文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

某書評サイトで私を非難する会員との不毛な議論

2015-10-31 19:04:15 | オピニオン
 某書評サイトの私を非難している会員たちに、いちいち対応する時間が惜しいので、今後はこれを張り付けるだけにすることにした。ツイッター等で見つけても、同じ対応としたい。経緯は以下の通り。

 これまで参加していた、某書評サイトに少し距離を置こうと決心した。ここは、抽選で献本が当たったら書評を書かなければならず、その際「審査」なるものがある。距離を置こうと思った、直接の理由は、この「審査」が何度となく遅れたからだ。その度に、苦情を挙げていたのだが、連絡ミスだったという理由で同じことが繰り返される。それならば、ほんとに「審査」っているのと言ったわけだが、営業上の理由で、「審査」が必要だと、同じ理由の繰り返し。

 それなら、ランク分けをしているのだから、少なくとも、「免許皆伝」にはいらないでしょと言っても、放置プレイ。それまでにも、色々なことを言っていたのだけど、納得がいくまで、もう他の第1回免許皆伝の方と同程度にしか投稿はしないと宣言した。(他はほぼ休眠状態なので、実質投稿しないということ。こちらの方も、問題提起や改善提案をしているのだが)これは労働者に労働争議権があるように、レビュアーにとっても当然の権利であり、第3者が口出しするようなことではない。

 ところが、これが気に食わない会員が何人かいて、殆ど個人攻撃のような書き込みである。他人の権利というものを理解できず自分の考えが絶対だと思い込んでいる。私の方から、その人たちを攻撃したことはないのに、あきれたことだ。どうも、私が、サイト側に色々言うのが気に食わないらしい。こういう人間は、どこにでもいるが、いくつか論点をあげてみよう。

○サイト側とレビュアーは対等か
 私は対等の関係だと思っているが、只で使わせているのだから対等の関係ではないという会員がいる。しかし、規約第18条 書評と献本についての第9項には、次のようにある。
第9項 書評その他、利用者が自ら作成し投稿した文章や画像などの著作権は、利用者に属します。しかし同時に、本運営主体は、本サービスや書籍のPRやマーケティングの目的で利用者の著作物を引用することができることとします。

 この手のサイトは大体そうなのだが、サイト側も書評を使うことができると明記してある。つまりは、掲載の代わりに、書評を使ってもいいよという相互互恵の関係である。これは、無料のブログなども同じだ。何らかのメリットがあるからこそ、このようなビジネスが成り立っている。誰もボランティアで、このようなものを作りはしないのだ。これがどうして対等ということにならないのだろう。対等である以上、要望を言うのは当然のことで、場合によっては、レビューをアップするのを止めるということを言うのもありだろう。これだけ説明しても、理解できないどころか、まったくフェーズの違うことを持ち出して、平等ではないと主張するのもいるから、もうどうしようもない。


○議論が始まると他のレビュアーは消耗するか
 そういう人がいることは否定できないが、それが当然のことだとは思えない。そもそも、私とサイト側のやり取りに、勝手に入って来る人間がいるから議論になるのだ。そのやり取りを見て、勝手に消耗したと言われてもこちらも責任は持てないし、持つ必要もない。たとえば、野球で、選手が球団側と自分に関する契約改正で激しくやりとりしていたとして、それを見聞きしていた、実際の交渉にも関わってない、他の選手が辞めたとしたら、その交渉していた選手に責任があるとでもいうのだろうか。少し考えればわかることだと思うのだが、本当に論理的な考え方ができない連中だ。このサイトに入会しても、いつの間にやら姿を見せない人がたくさんいる。だから会員が長く居続けたいと思うようなインセンティブが働くようにしろとずっと言っているわけだが、一部ムラを作っている連中はそれを理解できる頭がない。


○サイト側への要望は、サイトと直接やるべきか
 以前、ある会員が、他のレビュアーについて苦情を言ったことがあったらしい。らしいというのは、オープンになっていないからで、その結果、一人は退会、一人は実質休会状態になってしまった。これは、どっちもどっちという感じもしなくはないのだが、裏でどんなやりとりがあったかは、まったくわからない。この時は、ただ、結果から推測することしかできなかったのだ。こういったことを、この連中は、望んでいるのだろうか。何かあれば、堂々と、オープンにして、議論するのが筋というものだろう。

