prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2月9日(土)のつぶやき その1

2019年02月10日 | Weblog

「チワワちゃん」

2019年02月09日 | 映画
遊びまくって人気者に見えた女の子、通称チワワちゃんが突然殺され、その子について「友だち」の一人門脇麦が遊び仲間たちに聞いてまわる。

しかし、正直いって「羅生門」みたいに各人に写るチワワちゃん像が食い違い対立するというわけでもなく平板で曖昧な人物像が重なるだけで、第一遊び仲間たちがどれも似たよったりで平板で曖昧。

それが現代なのかどうか、端的に言ってキャラクターのデッサン力不足で、映像的にも腰の据わらない文字通りディヒュージョンがかかってぼんやりした手持ちカメラに狙いのはっきりしないカッティングと、対象に迫ったり切りこんでいく力そのものがどうにも不足していて退屈した。

「チワワちゃん」 - 公式ホームページ

「チワワちゃん」 - 映画.com


2月8日(金)のつぶやき その2

2019年02月09日 | Weblog

2月8日(金)のつぶやき その1

2019年02月09日 | Weblog

「ナチス第三の男」

2019年02月08日 | 映画
原作小説の「HHhH プラハ、1942年」はラインハルト・ハイドリヒとその暗殺者をものすごく執拗に周辺を含めて描いた小説らしいが、映画の方は「暁の七人」「ハイドリヒを撃て!」といった先行作品とかなり被る。

ただ前半ハイドリヒが女遊びが過ぎて軍法会議にかけられ婚約破棄になってもおかしくないところをロザリンド・パイクの婚約者が結婚を承諾することで救われるが、パイクがナチス党員で影響を受け「出世」のために合理的な実務能力を生かすという描写のあたりは新しい捉え方をしている。

正規軍の将軍は虐殺専門のハイドリヒを嫌うが、未成年の少女を買春している情報をつかまれて協力させられるあたり、自分の失敗を応用して軍に復讐しているようで陰険。
パイクが出てくるなりファックしている(今どき)ボカシがかかる描写などからして性的な面からハイドリヒに迫るのかと思うとそれほどでもなかった。

ただ暗殺に関わる描写になるとこれまでの繰り返しになるし、暗殺されたのがハイドリヒの一番有名なところだからいい加減なところで切るわけにもいかず「主人公」が死んでしまった後のナチスの報復が蛇足気味になる構成上の欠点は覆いがたい。

ハイドリヒが家庭では、特に息子に対してはいい父親というのはむしろルーティンで、テレビのミニシリーズ「ホロコースト」でマイケル・モリアーティがやっていた平凡な男がナチスで出世していくにつれ残虐になっていく、あるいは残虐さに無感覚になっていくほどの幅は乏しい。

跪かせておいて後ろから銃を撃つと共に大勢のユダヤ人たちの胸に穴が開き血が噴き出すのをカットを割らずフルショットで捉える虐殺の描写はリアルだが、頭を撃たないのだろうかとは思った。
「シンドラーのリスト」で頭を撃たれた人間が瞬間にモノになってがしゃっと崩れて落ちる描写と、ほんのちょっとしか違わないのだが怖さは大きく違う。

子供の目の前で父親を拷問して口を割らせるなど、毎度のことながらナチスというのはどれだけ人間が非人間的になれるかの見本市のよう。

「ナチス第三の男」 - 公式ホームページ

「ナチス第三の男」 - 映画.com

2月7日(木)のつぶやき

2019年02月08日 | Weblog

「夜明け」

2019年02月07日 | 映画
新宿ピカデリーは新宿地区では一番の古手のシネコンだが、昔だったら単館公開するようなタイプの日本映画を連続して公開していて、これがなかなかの収穫が続いている。

「二階堂家物語」とこれとを続けてみたら、共に事故で息子を亡くした父親が息子の代理を探す話になっているのが偶然にせよ、受け継いでいくものが失われているこの国の(あるいは世界の)状況の反映ということだろう。

背景に見える文字から千葉らしいけれど、何かひどくがらんとして感じ。最近の地方を舞台にした日本映画はだいたいそうだ。

正直、役者はいいけれど映像的にはいまいちで大画面で見るにはちょっとつらい。

公衆電話に十円玉を何枚も置いて電話をかけるという図をずいぶん久しぶりに見た。

「夜明け」 - 公式ホームページ

「夜明け」 - 映画.com

2月6日(水)のつぶやき

2019年02月07日 | Weblog

「二階堂家物語」

2019年02月06日 | 映画
日本を舞台に登場人物もほとんど日本人だが、イラン出身の監督をはじめ、脚本も撮影もおそらくイラン人。
それでいて、画面に違和感がまったくない。

奈良が舞台(というより自治体も人も含めてこの映画自体の製作の母体になっている)で、旧家の木造建築の重量感と質感、日本家屋独特の光の諧調などが見事に出ている。
奈良という文字が画面の後ろの方の看板にちらっと写るが、いかにもな名所の紹介がかった見せ方をしていない。

