prisoner's BLOG

私、小暮宏が見た映画のノートが主です。
時折、創作も載ります。

2月15日(金)のつぶやき

2019年02月16日 | Weblog

「7 Stories」

2019年02月15日 | 舞台
俳優座演劇研究所30期生修了公演

作 モーリス・パニッチ
訳・指導・演出 田中壮太郎

ビルの7階の張り出しに一見して自殺志願とわかる男がに立っていて、その背後の窓それぞれの中の住人が入れ替わり立ち替わり顔を出しては男とやりとりするのだが、全員男を救おうとするでもなく揶揄するわけですらなく、ひたすら自分たちの事情から一歩も出ずに勝手なことを言い勝手なことをする。

それらのスケッチの中から人の生死の間に立っているという点では同じキャラクターが自然に現れ、芝居でないと不可能な飛躍を大詰めで見せる。
しかしこういう設定も舞台ならできるのだなと思わせる。

コメディかと思ったら、人生のスケッチと生きる意味あるいは無意味をかなりまじめに描いた芝居。
窓から顔を出したらひっこめたりする芝居が多いので、ときどきセリフが聞き取りにくくなるのは難。


2月14日(木)のつぶやき

2019年02月15日 | Weblog

「メリー・ポピンズ リターンズ」

2019年02月14日 | 映画
久しぶりにディズニー製の平面アニメを見た気がする。
正編のアニメとの合成は当時としては最高度の技術だったろうけれど今だったらもっと高度な技術を見せつけることもできたろうが、合成の対象が海の中であったり器に描かれた絵といった立体であっても3Dに寄せないで正編に近いルックでまとめているのが伝統というか連続性を大事にしていて好ましい。

正編の煙突掃除夫のダンスはガス燈をつけたり消したりする人(日本では点消方といったらしいが、イギリスでは何というのだろう)のハシゴを生かしたダンスに、とやはり連続性を持たせながら振り付けも撮り方も強いて前作との違いを打ち出さず、それがミュージカルらしい明るさにストレートに結びついた。
昨今はミュージカルといってもどこかしら暗さやひねったところが混ざるが、前作との結びつきが逆に希望や明るさにつながっている。それが最高潮に達するのがクライマックスの趣向。

エミリー・ブラントの喋り方、声質やアクセントがまるっきりジュリー・アンドリュースそっくりでびっくりした。

強いて残念なところを言うなら、歌曲が前作ほどにキャッチーで覚えやすくはないことだろうか。ところどころに前作の曲が小さく流れる分、かえってそう思えてしまう。

「メリー・ポピンズ リターンズ」 - 公式ホームページ

「メリー・ポピンズ リターンズ」 - 映画.com

2月13日(水)のつぶやき その2

2019年02月14日 | Weblog

2月13日(水)のつぶやき その1

2019年02月14日 | Weblog

「私が愛した渥美清」 秋野太作

2019年02月13日 | 
よくある寅さん本かと思って読んだら、かなり様子が違う。
何よりもこれは、映画の寅さんではなく、テレビドラマの寅さんの方をメインにしている。

テレビドラマ版の「男はつらいよ」は芝居を通しで一気に撮る方式なので、渥美清が最も得意とするアドリブの冴えが生きた、有名な「てめえ、さしずめインテリだな」というセリフは映画でのアドリブではなく、テレビドラマ版のアドリブをセリフにしたもの、と著者は主張している。

残念ながら肝腎のテレビドラマ版が第一話と最終回だけしか残っていないので確かめようがない。

著者は寅さんの弟分の登をやっていたドラマのレギュラー出演者なのだが、映画化されるにあたっては渥美清の他はおいちゃん役の森川信と著者のふたりだけがドラマから異動して後はキャストは全とっかえになった、つまり両者をつなげて見られるほとんど唯一の人間ということになる。

もちろん他に山田洋次がいるわけだが、山田に対する見方は相当厳しい。
ドラマ版の寅さんははっきりヤクザであり、映画に移すのにあたってその側面が薄れたこともあるが、それ以上に最終回で寅さんがハブに噛まれて死ぬというひどく唐突な展開に抗議が殺到して映画化に踏み切ったという山田の主張、あるいは定説に著者は異を唱える。

おそらくテレビで受けたのを受けて映画化するのを決めたのが先で、テレビドラマ版の寅さんが唐突に死ぬのはドラマの演出家の小林俊一が映画に引き抜かれるのを納得できず半ば抗議の意味でやったものだという解釈が提示される。
小林の名前は映画版でも「企画」のクレジットでずっと出続けたが、小林の功績が不当に小さく見られている、ひいては映画に対してテレビを低く見ているという憤懣が出ており、山田組の撮影現場の雰囲気もひどく堅苦しくて暗いとぶつぶつ言っている。
こういう形で寅さん、あるいは山田洋次に不満を漏らした本も珍しい。