 そもそも、私がサイト側にどういう方法で要望を伝えようと、それは、私の自由であり、あくまでサイト側との問題のはずだ。なぜ、したり顔で、第三者がしゃしゃり出て、反論されると、どんどん感情的になるのだろう。公序良俗に触れない限り、他人の自由を最大限許容するのが、民主主義国家の原則ではないのか。
 
 おまけに、まるで私が掲示板を荒らしたような中傷をする。私は、単に、言われたことにきちんと反論を続けているだけだ。反論が嫌ならやめればいい。何か言えば、反論があるかもしれない。当たり前のことだろう。それが分からないものは、ネットに書く資格はない。よくあるような無責任な炎上とは訳がちがい、私は淡々と反論しているだけだし、これからも何かあれば同じようにする。

 「私は今のままでいい」という意見もいくつかはあった。しかし、それは自分の考えであり、別の意見を封じ込めるために言ってはいけない。「私は今のままではいけない」と思っている。会員として、そのことを言うのは、当然の権利であるし、義務でもある。そもそも、全会員が100%満足しているようなことなどあり得ない。だからこと、サイト側は、いろんな意見を吸い上げて、それに対応していく必要があるのだ。もちろん、全部を会員の言う通りにすることはできない。しかし、対応方針位は迅速にだすべきだろう。その方針が受け入れられなければ、それに従った対応をするのも、もちろん会員の自由なはずである。

 私は、これまで、サイト側への指摘しかしておらず、第3者や、私を非難している連中を攻撃したことは一度もない。感情的な物言いで、自分たちが、掲示板が荒れる原因を作っておいて、人にその責任を押し付ける。自分の言うことに反論されると、すべて相手が悪いと陰でこそこそ言う。小人度し難しとはこのことだろう。


○ビジネスでやっているから迅速を心がけるべきではないか。
 これも、兼任でやっているという呆れた反論があった。兼任だろうが、専任だろうが、ビジネスには変わりはない。あくまでも事業の一環としてやっっており、決してボランティアではないのだ。そして、ビジネスである以上、厳しさが付きまとう。あんたら、自分たちが趣味で作った、仲良しクラブと勘違いしていないかと、ただあきれるばかりだ。


○サイト側が「審査」は必要だと言っているのだから従うべきだ。
 大本営発表をそのまま信じて、納得しろということだろうか。対等である以上、納得できる理由を聞くことは当然だろう。こういう発言があると、本当に日本人は、ムラを作るのが好きだと感じる。
もう一つ言えば、そりゃ、連中は、審査が必要なレベルだろう。しかし、あんなのと、いっしょにしてもらいたくないというのがホンネだ。


○私が感情的か
 鏡のような対応を心がけているだけ。感情的な攻撃には、そのように見えるよう迎撃する。理知的な議論で、こちらが感情的になったことは一度もない。理知的な議論ができる人に対しては、議論の後、結構仲良くなったりしている。今回は、相手がそうでないので、同じように返しているだけ。

 私がツイッターにつぶやいた言葉を見て、連中の中に、気分が悪いと言うものがいた。しかし、それは自分たちがやっていることに、同程度の反応があるということに気が付かないのだろうか。感情的な反応には、同じような反応が返ってくるということである。(まあ、そう見えるような書き方をしているところもあるが)。私も、攻撃されれば、当然の権利として、迎撃はするが、こちらから攻撃をしかけたことはない。まあ、自衛隊みたいなものである。しかし、そのことが、鏡に写った自分を見ているということが分からないとしたら、もう救いようがないだろう。


○某ネット古本屋の退会は誰のせいか(※)
 私と議論になったうちの一人が、ツイッターで明らかに私を個人攻撃している悪口を言っていたのを見つけたので、抗議したところ、それを言い訳にして、「本が好き!」を退会してしまった。ツイッターは公開されているものという意識がなかったのだろうか。悪事が発覚したのに、開き直って退会とは、まるで幼稚園児のような行動だ。悪いことをしたら、まず謝るのが筋ではないか。小学校で習わなかったのか。こうなると常識を疑ってしまう。もちろん退会は自分の意思であり、誰のせいでもない。

