日本におけるミステリーの歴史について概説した
「日本ミステリー小説史」(堀啓子:中公新書)。私の持っているものに付いている帯には、「なぜ日本はミステリー大国になったのか?」と書かれている。確かに、最近の小説には、多かれ少なかれミステリー的な味付けがしてあるものが多く、この問題はなかなか興味深い。
まず、「ミステリー」とは何か。本書によれば、一般には、「謎を論理によって解明する操作をおもな筋とする小説」と定義され、謎や秘密を解明するために、「時間を遡って考える」ことを特徴とするものという。その源流といえるような話は、既に聖書やギリシャ神話に見られるとようだが、よく知られているように、一応はポーの「モルグ街の殺人」が世界初のミステリーということになっている。
日本には、大岡政談のような裁判ものはあったが、元々ミステリーというものはなかった。ミステリーの歴史は、外国作品の翻訳から幕を開けたのである。最初の翻訳ミステリーは、神田孝平という人が訳した「楊牙児の奇獄(よんげるのきごく)」という作品らしい。聞いたこともない作品だが、森鴎外の「雁」の中でも触れられているという。
この翻訳ミステリーを世の中に普及させた立役者が黒岩涙香だ。彼は多くの外国ミステリーを翻訳して新聞に連載し、ブームを巻き起こした。もっとも、彼は忠実な訳にはこだわらず、原文の趣意だけ取って、細かいところは西洋のことを知らない日本の読者が読みやすいように変えたというから、翻訳というよりは翻案に近かったのかもしれない。
これに影響されて、多くのミステリーが日本に紹介されたが、明治26年をピークにして、いったん衰退し、大正7年ごろまでは、ミステリー冬の時代だったようだ。この時代にミステリーを支えたのが、意外にもあの谷崎潤一郎なのである。耽美な作風で知られる谷崎だが、この時代、ミステリー色の強い作品も手掛けており、「探偵小説中興の祖」称されているという。
そして、大正末期には、江戸川乱歩が登場する。彼は、ミステリーと言えば翻訳ものという時代に、日本の創作作品のすばらしさを証明した人であった。さらに、横溝正史、甲賀三郎、夢野久作などの多くのミステリー作家が登場し、この流れが、高木彬光、松本清張らへと続いていく。
本書は、このように、我が国におけるミステリーの歴史をたどることができ、ミステリーファンには興味深い内容なのだが、愉快な話も色々と紹介されている。例えば、明治期における翻訳ミステリー時代には、西洋のことをあまりよく知らない読者に読ませるための苦労があったのだが、これが爆笑ものなのである。ある恋愛小説では、登場人物の名前を発音が近い日本の名前に直していた。ヒロインは、ドラという美少女だが、これを虎と訳したため、こんな珍場面が出てくる。恋人が彼女の名前を聞いたときのセリフだ。「其方の名は虎・・・・・・・・・・・・可愛らしい名だ子(ネ)、本統に好く其方に似合って居る、名だけでも可愛らしい」(p87)。名前が虎では、美少女というより、落語に出てくる長屋のおかみさんだ。
水田南陽訳によるホームズシリーズの名作「赤毛組合」もすごい。赤毛が日本人になじみがないということで、なんと禿頭に変えられているのだ。「夏の或日に私は何気なく、大探偵の客間に這入つて往くと、大探偵はしきりに三十燭光位な、禿頭老人と密談している・・・・・・」(p149)。もはや、原作の雰囲気は木端微塵だが、これはこれで、読んでみたいような気もする。
もうひとつ面白かったのが、明治の文士たちのイケメンぶりについて書かれたところだ。尾崎紅葉を総帥とする硯友社には、川上眉山をはじめとして美男が揃っており、彼らが通りかかると、若い女性たちの花道ができることもあったという。彼らの写真も載っているのだが、明治のイケメン基準は現代とだいぶ違うようだ。これなら、私の若いころの方が・・・(以下略)。
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