prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

10月10日(月)のつぶやき その1

2016年10月11日 | Weblog

「ハドソン川の奇跡」

2016年10月10日 | 映画
飛行機のエンジンが鳥を吸い込んで左右両方とも止まってしまいハドソン川に着水するまでわずか208秒しかないので、どうやってドラマ化するのだろうと思っていた。

そうしたら、すでに事故が起きた後から話を説き起こし、機長のサリー(Sully=原題)が大事故が起きてしまう悪夢や幻想に悩まされる状態で、そこに査問会の聞き取りが何度も繰り返される。
片方のエンジンは止まっておらずわざわざ着水して乗客を危険にさらす必要はなかったのではないかという疑惑だが、見ている方としては後知恵でケチをつけているのではないかと思ってしまうし、気が短い人間だったらキレそうな状況だが、サリーは少なくとも対人的には冷静沈着であり続ける。

ありえた悲惨な現実、乗客の立場から見た事故の状況など、少しずつずらした描写を重ねることでごく短時間で済んでしまった事故を長編映画全体を支える柱に据える作劇は、昔だったらアートフィルムでしか使わないような技法だが、それを軽々と使っている。
全体に演出タッチも力まず淡々とサリー同様冷静であり続けている。

コンピューターのシミレーションでは着水しなくてもよかったのではないかという言い分には、そこには人間的要素Human Factorが欠けている、無数の想定外の出来事が起きた時にとっさに対応できるのは人間であり、コンピューターにできるのはそれまで起きた出来事とロジックの累積でしかない、といったテーマが浮かび上がってくるのが鮮やか。

自分の悪夢や不安と戦いながら人間的要素でコンピューターのシミレーションを凌駕するヒーローというのは、イーストウッド監督主演の「ファイヤーフォックス」もそうだったが、実話ネタとあってずっと地に足がついている。
(☆☆☆★★)

ハドソン川の奇跡 公式ホームページ

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映画『ハドソン川の奇跡』 - シネマトゥデイ



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10月9日(日)のつぶやき

2016年10月10日 | Weblog

「ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years」

2016年10月09日 | 映画
デビューした1962年からツアー活動をやめてスタジオにこもった音楽作りに転換する66年までの足かけ5年に絞って構成していて、わずか5年なのだが、なんという激動期だろうと思わせる。

一方で63年のケネディ暗殺から65年の人種隔離されているオーディエンスの前では演奏しないと押し切った事件、66年来日時の右翼のデモ(警視庁提供による映像らしい、赤尾敏の姿と愛国党のビラが映っている)、ジョン・レノンの「キリストよりビートルズは有名」発言によるアメリカのファンダメンダリストの猛反発、などなど、実は今でも基本的には存続している問題ばかりであることに気付く。

デビューしてから間もないも男の子っぽい感じから、次第に大人っぽくなっていくのがありありとわかる。ラストでは全員ヒゲを生やしているのが典型。
初めはリンゴ以外全員がギターなのが、スタジオ作業が主になってからテープを含めてさまざまな楽器・表現を使うようになるのがわかる。

しばしば意地悪いインタビュアーの質問に当意即妙で切り返す頭の回転の速さと物おじしない態度が気持ちいい。
リチャード・レスター(1932年生まれなのだが、もともと若ハゲのせいかかえって若く見える)が、ビートルズの人気は長くは持たないからその前に大急ぎで作ってしまえという会社側の要求で「ハード・ディズ・ナイト」を得意の早撮り(といっても7週間)で仕上げたと言う。

ウーピー・ゴールドバーグやシガニー・ウィーヴァーが人種・生まれ関係なくミーハーに戻ってしまうのが可笑しい。
当時の十代二十代の熱烈なファンたちも、今ではいい歳だろうと思った。
本当に熱烈で警察に取り押さえられるのが一人二人ではない、危険を感じるくらいで、しまいには囚人の護送車に乗って退場するまでになって、嫌気がさしたというのもわかる。

社会のごたごたが入らないスタジオでじっくり音楽を作りたいという要求が高まったと思え、スターや社会現象という以上に、音楽家としてのビートルズ像をはっきり打ち出している。
家では望むべくもない高音質大音量のサウンドがお楽しみ。

シェイ・スタジアムの公演を30分にまとめた特別映像が併映される。撮影がアンドリュー・ラズロとあるのにちょっとびっくり。「ランボー」「ストリート・オブ・ファイアー」の撮影監督で、当時はテレビドラマを主に撮っていた時期。

ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK ‐ The Touring Years 公式ホームページ