 それに関して、また例の連中が集まって、まるで私が追い出したかのように言っている。悪いのは100%悪口を言った方だろう。悪事を働いた方を擁護して、なぜ私が非難されなければならないのか。まるで、集団でいじめに加担しているアホな中学生レベルの反応ではないか。事の理非を判断する力に欠けているとしか言いようがない。これについても、嘘を言って自分を正当化したいやつがいるようで、事実とまったく違うことが連中の頭の中には染みついているようだ。

 一般に、日本人は、議論が下手で、何かあるとすぐ感情的になってエキサイトする。そして、周りが見えず、自分たちの言うことが絶対正しいと思い込む。もっとも、すぐに徒党を組みたがるのは、万国共通か?いずれにしても、反論される覚悟がなくては、ネットで主張すべきではない。

 それまでは、サイト側からは、遅ればせながら、回答らしきものがあったので、しばらく暖かく見守っていこうと思っていたのだが、こういうことがあると、もうあそこに寄り付きたくはない。そうはいっても、登録している蔵書のが莫大なうえ、他に蔵書管理方法もないので、仕方なく使い続けているのだが。これを使うことは、既に1000以上の書評を提供しているからには、当然の権利というものである。

 私も、あそこに書き込む際は、自分の場所ではないので、かなり遠慮して書いているところがある。言いたいことがあるなら、そんなところで、仲間内だけで、悪口を言うようなことはやめて、もっと開かれている私のブログにおいで。ここは自分の場所なので、たっぷりとかまってあげるから。もちろん、公序良俗に反するような書き込みは即削除するが。


(追記)
 考え方の違いがあるのは当然で、それが民主主義の根幹をなすものですから、一方的な考え方を感情的に押し付けるものでない限り、尊重したいと思っています。理性的な意見には、例え反対でも、意見自体は尊重する。決して、人格に及ぶようなことは言わないというのが私の主義です。
 相手がそうでない場合は、それなりの対応になりますが。
 また、議論が平行線なら、それ以上続けても仕方がないので、打ち切りを宣言します。

(追記2)
 これは、ムラを作って、仲間内だけで本の感想をしこしこ話していたい派と、私との、埋めがたい考え方の相違も原因があると思う。この違いは、前々からうすうす感じていた。

 私の場合、ムラ内でやっているようなことには興味がない。自己啓発の一環として、色々な書を読み、書評を書く。同じ書くなら、少しでも良い書評にしたいし、感想文もどきしか書けない者たちとは、一線を画したい。ムラ社会に興味がないからこそ、要望があれば、サイト側にも伝えるし、自分の居心地が悪ければ、ムラに留まる気もない。正直、誰が決めたか分からないようなムラ社会のオキテなどどうでもよいのだ。しかし、、自分たちでオキテをつくり、それに従うことを他に求める連中がいる。これこそ、私がもっとも嫌うことだ。そもそも、後から来て、勝手にオキテをつくり、先住民にそれに従えという。何を考えているのか。

 丸山眞男は、日本人は蛸壺社会だと看破した。こういうことがあると、彼の提唱したモデルの適用範囲というのは、非常に広いものだと実感する。仲間内で、感想文を披露しあっているばかりではなく、たまには、蛸壺から出て、不特定多数の人間を意識した、書評というものを書いてみる気はないのだろうか。

(追記3)
 あそこの掲示板に書いたコメントをかなり削除した。提言のようなことも多いのだが、サイト側がやる気があるのなら、既にひかえているはずだし、例の会員たちのやり取りは、この記事一つで済むからだ。Fade awayの一環ということもある。

(追記4)
 あそこと距離を置こうと思った、一番の理由は、例の会員たちとの不毛な議論があほらしくなったとが直接の原因だが、それ以上に、例の連中の井戸端会議的な雰囲気に違和感を感じていたということもある。あの連中の書く書評って、私には全然参考にもならないし(正直ヘタだと思う)、元々、井戸端会議にも興味はないし。

