書評とはなんだろう。これは前回の記事にも書いたように、「書を評する」ということが基本になるが、これだけでは曖昧模糊としているのではないか。書評に近いものとして感想文があるが、それでは書評と感想文はどこが違うのだろう。
これも人によって定義は様々である。要するに、きちんとした境界線などはありはしないのだ。ネットで調べてみると、書評は客観的で感想文は主観的なものだというものが結構多かったような気がする。しかし、考えてみればわかるように、書を評価する場合には必ず読者の価値判断が入ってしまう。自然科学系の論文を書くのとは異なり、書評には、主観が入らないものなんて存在しない。
しかし、書評と感想文は、一つだけ違うところはある。書評とは、著者と対等の立場で本と向き合ってその本の価値判断をする。だからいい本はそのように評価するし、そうでない本はそれなりの評価となる。しかしそれはあくまで評者の価値観からくるもので、人によっては180度違った評価が下されることもある。これは、文学に限らず芸術作品が、作者の生前は全く評価されなかったが、死後ものすごく高く評価されるようになった例がいくらでもあることから理解できることと思う。これに対して感想文は、作者よりの姿勢で、共感を示しているようなものが多い。ただ、感想文のようなものでも、面白かった理由がどこにあったのかはっきりしていれば、それは一種の書評と言えないこともない。このように書評と感想文の間にきちんとした境界を引くのはむつかしいのだ。
もっとも、単にミーハー的にキャーキャー騒いでいるような感想文だと、さすがに書評とは区分されるものであると言わざるを得ない。価値判断を下すにはそれなりの理由が必要なのだ。
○関係過去記事
・書評の書き方(初級編1)
これも人によって定義は様々である。要するに、きちんとした境界線などはありはしないのだ。ネットで調べてみると、書評は客観的で感想文は主観的なものだというものが結構多かったような気がする。しかし、考えてみればわかるように、書を評価する場合には必ず読者の価値判断が入ってしまう。自然科学系の論文を書くのとは異なり、書評には、主観が入らないものなんて存在しない。
しかし、書評と感想文は、一つだけ違うところはある。書評とは、著者と対等の立場で本と向き合ってその本の価値判断をする。だからいい本はそのように評価するし、そうでない本はそれなりの評価となる。しかしそれはあくまで評者の価値観からくるもので、人によっては180度違った評価が下されることもある。これは、文学に限らず芸術作品が、作者の生前は全く評価されなかったが、死後ものすごく高く評価されるようになった例がいくらでもあることから理解できることと思う。これに対して感想文は、作者よりの姿勢で、共感を示しているようなものが多い。ただ、感想文のようなものでも、面白かった理由がどこにあったのかはっきりしていれば、それは一種の書評と言えないこともない。このように書評と感想文の間にきちんとした境界を引くのはむつかしいのだ。
もっとも、単にミーハー的にキャーキャー騒いでいるような感想文だと、さすがに書評とは区分されるものであると言わざるを得ない。価値判断を下すにはそれなりの理由が必要なのだ。
○関係過去記事
・書評の書き方(初級編1)