その中で息子を事故で失ったため男の子を作らないと家が絶えてしまう、といういささか時代錯誤な感じすらする悩みを抱えた主人公を、加藤雅也みたいに日本人離れした長身で彫りの深い顔立ちの人が演じるのがおもしろい。

跡継ぎがいない人が種子会社の社長をしているというのがアイロニカルで、初めの方に種無しカボチャならぬ種ありカボチャを画面で見せすらする。
ラスト近くで小津安二郎の「東京物語」のセリフをそっくりそのまま再現するところといい、すました顔でユーモアを出していると思しい。

田中要次と息子の町田啓太の両方とも加藤の会社の社員で、同時に田中と加藤は開発に伴う土地の売却に関わっているというあたり、地方の煮詰まった人間関係がわかる。

加藤が再婚していささか遅いが改めて男の子を作るという迂遠な案は措いて、娘の石橋静河の結婚相手を養子に迎えるのか、というよりその前に相手がいるのか、どんな相手なのかを順々にわからせていくプロセスが練れていて静かなタッチだが飽かせない。
母親の白川和子がなんともいえず生々しい。

悩みの種は尽きないが、会社の社長らしく命令する時は甘い顔を見せずびしっと命令するところを見せるのがメリハリが効いている。

雨の音、鐘の音など自然音が繊細につけられている。

今さらだけれど石橋静河の鼻の形が母親の原田美枝子そっくり。

「二階堂家物語」 - 公式ホームページ

「二階堂家物語」 - 映画.com

2月5日(火)のつぶやき

2019年02月06日 | Weblog

「天才作家の妻 40年目の真実」

2019年02月05日 | 映画
「生きる者の上にも、死せる者の上にも雪は降り積もる」とジョナサン・プライス扮する作家がしばしば朗読するのはジェームズ・ジョイスの「ダブリナース(ダブリン市民)」のうち映画化もされた「死せる者たち(ザ・デッド)」のラストで、手にする本の中にやはりジョイスの「ユリシーズ」がある。
だからクライマックスの締めくくりの窓の外には当然のようにそれまで降っていなかった雪を降っている。

ユリシーズとは長く世界を巡った末に妻のもとに帰る英雄オデッセウスのことで、クリスチャン・スレーターが父親に無理やり読まさせたと語る「イーリアス」は「オデッセイアー」と共もにギリシャ叙事詩の双璧。
スレーターとプライスの出発点が近い(が、違う)のを端的に示しているということだろう。

「愛を読む人」でも主人公が最初に読む本は「イーリアス」だったような気がする。あちらでは一種の定番なのだろうか。

オデッセウスの長い(自分勝手な)旅をした末に妻の元に戻るキャラクターとプライスと妻グレン・クローズのキャラクターがだぶらせているのかもしれない。

ワンシーンだけ出てくる先輩の女性作家がエリザベス・マクガヴァン。「ダウントン・アビー」の伯爵夫人とはまたえらい対照的なささくれた雰囲気。

作家周辺の話だから当然とはいえ、二大名優のゆったりしてニュアンス豊かなセリフのやりとりの中に、プライスの下品な単語が混ざる違和感がつまりこの「作家」の本質を出す。

「天才作家の妻 40年目の真実」 - 公式ホームページ

「天才作家の妻 40年目の真実」 - 映画.com

2月4日(月)のつぶやき

2019年02月05日 | Weblog

2月3日(日)のつぶやき その2

2019年02月04日 | Weblog

2月3日(日)のつぶやき その1

2019年02月04日 | Weblog

「戦艦ポチョムキン」

2019年02月03日 | 映画
スクリーンで見るのはずいぶん久しぶりだが、やはり面白い。社会主義国が事実上消滅してもなお面白い。社会主義が登場する基盤になった持てる者と持たざる者との隔絶は一向になくなっていないのだから。

前半で帆布を見せしめに処刑しようとする水兵たちにかけて個々の「顔」を消してしまおうとするのに一人の水兵が敢然と反旗を翻すところから叛乱が始まるのだが、終盤の他の戦艦との戦闘準備では再びほとんど個々の顔は消失して戦艦のメタリックな物質感が画面の大半を占め、ハードで無機質な機械の感触には少し前のイタリアの未来派のような美的感覚がある。

前半では全体から個に向った、後半では個から全体へと、方向としては逆なのだが画の構成としては近似するのが、(ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために)という個と全体の止揚ということになるのだろう。
モンタージュ理論があまりに有名なのだが、個々の映像の造形美と迫力もまた今も色あせない。

両脚のない男や赤ん坊などをオデッサの階段に入れて、リアルな調子の中で虐殺の残酷さを強調するデフォルマシオンを混ぜる技法。

二本立て名画座の早稲田松竹は途中入場可だが、二重扉を採用して場内を真っ暗に保つようにしている。実は今みたいにきれいに改装する前から場内の暗さにはこだわっていて、最初に途中入場した時あまりに暗いので立ちすくんだもの。

予告編がないのは物足りなかったが、余計なCMや映画泥棒が流れないのはまことに結構。