(追記5)
 そもそも、うだうだ言っている連中の投稿数を全部合わせても、私の投稿数に及んでいない。ろくに実績もないのに、口だけは一人前だ。サイト側も、長く続けることへのモチベーションというものを軽視しているのではないだろうか。ああいった悪平等的な運営をやっていては、結局、力のあるレビュアーは残らないと思う。

(総括)
 この問題は、そもそもは、私とサイト側とのやりとりであり、前々から主張していたことを言っているに過ぎない。こちらの要望が通らないのなら、これ以上書評を掲載しないというのも、当然の権利であり、以前から示唆していることだ。端的に言えば、そこに、バカな連中が、何の権利があるのか、不要な口出しをしてきたというのが、実際のところだろう。あれから約1ヶ月が経ったが、考えてみれば、時間の無駄遣いをしてきたものだ。

(追記6)※
 あのとんでもないネット古本屋、HNを変えてまた舞い戻っているようだ。(素●堂⇒哀●亭●楽)ツイッターのブロックリストを見ると、ブロックした覚えもない名前が、あのネット古本屋に変わって出ている。いくらHNを変えても、アカウントが一緒ならすぐばれるということに気が付かないというのは、やっぱりかなり残念な奴だったか。
 まあ、二度とあいつを相手にすることはないから、仲間内で井戸端会議をしていればいい。

(追記7)
 なんだかもう一人かなり粘着質な方が出てきて、例の連中(特に両生類と古本屋)とバトルをしているみたいだ。なんだか例の舞い戻った古本屋、一丁前のコメントをしていたが、私はお前たちのやったことを忘れてないぞ! どうも運営側と何かあったらしく、粘着質な方は退会していたが、あの両生類と古本屋は相変わらず居座っている。これは許しがたい。

(追記8)H30.02.27
 またこの問題の中心人物の一人であるか●めの奴が、別ブログにいいがかりをつけてきた。こちらは完全に無視しているのに、バカにつける薬はない。まあ、井戸端会議で自分たちのことを棚に上げて、人の悪口ばかりを言っている連中の典型的な行動だ。実際に私がち●わなるものに誹謗中傷されたコメントは、ずっとそのままだし、中の人間はあのとき何も動かなかったし。「私の時は何も」と言って当然だろう。勝手に割り込んで文句をつけたあげくに、自分たちの思うようにならないからとどんどん感情的になり、勝手に疲弊したと言いがかりをつけられてもこちらは全く責任を持てない。ア●●マなるもののツイートを引用しているが、お前らよりよっぽど学生時代に勉強してるし、学校が学校だったから周りにあんたらよりずっと優秀な人はたくさんいたよ。それに私は団塊系じゃない。不完全な情報で、勝手に脳内で想像して、人にレッテルを貼るのって残念なネット民の典型じゃないか。まあ、よくドラマに出てくる、井戸端会議で人の悪口を言っているオバはんみたいなものだろう。

「ワタシも一度絡まれかけて、けっこう不快だったんですよね~」って、そっちから絡まれた覚えはあるが、こっちから絡んだことはないはずだが。きっと横から乱入してきて反撃されたというのが真実だろう。脳内でヘンな記憶ができているようであきれる。老害や妄想にとりつかれているのはお前のほうじゃないかな? 何かにつけてしゃしゃり出て、例の粘着質の人にぴしっと言われたのを覚えてないのか?ああ、もしかするとそっちから言いがかりをつけてきて、撃ち落されたことを差しているのかな? こちらからアクションをしかけたことはないと思うのだが。まあ、一度他の人にコメントをつけたら、そのコメントに絡まれた覚えはあるが。コメントを付けた記事を書いた人とは、一度その人の書いた電子書籍に評価のようなものを書いていてある程度人間関係ができていると思っているのだが。それを横から割り込んで、自分勝手な思い込みで文句をつける。もう救いようがない。

