文化が織りなす世界の装い (シリーズ比較文化学への誘い) | |
クリエーター情報なし | |
英明企画編集 |
・山田 孝子, 小磯 千尋ほか13名
本書の内容を一言で表せば、「装い」の文化人類学といったところか。3つの座談会と7つの論考により世界の装い文化が紹介される。本書中になかなか興味深い疑問が示されている。紹介すると共に私の考えを述べよう。
1.人はなぜ装うのか(pp27~50の論考)
これにはいろいろな目的があると思うのでそれを列挙してみたい。
①実用のため
例えば、寒冷地などでは体温保持のために服を着ないと凍死してしまうだろう。紫外線除けのために女性が長袖などを着ているのはよく見る風景だ。また、作業時にはそれに適した服装にしないと事故につながる。
②顕示のため
要するに自分は偉いんだとか、金持ちなんだということを誇示するためだ。
③異性を引き付けるため
君は、デートのときに、彼女がミニスカートを穿いているのともんぺを穿いているのと(いるのか?)、どちらがうれしいかな(笑)。異性が存在しないとしたら、男女ともおしゃれなんてしないんじゃないかな。
④自分たちのアイデンティティを示すため
制服などはこれに含まれるだろう。民族衣装などもこれに含まれると思う。
本書には①に関する記述が多い。「裸のサル」と言われる人間が、服を着ることによって環境に適応し、その過程で服に適した素材を発見してきたことは確かだろう。また、④の視点からの記述もあるが、その他の観点も忘れてはならないと思う。
2.何をもって「装い」とするのか
世界の「装い」文化について考えるうえで押さえておくべきことのひとつに、「何をしたら装っていることになるのか」というものがあります。世界の民族誌をみれば、腰巻だけ、あるいはペニス・ケースだけを付けて暮らしている民族もいますね。それもまぎれもなく「装い」であるわけです。(p70)
これは、一般的な基準はなく、その文化や社会システムによるとしか言えないだろう。周りがみんなそのように装っていれば特に何とも思わないだろうが、もし日本でやったら、変態として即逮捕されると思う。
興味深かったのは、インド女性の民族衣装である「サーリー」。地域や出身ジャーティ(インドのカーストを構成する要素のひとつ)により色々な着方があることを初めて知った(pp156-157)
アフリカやインド、オセアニアなどの伝統的な衣装の話が多いのに最後の章が「加賀友禅」の話になっているのは、どうも違和感があると思ったら、著者に金沢星稜大学の教員が多いからそうなったのだろう。
☆☆☆☆