映画『ザ・ビートルズ~EIGHT DAYS A WEEK - The Touring Years』 - シネマトゥデイ

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10月8日(土)のつぶやき

2016年10月09日 | Weblog

お題「実写化してよかった作品は?」

2016年10月08日 | Weblog
実写を通り越して実物ですけれど、タイガーマスク。

マンガやアニメ以上の動きをやってのけたのには本当にびっくりした。

ウェンツ瑛士が主演した劇映画があるらしいけれど、見ていないし見るつもりもない、というより見たくもない。

「TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)」

2016年10月08日 | 映画
四季が全部入っていて、ずいぶん長い時間をかけて撮影したと思しきドキュメンタリーだけれど、まさか築地→豊洲移転でこうも大揉めに揉めている中の公開になるとは作り手は思っていなかったのではないか。
ああいう騒ぎが現在進行形だからこの映画も注目されるかと思ったが、そういうわけでもなさそう。

ハーバード大学の文化人類学の教授のナレーションで始まり、章立ても英語が併記され、フランス人シェフが市場に仕入れに来るなど外国人に人気と評価のある場所としての魅力をかなり強調している。

インタビュー映像以外の市場の状況ショットはスローモーションを多用して美的感覚が協調されてれるのも海外向けという感じ。ただ海外で築地の人気が高いとして、それがこれからなくなってしまうのに映画を売るのはのはどうよと思わせる。

膨大な取引量(かなり最盛期に比べると減ったのだが)市場としてのハード面だけでなく、そこで働く仲卸の知識と経験と情報網というソフト面の価値がどれほど貴重なものか描かれる。
ハードは置き換えが効くが、ソフトが移転で散逸してしまわないだろうかと心配になるが、そのあたりはあまり突っ込まれない。

ただ出てくる料理店は高級な店ばかりで、あまり普通にスーパーなどで売買されて食べられるような魚は出てこない。

全体に、築地の伝統と価値を描いているのはいいとして、それが失われていくのを哀惜の念をもって描いているのか、これからも続いていくものとして捉えているのかよくわからない。
これは豊洲移転の意義や位置づけが前から曖昧だったせいではないかと今現在のごたごたを見ていると思いたくなる。

入荷する魚の状態はその日その時で変わるので、それに合わせて絶えず自分で判断し対応するのが仲卸のルーティン化されない仕事の楽しみになっているのがストレートに伝わってくる。

「いい魚があるからお客さんが買うんじゃない、お客さんが買うからいい魚を仕入れられるんだ」といった名言が多々聞かれる。

戦前のできたばかりの市場の記録映像を見られるのが貴重。SLで魚を運びこむ情景やできたばかりの建物、これからまったく新しいことを始めるのだという意欲まんまんの関係者の姿が映っている。
新しい状態で見ると、かなりアールデコ様式が入っているのがわかる。日本橋の魚河岸が関東大震災で壊滅したのをきっかけに築地に移転したわけだが、この時の東京市長の後藤新平が東京を再建するのにアールデコ様式で統一しようとした(今でも隅田川にかかる橋、日比谷公会堂、銀座泰明小学校に片鱗が見られる)壮大な都市計画の一環かもしれない。

TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド) 公式ホームページ

映画『TSUKIJI WONDERLAND(築地ワンダーランド)』 - シネマトゥデイ

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10月7日(金)のつぶやき

2016年10月08日 | Weblog

「君の名は。」

2016年10月07日 | 映画
かなり突飛な連想だけれど、後半タルコフスキーの「ストーカー」が何度も頭をかすめた。
あそこで「ゾーン」ができた理由の仮説の一つとして隕石の落下があること、二つの世界がずれながらだぶっている構造からだ。
あと当然3.11以後現実になったカタストロフが来てしまった後の感覚も「ストーカー」は予見していたからでもある。

「シン・ゴジラ」のカタストロフ以後の感覚を持っていたけれど、近年のメガヒット映画がともに突然災いが襲ってくるという感覚が裏に貼りついているのは、当然偶然ではないだろう。生者と死者が平行して存在するあたりは能楽を思ったりした。

死と再生が同時並行で展開するようで、それが抽象的な観念より一定の生活感と周囲とのつながりの描写の上に成り立っているので、画面がなんだか気恥ずかしくなるくらい美麗だったり、ぶつぶつしたナレーションの割には上滑りしない。動きのつけ方が見事なことが大きいか。

襖や電車の自動ドアが開け閉めする映像がちょっとしつこいくらい何度も挿入されるのが、二つの世界が繋がったり離れたりするのに見合っている。これまた突飛な連想だが大島渚の「マックス・モン・アムール」や遥か昔の五所平之助の「兄とその妹」でしきりと扉や襖を開け閉めして独特の様式感を出していたり、市川崑の金田一もので襖を閉めると必ず着物がはさまったりするのを思い出したりした。日常にあるものを様式化する手のひとつというか。
「転校生」と「時をかける少女」というジュブナイル映画二本をぬけぬけとくっつけた感あり。
やたらと色々なものを思い起こさせる映画なのだね。