 絡んだのは自分の方じゃないか。こっちの方がかなり不快な思いをしている。そりゃ、絡んでくるやつには反撃するよ。まあ、あのコメントは反映しないが、一応言いがかりをつけてきた証拠としては残してある。そのうち何かあったら公開するかな。自分のバカな行動を謝りに来たのかと思ったが、とんだ時間の無駄をしてしまった。正直最近はバカ相手にするのがものすごく面倒臭い。そんなことで時間をロスしたくないというのが本音だ。

 しかし、人のブログにあんな書き込みをしてくるとは常軌を逸していると自分で思わないのかね? まあ、次にやったらあいつのブログにいいがかりをそのまま貼り付けてやろう。人のブログを汚しているんだから、自分の文面を貼られても文句は言えないよな。

(追記9)
 書き込まれた中にア●●マなる者とのツイッターでの人の悪口を言い合っているような内容が記されていたが、あれは、自分が抽選に外れたので、人にいちゃもんつけてきたのを切替されたので根に持っているのだと思う。大事にとっておこうが、捨てようが読者の自由だろう!? ⇒ コメント欄に注目 しかしバカだねえ。自分たちがツイッターで人の悪口を言っているのをそのまま貼り付けてくるなんて。自分たちが他人をこそこそと誹謗中傷している証拠を出しているようなものなのに。ありがたく保存して、何かの時に公開することにしよう。それに、小説しか読まないやつと小説も読む人間とどちらが思考が柔軟で、視野が広いか言わなくてもわかることだと思うが。


○関連過去記事
書評というものについての私見



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大学院受験(思い出シリーズ26)

2015-10-31 15:21:55 | 思い出シリーズ
 私は大学が工学部だったので、当然のように大学院に進んだ。現在もそうだと思うが、当事も、工学系は修士まで出ていた方が就職に有利だという認識があった。現在はどうか知らないが、あのころ博士課程まで行くのは、親がよほど金持ちか、飯より勉強が好きな人がほとんどだったと思う。私は、そのどちらでもなかったので博士課程までは歩まなかったし、その気もなかった。しかし、通っていた大学では、殆どの学生が修士までは進んだので、私が大学院を受験するのも、ある意味当然の流れだった。

 受験は何があるか分からない。リスク分散のため、自分の通っていた京都大学の電気系だけではなく、たまたま、ポスターでを見かけた九州大学のエネルギー変換工学専攻も受験することにした。

 当事は、父が旧国鉄に勤務していた関係で、九州大学大学院の受験の際には、国鉄の保養所のようなところに泊まった記憶がある。当時は、当然のように、知らない人と相部屋。同じ部屋に泊まったのは、確か熊本大学の学生だったと思うが、やはり九州大学の大学院を受験に来ていた。同じ部屋に泊まっていれば、知らない人でも多少の会話がある。こちらは、過去問も分からず、予備知識もない状態で受験に来たのだが、彼は、過去問のようなものを持っていた。そして、偏微分方程式のような難しい問題が出ると言っていた。しかし、私の認識では、学部レベルで、それも試験中に解けるようなものは、大抵変数分離法で解けると思っていたので、あまり会話は噛み合わなかった。

 京都大学では、ドイツ語の試験は確か辞書持ち込み可だったいう覚えがあるが、九州大学では、持ち込み不可だった。また京都大学ではなかった面接もあり、「両方受かったら、どちらに行くか?」という意地悪な質問をされた。嘘をついてもいけないので、「今のところに行きます」と正直に答えたのだが、無事に合格通知が来た。

 京都大学の方も、無事に合格することができた。当時は、聞きに行けば、点数や順位を教えてくれたので、聞いたところ、点数の方は忘れたが、順位は7番ということで、我ながら驚いた。

 しかし、大学院の入試が終わると、なんだか気が抜けたようになって、しばらく勉強に手が付かなかったのにはまいった。


○関連過去記事
危機一髪(思いでシリーズ25)
昔の大学院合格通知
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書評:富士学校まめたん研究分室

2015-10-31 08:49:43 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
富士学校まめたん研究分室 (ハヤカワ文庫JA)
クリエーター情報なし
早川書房


