prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

11月13日(火)のつぶやき その1

2018年11月14日 | Weblog

「十年 Ten Years Japan」

2018年11月13日 | 映画
五人の若手監督のオムニバス形式という点では同じ香港版の「十年」はあいにく見ていないのだが(台湾版・タイ版もある)、この日本の「十年」は十年後の日本を描くというテーマに対してまあ、五本とも揃いも揃ってディストピアを描いていてどうも気が滅入る。
それは今の日本から見れば未来予想は暗いに決まっているが、わざわざ映画で見せるものかと思う。

あと、未来予想というより今の単純な延長という感じで、ディストピアとしてもどうにも甘くて想像力の飛躍が足りず物足りない。
警告にも管理社会化に抗する力にもなっていない感じで、作者の方が管理される側から出ないで身の回りを描いているみたい。

今気づいたのだが、国際プロジェクトであるにも関わらず、五本の中に外国人が出てくるのが一本もない。
日本から出ていく方の移民がまた始まるくらいの話を誰かやって当然ではないか。金持ちが脱出するのと、貧乏人が出稼ぎに行くのと。

十年前というと、麻生内閣の時だったのだな。それから民主党政権になってまた自公政権になってと、激変ともいえるし立ち腐れがひどくなったともいえる。

二本目と五本目だけ画面がワイドスクリーン(シネマスコープサイズ)になるという不思議な仕様。強いてワイドにするほどの理由があったとも思えないが。

「十年 Ten Years Japan」 -公式ホームページ

「十年 Ten Years Japan」 - 映画.com

11月12日(月)のつぶやき

2018年11月13日 | Weblog

「ザ・アウトロー」

2018年11月12日 | 映画
原題はDen of Thieves(盗賊たちの巣窟)。

アメリカだと盗賊の方が警察より強力な火器を使っていることが珍しくなくて、ここでも装甲も貫通する強力な銃をぶっ放し、駆けつけてきた警察から逃げ回るどころか待ち伏せて返り討ちにする凄まじさ。

クライマックスの追跡で渋滞にひっかかった犯人たちと保安官たちが銃撃戦を繰り広げて、銃弾が鉄板をばんばん貫通してしまうような強力な銃を撃ちまくるものだから、ヤボかもしれないがよくまあ一般人を巻き添えにしないものだと思う。
もっとも一般人を巻き添えをするかどうかがキャラクター上のかなり重要な設定にもなっているので、気にしていいと思う。

そういう荒っぽい見せ場の一方で、かなりストーリーそのものは複雑にひねっていて、続編ができるらしいが、ここで終わっても続けることもできる終わり方。
ジェラルド・バトラーの奥さんが愛想をつかして出ていってしまうエピソードが尻切れトンボなのだけれどそのあたり続きでカバーするのかどうか。

「ザ・アウトロー」 -公式ホームページ

「ザ・アウトロー」 - 映画.com

11月11日(日)のつぶやき その2

2018年11月12日 | Weblog

11月11日(日)のつぶやき その1

2018年11月12日 | Weblog

「マイ・プレシャス・リスト」

2018年11月11日 | 映画
原題はCarrie Pilby。ヒロインの名前。
アメリカ映画やテレビには割と名前だけというタイトルがあるが、日本では名前だけでは誰なのか何のことだかわからないと思ってか、ついた横文字風邦題がこれ。

ヒロインは飛び級で14歳でハーバード大学に入学して18歳で卒業という大秀才で、作中で重要なモチーフになるJ・D・サリンジャーの「フラニーとゾーイー」というのが兄弟全員神童という「グラース家物語」というべき長大なサーガの一部なのとつながってくる。

秀才で社会不適応者ということなのだろうが、日本だと引きこもりになりそうなところ、実のところ周囲の人物もニューヨークという土地柄もあってかそれぞれ結構ヘンで特に浮いた感じは薄い。ヒロインが勝手に騒ぎながら離れていくみたいで、はっきりコメディとして作っている感じ。