細かいところで気になったのは、停電すると祭りに出ている屋台まで電気が消えてしまうこと。屋台って、自家発電でやるものではないではないだろうか。
(☆☆☆★★)

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映画『君の名は。』 - シネマトゥデイ

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10月6日(木)のつぶやき

2016年10月07日 | Weblog

「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」

2016年10月06日 | 映画
「ジャングルブック」のスタッフがCGの究極の目標は人間の表現だと語っていたと記憶するが、狙ってなのかまだ技術不足なのか、巨人のCGがどうも作りもの臭い。
顔がマーク・ライランス(スピルバーグの前作「ブリッジ・オブ・スパイ」でアカデミー助演男優賞)に似せているのもかえって違和感がある。

少女をさらう巨人が怖い存在なのかというし、もっと巨大で恐ろしい巨人たちがわさわさ現れてそちらが敵役になるというのは、ストーリーがごたごたしていてすっきりしない。

「タンタンの冒険」の系統なのだろうか、完全に作り込まれたファンタジー世界はスピルバーグというよりディズニー色なのだろうか、「E.T.」みたいにアメリカの中産階級のリアルな生活描写にファンタジーを持ち込むのと違ってなんだか息苦しい。

ものすごく長くて複雑な移動カットにCG技術が生かされているのだろうけれど、今どきそれほど驚かない。

「E.T.」の脚本で有名なメリッサ・マシスン(ハリソン・フォードの元妻)の遺作で、エンドタイトルに「for our Melissa」と出る。享年65。
(☆☆☆)

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10月5日(水)のつぶやき

2016年10月06日 | Weblog

「怒り」

2016年10月05日 | アート
東京、千葉、沖縄でそれぞれ展開するストーリーに登場する正体不明の男三人が、八王子で起きた殺人事件の犯人かもしれないと思わせてながら捩り合いながら展開する、という趣向で、三つの直接関係はない話がカットバックしながら進行するというのは何やら遥か昔1916年(100年前!)の「イントレランス」みたい。
不寛容に対して怒り、というやや抽象的だが生々しいモチーフ。

真犯人がわかって後のが関係なくなるか、というとそうではないので、それぞれ定住できない事情を抱えた人間と、それに対する生活者の側がともに抱えた鬱屈、やり場のなさから来る怒りという点で結びついている。ただ、着地とするとやや足元がふらつく感じはある。

カットバックが、それぞれ別々の場所と人間たちを交互に見せるという以上の、シャッフルされたイメージを新しく生み出している

手配写真がそれぞれの容疑者(松山ケンイチ、森山未来、綾野剛)のどれにも似ているように出来ているのは上手い。

ゲイが母親に対して子孫を残せないという後ろめたさを感じるというのは、吉田修一の初期作品「最後の息子」にもあったモチーフ。かなり一般的な悩みなのかもしれない。
沖縄の少女暴行シーンにしても、肉体に何ものかが刻み付けられる生なましさがある。
(☆☆☆★★)

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映画『怒り』 - シネマトゥデイ

10月4日(火)のつぶやき

2016年10月05日 | Weblog

「スーサイド・スクワッド」

2016年10月04日 | 映画
まず出だしのキャラクター紹介のくだりが本当に紹介だけでストーリーがろくすっぽ進展しないのに参る。
ジョーカーとハーレイ・クインがもともと訳ありの関係なのが敵味方に分かれたといった複雑な設定がいくつもあるのが、内容を深めるというよりストーリーラインをガタピシさせて締まらない。

この後も悪党どものチームが仲がいいような悪いような微妙なバランスで展開するがそれがスリリングなのかというと、どうもバラバラなままという印象が強い。

二人が同じ肉体に同居していて裏返るみたいに入れ替える表現はおもしろかったけれど、その分ラスボスとしての貫禄が弱くなった。

冒頭に出てくる性悪な看守がその後どんなにひどいしっぺ返しを受けるかと期待したら本筋では忘れ去られたように出番がなくなり、ラストで思い出したように処理されるだけなのも拍子抜け。

ヴィジュアルはケバさを強調している割に画面が暗くて思いのほか映えない。
日本風のキャラクターが日本語が変過ぎるし、もう少し恰好よくならないか。

音楽の使い方は予告編の方がいいぞ、というのが困る。「梟の城」の「移民の歌」ほどの落差はないが。
(☆☆☆)

スーサイド・スクワッド 公式ホームページ

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