・倉本 一宏
・中公新書
蘇我氏という一族について聞いたことがないという人はそれほどいないだろう。古代社会において、大王家をしのぐほどの権力を持ったが、独断専横が目立ったために、正義の味方である中大兄皇子と中臣鎌足によって討たれた。世にいう乙巳の変である。このようなイメージを持っている人も多いのではないだろうか。
しかし、それらはすべて日本書紀という、権力闘争の勝者が書いた歴書によるもの。本当の姿以上に蘇我氏を悪者にしていたことは想像に難くない。この反動か、最近では蘇我氏を評価するようなものも時折目にする。
古代豪族として、並びない権力を誇った蘇我氏。しかし、あまりにも権力を持ち過ぎたためか、時代の流れの中で衰退していき、歴史から消え去っていったように思える。いったい蘇我氏とは何だったのか。蘇我氏はなぜ衰退していったのか。本書はその蘇我氏の興亡史とも言っても良いだろう。
蘇我氏の出自は諸説あるようだが、本書は、奈良の葛城地方を根城とした葛城集団の中から主要な集団が独立したものが蘇我氏であるという立場をとっている。なお、かっては蘇我氏渡来人説というものがあったが、本書ではそれを一笑に付し、蘇我氏の実質的な始祖は蘇我稲目(馬子の父)だとしている。
たしかに、乙巳の変で蘇我総本家は滅んだ。だが、書記によれば、あまりにもあっさりと蘇我総本家は滅んでいる。入鹿が殺されたからといっても、まだ彼らは相当の力を持っていたはずだ。かって武人の家である物部氏相手に勇壮に戦った彼らが、大した抵抗もせずに滅びているというのは、少し信じがたい。なぜ徹底抗戦しなかったのか。これは、蘇我氏が滅ぼしたことになっている山背大兄王子(聖徳太子の王子)の一族が滅びた際にも当てはまるのだが、日本書紀の記述は、滅ぼされた側があまりにも物分かりが良すぎて、気持ち悪さを感じてしまう。上に書いたように、書記は勝者の立場から書かれた歴史書だ。これらの事件には、何か大きな秘密が隠されているような気もするのだが。
ところで、乙巳の変で滅んだのは、蘇我総本家だけだ。その他の一族は残り、蘇我氏氏上の座は、一族の蘇我倉氏に移った。しかし、その蘇我倉氏も最初に権力を握った石川麻呂が弟の讒言によって滅んだ。まさに骨肉の争いであり、古代社会の権力闘争のすごさを垣間見たような気になる。
その後も蘇我氏は有力氏族として生き残ったが、次第に藤原氏にとって代わられる。蘇我氏は、かってのように高位高官を出す家ではなくなり、下級役人しか出せない一族の地位にまで衰退していったのである。しかし、下級役人に甘んじながらもしぶとく歴史の中を生き延びていった。
本書には、そのような蘇我氏の興亡について、蘇我氏同族までを視野に入れて描かれており、日本史に興味のある方には非常に面白く読めると思う。ただし、かなりレンジを広くとっているのとは裏腹に、出てくる人名が非常に多いので、あまり細かいところにこだわっていると何が何だか分からなくなるかもしれない。読み方としては、蘇我氏がどのように時代の流れの中で衰退していったかというところに焦点を合わせておくことを忘れないということだろう。
そういえば、鎌倉時代に「曾我兄弟の仇討ち」という事件が起こった。この曾我兄弟の出自も蘇我氏に関係があるのだろうか。ちょっと気になる。
最後に、本書を読んで、ふとこんなフレーズが頭に浮かんだ。
「Old Sogas never die,they only fade away.」
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※初出は、
「風竜胆の書評」です。