイダというともちろん映画監督としての名声が圧倒的なわけだが、舞台演出家でもありその二つの舞台を見た者として、ドストエフスキーの「白痴」を元にした「ナスターシャ」を主として少し記録として記述しておこうと思う。映画と違って舞台は残っていないので。
あと、テレビ東京によるメイキング番組と、ポーランド文学者の故工藤幸雄氏に話をうかがう機会があったので、そこからの情報も入れている。

あんなに長い原作をどうやって2時間の舞台にするのだろうと思っていたが、原作のクライマックス、ロゴージンがナスターシャ・フィリポヴナを殺してしまい、ムイシュキンを招いて一緒に通夜を過ごす場面を抜き出し、そこにそこに至るまでの経緯の抜粋がぱっ、ぱっと映画のフラッシュバックの感覚で入ってくるという、あっというような脚色(ワイダ自身による)。

今はなきベニサンピットでの小さな空間は特に舞台面を設定せず、リアルに再現されたロシアの屋敷の客間をこれまた客間にありそうな木製の椅子がぐるりと囲むようになっていた。
登場する俳優は二人だけ、板東玉三郎がムイシュキンとナスターシャの二役、辻萬長がロゴージン。

薄明りの中にランプが映えると、完全にドラマの世界に入り込んでいるように思えた。
また、蠅の羽音がすこぶるリアルで、まるで瘴気が漂っているように感じさせた。このあたりの日本のスタッフの技量にワイダは大いに満足し、出来るかどうかわからなかった表現を実現できたという。

玉三郎は初めムイシュキン役として白ずくめの衣装(一方、辻萬長は黒ずくめ)で登場するのだが、イヤリングをつけ毛糸の肩掛けを羽織って声の調子を変えると、一瞬にしてナスターシャに変身するのに驚嘆した。魔法を見るようだった。
ワイダはポーランドですでに「白痴」を舞台化していたのだが、それにはナスターシャが登場しない、もともとナスターシャは観念的なキャラクターなので俳優を使って肉体化するのは難しいのだが、玉三郎の存在があって初めて登場させることができたと語っている。

また、毛糸の肩掛けを羽織るというのは、歌舞伎でも衣装をつけない立ち稽古で女役の気分を出すのにやっていることだとメイキングでワイダに説明し、ワイダがうなずいてOKを出していた。
また、ナスターシャがロゴージンにもらったイヤリングを突っ返すのに、絨毯が敷いていない床板が露出しているところにぶつけると、ぱちーんと高い音がしていかにも突っ返す感じが出る、といったアイデアも玉三郎が積極的に出して、玉三郎自身演出家でもあるわけだが、ずいぶん俳優の工夫を柔軟に取り入れていたのだなと思わせる。

もう一つは、東京グローブ座でみた「ハムレット」。
名前を失念してしまったのだが、女優がハムレット役を演じていて、それ自体は実は珍しくない。宝塚で上演することもあるし、元男役の麻実れい主演版というのもあるし、古く(ベル・エポック)のサラ・ベルナール主演というのもある。
しかしそれらはだいたい男装の麗人として凛々しさを主に演じることが多いと思うが、このハムレットはまあ泣くわ喚くは、ずいぶんと情緒不安定なハムレットだった。
そして、ハムレットが死んで終わるのではなく、冒頭の場面に戻るというエンドレスの構成になっている。

通常の舞台に客席をしつらえて、通常の客席に俳優たちが登場するという、転倒した舞台面になっていた。
巨大な十字架が現れるのは、当然「灰とダイヤモンド」を連想させる。



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10月10日(月)のつぶやき その2

2016年10月11日 | Weblog