いずれにしても、生の渥美清がとばしていたであろうアドリブのギャグをその場で見聞きするのは叶わないのが口惜しい。

小林信彦が「おかしな男」で描いた気難しい渥美清像にひどく怒っているのだが、皮肉なことに結果としてそんなに変わらない。


2月12日(火)のつぶやき

2019年02月13日 | Weblog

「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」

2019年02月12日 | 映画
ケヴィン・スペイシーをずいぶん久々に見たような気がしたが、セクハラ&パワハラの告発を受けた「ハウス・オブ・カード」「ゲティ家の身代金」などの降板が続いたからでそれほど間が空いたわけではない。

で、困ったことに(というのも変だが)上手いのだな、やはり。
サリンジャーの大学での教師にして最初に短編を採用した雑誌編集者の役で、教師というより導師という風情で作家としての教えを授けるところから「ライ麦畑でつかまえて」で大成功を収めたサリンジャーに売れなくなった雑誌の序文を頼みにくる落魄した感じまで幅の広い変化を的確に表現している。

有名になるにつれてストーカーみたいなファンが待ち伏せするようになるあたりの落ち着かない感じや、成功したにも関わらずますます孤独に閉じこもる描写はやや駆け足な展開で落としどころがなくて普通にまとめた感じ。「ライ麦…」のホールデンはもちろんサリンジャーの分身ではあってもそのものではないわけで、中途半端な感じは否めない。
スペイシー扮するウィット・バーネットの視点から見た、困り者だけれど物は見えている人間であるサリンジャー(ひいてはホールデン)を描くという方法もあるかなと想像した。

ユージン・オニールの娘でチャップリンの最後の妻になったウーナ・オニールの登場などあまり生かされていない。

「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」 - 公式ホームページ

「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」 - 映画.com

2月11日(月)のつぶやき

2019年02月12日 | Weblog

「フロントランナー」

2019年02月11日 | 映画
主人公のゲイリー・ハートは大統領候補なのだから当たり前のはずだが、移動時間でもまめに政策についてのメモを書いている。腕時計をしている左手で書いているので調べてみたらヒュー・ジャックマンは左ききなのだが、役のゲイリー・ハートはどうだったのだろう。今の政治家だったら選挙対策ばかりでその後どうするのか、まともに考えているのかと思ってしまう。

ハートだけでなく周囲のスタッフ、記者たち、それも高級紙とゴシップ誌の双方にわたってキャスティングが知名度とは別にみっちり目が詰まったようにそれぞれの役を果たしていて、毎度のことながらアメリカの役者の層の厚さを見せつける。

ジャックマンがやっていると自然に好感度が上がりそうなのを抑えて選挙戦ですらやたら愛想を振りまかず何かバリアを張っているような感じを出した。
一人に集中せず他のキャラクターたちの立場や感情もすくいとっているわけだが、その分単純に特定の人物に感情移入して見ていけばいいわけではないので、視野の広さとひきかえにややとっつきにくくなった。

必ずしも記者たちが全部頭からゴシップを追うわけではなく、優先順位がおかしくないですかと正論を唱えていた黒人記者が記者会見でゴシップの核心を質問するに至るメディア内部の競争、力学といったものがかなり出ている。

アルフレッド・モリーナが、これまでの「大統領の陰謀」のジェースン・ロバーズ、「ペンタゴン・ペーパーズ」のトム・ハンクスとは外観だけでなく相当にジャーナリストとしてのイメージが違うワシントン・ポストのベン・ブラッドレー役を演じているのがおもしろいところ。

「フロントランナー」 - 公式ホームページ

「フロントランナー」 - 映画.com

2月10日(日)のつぶやき

2019年02月11日 | Weblog

「サスペリア」

2019年02月10日 | 映画
一回見ただけではわからない、という性格の映画なのだろうが、ドイツ赤軍、ナチス、精神分析、舞踊など何枚ものカードを並べて、美術、バレエの振り付け、音楽とそれぞれ高度な仕事をしているのだが、それが全体としてどんな「手」を作っているのかよくわからない。というか、「手」ができているのかどうか、よくわからない。

ここまでオリジナルと違うリメイクも珍しいだろう。小説などの原作の一部のアイデアだけもらって完全に別物に仕立ててしまう映画化に近い。

「サスペリア」 - 公式ホームページ

「サスペリア」 - 映画.com


2月9日(土)のつぶやき その2

2019年02月10日 | Weblog