回想で描かれる不適応になった理由らしきエピソードはあらずもがなという気はする。

「マイ・プレシャス・リスト」 公式ホームページ

「マイ・プレシャス・リスト」 - 映画.com

11月10日(土)のつぶやき その2

2018年11月11日 | Weblog

11月10日(土)のつぶやき その1

2018年11月11日 | Weblog

「一万三千人の容疑者」

2018年11月10日 | 映画
いわゆる吉展ちゃん誘拐殺人事件を扱った実話もの。ただし、人物の名前はすべて仮名になっている。

誘拐されたのは1963年3月31日、逮捕されたのが1965年、主任刑事・堀隆次の原作本の手記が出たのが翌66年2月、映画の封切りが同年の9月8日だから相当な早業。
伊福部昭の荘重な音楽ですいぶんシリアスな調子になったが、キワモノと言われる(実際そうだが、それで悪い理由はない)のを恐れてか、当時の東映社長だった大川博の名前でこのような犯罪が二度と起きないようにするためにこの映画を作った云々の断り書きの字幕が出る。

冒頭、芦田伸介の刑事が聞き込みで子供に「便所でいなくなったんだね」というセリフの「便所」に微妙に時代が出る。今だったら「トイレ」だろう。そういえば、今あまり「W.C」とは言わなくなっているのではないか。

身代金が50万円という金銭価値や、東京オリンピックの実写がはさまるといった大文字の時代背景だけでなく、同時代でないと撮れないなんでもないような背景のディテール全般に時代色、空気が出ている。

そういえば同じ60年前後に作られた「警視庁物語」シリーズがあまり見る機会がないのはなぜだろう。たぶん似た感じだと思う。
助監督に「不良番長」シリーズやテレビの「特捜最前線」などを監督する野田幸男の名が見える。

犯人からの電話を逆探知するのに1分53秒でもムリというのも時代。今だったら五秒とかからないらしい。

犯人役が井川比佐志で虚言壁があってどこまで本当のことを言っているのかわからないのをそれらしてやっている。

後のテレビドラマ版では泉谷しげる(これで役者として注目された)が犯人役で、監督の恩地日出夫の講演で聞いたのだが、子供を殺すところのイメージがどうしても湧かなくて犯人の背後から具体的にどうやっているのか見えないように演出したと語っていた。

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11月9日(金)のつぶやき その2

2018年11月10日 | Weblog

11月9日(金)のつぶやき その1

2018年11月10日 | Weblog

「日日是好日」

2018年11月09日 | 映画
監督脚本・大森立嗣。デビュー作の「ゲルマニウムの夜」の凄惨で陰惨な暴力描写から茶道とはまたえらい遠くに来たもの。

茶道というと利休を扱った映画はいくつもあるが、現代の女性のお稽古ごとになった茶道を扱った映画というのはたぶん初めてだろう。
誰でも知っているし、学んでいる人もかなり身近にいそうなのに映画にしようとした人間がいないというのは、一種の盲点をつかれた感。

そして茶道の美意識というのはかなりいわゆる「日本的」な静謐で端正で型を重視した美意識の典型でもあるから、いざ見せられると案外とっつきやすく、時代劇の利休映画で見るような肩肘はった感じは薄い。
映画で見ている分には足が痺れることもなく、座敷や道具やお茶菓子や所作の美しさを楽しめるという次第。

黒木華がしきりと自分が何者でもないというコンプレックスを抱えている役なのだが、ひとつことをずっと続けていくと茶道をきわめるようになるわけでもないのに十年という時間がいつのまにか積み重ねった手ごたえが残り、確実に何者かにはなっていく、というより見つけていく。

利休は生えている竹を切って茶室に置いてそのまんまで茶器に見立てたというが、樹木希林の演技、というより存りようはそのままで名品になってている感。

封切されて三週間以上たっているのに年配客でほぼ満員。

「日日是好日」 公式ホームページ

「日日是好日」 - 映画.com

11月8日(木)のつぶやき その2

2018年11月09日 | Weblog

11月8日(木)のつぶやき その1

2018年11月09日 | Weblog