「日本人が「世界で戦う」ために必要な話し方」:北山 公一
著者が、自らの15年間の勤務経験を基に、グローバル企業での働き方を語った「日本人が「世界で戦う」ために必要な話し方」(北山 公一:日本実業出版社)。当たり前のことだが、日本と欧米との文化の違いは、そのワークスタイルにまで影響してくる。
日本は、「和」というものが重視され、議論をするということはあまり好まれない。会議をするにしても、活発な議論など望むべきもなく、大抵は事務局が作った案を承認するために開かれるようなものだろう。仕事の仕方にしても、責任と権限が曖昧であるばかりでなく、会社と個人の境界というのもはっきりしない。しかし、これはグローバルな目で見れば、極めて非常識なものだ。
グローバル企業の特徴は、多様性を大切にするということだろう。多様性をリスペクトしたうえで、それに迎合することなく、自分の主張を、明確な理由をつけて述べることが求められる。自分の主張をはっきり言わないと、無能だと思われてしまうのだ。
組織的なこともはっきりしている。基本は直属の上司にのみ気を使っていればよいという。その関係は、日本よりウェットで厳しいが、あくまで仕事と直接関係のある部分でのみだ。仕事を離れれば対等の関係だし、それは社員と会社との関係や、会社と顧客との関係においても同様である。同僚や上司と仕事が終わってから飲みに行くノミニュケーションという習慣などはなく、ワークライフバランスというものが大切にされている。
これらの違いは、やはり、「個」を尊重する文化かどうかという違いによるものだと思う。日本では伝統的に、「お国のため」、「お家のため」、「会社のため」(本当は誰か権力者のためという場合が多いのだが)という考え方が重んじられてきた。最近では、さすがに「お国のため」、「お家のため」ということはあまり言わないだろうが、「会社のため」ということはよく聞く。しかし、かってのように、一度会社に入れば、定年まで面倒を見てくれることは無くなった。リストラ、役職定年、上がらない給料など、社員を「人材」などと言葉だけは呼ぶが、実態は「コスト」としか見ていない企業が多いのではないか。
おまけに最近は、企業にとって都合の良いところだけはグローバルスタンダードを主張するようなところも出てきた。しかし、基本となる「個」の尊重というところは極めてお粗末だ。だから、休暇の取得率が低かったり、接待ゴルフなどに駆り出されたり、サービス残業が問題になったりするのだろう。これでは、優秀な人材は、みんな外資系に流れて行けと言っているようなものではないだろうか。
ところで、本書の表題は「話し方」となっているのだが、実際にはそれに留まらず、我が国と欧米系企業の文化の違いというものが分かりやすく述べられている。本書を読むと、我が国の企業の将来性ということについて、色々と考えさせてくれる。
※本記事は、
「本の宇宙」に掲載したものの写しです。