 芝村裕吏の「富士学校まめたん研究分室」(ハヤカワ文庫)。

 主人公の藤崎綾乃は、アラサーの工学系女子。自衛隊の技官をやっている。早稲田から東大の修士へ進み、MITへの留学経験もあるという才女。ところが、極端な口下手なため、いつも不利益を被っている。この物語が開幕した時点では、先輩に当たる男が仕掛けてきたセクハラ事件のおかげで、閑職生活の真っ最中。彼女が口下手なこともあり、バカな上司が、相手の言い分をほぼ採用したためだ。

 そんな彼女に影のように付き添う謎の同僚、伊藤信士。ある出来事により、彼女にとっては大嫌いな男だ。どれだけ嫌いかというと、口下手な彼女が、相手を意識せずに、全く普通に話せるくらいなのである。この設定でピーンとくるように、この作品の一つの柱は、二人のラブコメなのだ。二人のやりとりは、コミカルでゆるゆるして、とても面白い。

 しかし、この作品、単なるラブコメではない。自衛隊をモチーフにしているだけあって、日本を取り巻く国際情勢の緊迫具合がいやにリアルだ。現在でも微妙なバランスの上にある極東における状況。一歩間違えると、この作品のようになってしまうことは十分にあり得るだろう。そんな緊迫した情勢の中で、「まめたん」の運用試験を行う富士駐屯地が、何者かの攻撃を受け、綾乃にも危険が迫る。ここで、「まめたん」というのは、彼女が企画した、量産型のロボット兵器のことだ。綾乃は、試験用の「まめたん」を起動して、敵に立ち向かう。

 「まめたん」というとなんだか可愛らしい名前だが、その名前からは想像できないような優れものだ。「まめたん」同士で勝手に連携を取りながら、確実に敵を仕留めていく。戦闘場面では、そのネーミングのような、ゆるゆる感など微塵もなく、手に汗握るような場面が続くのである。描かれるのは、敵を射殺する兵器としての「まめたん」。信士と綾乃の間に流れるゆるゆる感との落差がすごい。

 ゆるゆると、ハラハラの絶妙なバランス。これがこの作品の最大の特徴であり面白さなのだろう。表紙イラストと「まめたん」というネーミングから、単なるコメディ小説(もしくはラブコメ小説)だろうと思っていると、その認識を、思い切りひっくり返されるに違いない。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。





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らーめん・つけ麺 よろしく

2015-10-30 15:11:36 | 旅行:広島県


 写真は、少し前に用事があって行った、東広島市の西条駅近くにある「らーめん・つけ麺 よろしく」というお店。ちょうど昼時だったので、入ってみた。




 食べたのが、この醤油ラーメン(確かそうだったと思う。何日も前なので、もはや記憶が曖昧)。入った時は、何も思わなかったが、後でこの店のホームページを見ると、数量限定らしい。なんか得した気分だ。少し濃い目の味のスープが、個性的な味を出していた。とりわけ、チャーシューが美味い。

 しかし、この後、目的地に行くのに、道に迷ってしまい大変だった。地図を見れば、大抵のところには行きつく自信があるが、この辺りの道が、あれほど分かり難かったとは。道を聞いたのが、親切な人で、車で目的地まで送ってくれた。もし歩いていたら、時間に間に合わなかったかもしれない。送っていただいた人、ありがとうございました。

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書評:恐怖の谷

2015-10-30 09:13:51 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
恐怖の谷【新訳版】 (創元推理文庫)
クリエーター情報なし
東京創元社


 アーサー・コナン・ドイルによる「シャーロック・ホームズ」シリーズのうち、4番目にして最後の長編となった、「恐怖の谷」(深町眞理子訳:東京創元社)。登場人物の話の中で語られるという間接的な形ではあるが、ホームズの宿敵、モリアーティ教授が登場する作品である。

 本作は、二部構成になっており、まず第一部では、サセックス州にあるバールストン館で起こった、悲惨な殺人事件が描かれる。館の主であるジョン・ダグラスが、何者かに、散弾銃で、顔を吹き飛ばされて殺されたのだ。ホームズは、ロンドン警視庁のアレック・マクドナルドの要請で事件を調べることになる。手がかりは、ダグラスが、妻に語ったことがあるという「恐怖の谷」という言葉。

 この事件には不可解なことがあった。被害者の左手にはめられていた3つの指輪のうち、結婚指輪だけが無くなっていたのだ。更には、ダグラスより20歳年下の美しい妻と、彼の親しい友人がであるパーカーが、ダグラスがあのような殺され方をしたにも関わらず、楽しそうに談笑しているのを、ワトソンが目撃する。

 実は、こういったものが、先々の伏線になっているばかりか、読者に別のイメージを与えるという二重の役割を果たしている。このあたりの巧妙さは、さすがにカーがドイルの代表作として称賛しただけのことはあるだろう。そして、待ち受けているのは、驚くべき結末。

 そして、第二部では、この事件の背景となったある出来事が語られる。舞台は、二十年近く前の、アメリカのヴァーミッサ谷へ飛ぶ。もちろん、この話に、ホームズは出てこない。

 こちらの主人公は、シカゴからやってきたジョン・マクマードという男。何かいわくのありそうな人物である。マクマードは、シカゴで、<大自由民団>という組織の団員となっていた。この組織は、本来は共済組合のようなものだったのだが、このあたりの支団は、自分たちの利益に反するものを平気で殺害するような、反社会的組織に変貌していたのだ。マクマードは、その才覚と度胸により、支団の中でのし上がっていく。こちらも、驚くような結末が待っているのは、第一部と同様だ。しかし、一部の事件の背景を説明するためのものだからということだからだろうか、第一部と比べると、あまりミステリーという感じはしない。

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杭打ち工事のデータ偽造問題に思う

2015-10-29 18:47:11 | オピニオン
 旭化成建材が関わった建物のくい打ち工事で、データの捏造や流用がどんどん明らかになっている。モノがモノだけにその罪は重い。多額のローンを組んでマンションを購入した人などに、どう責任を取っていくつもりなのだろう。

 複数の担当者が、捏造・流用を行っていたということは、会社の風土自体に問題があるとしか思えない。もちろん、捏造・流用した人間の責任が一番重いのは言うまでもない。しかし、そのようなことを安易に行うような風潮がまかり通っていたり、会社が、過大な業務量を放置して、捏造・流用をせざるを得ないような状態にしていたということはないのだろうか。この事件を、けっして一個人だけの問題で済ませてはいけないのだ。

 更には、捏造・流用を見抜けなかったチェック体制にも問題がある。もし、旭化成建材が会社として存続したいのなら、今回の被害者への賠償だけでなく、今後どのように再発を防ぐのかをきちんと説明していかなくてはならないだろう。

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著作権判例集が「著作権侵害」の記事に思う

2015-10-29 11:37:58 | オピニオン
 gooニュースを読んでいると、「著作権判例集が「著作権侵害」」(朝日新聞)という冗談のような記事が目に飛び込んできた。

 なんでも、「著作権判例百選(第5版)」(有斐閣)の発行に当たって、大渕哲也・東京大教授が編者から外されたため、編集著作権の侵害で起こしていた、出版差し止めの仮処分が、裁判所により決定されたらしい。

 ここでいう編集著作権とは、編集物の素材の選択や配列に創作性を有するようなものに与えられる権利(著作権法第12条第1項)である。つまり、百科事典などに、何を入れるかを決める場合、それを決めた人が編集著作権を持つということだ。なお、個々の記事には、当然のことながら、書いた人が著作権を持つことになる。

 記事の内容を信じるなら、扱う判例も第4版と9割近く一致しており、大渕教授も当初から編者として編集作業に加わっていたという。それなら当然編集著作権者となるはずだと思うのだが、出版社は「実質的な編集作業をしたのは別の研究者で、大渕氏は「編集著作者ではない」とし、一般的な編者と、著作権法上の編集著作者は異なる」(記事より引用)と反論していたらしい。

 しかし、「実質一般的な編者と、著作権法上の編集著作者は異なる」という主張は意味が分からない。何か、この業界独自の慣行のようなものがあるのだろうか」。

 それにしても、東大教授って、出版社に対して、かなりの発言権を持っているものだと思い込んでいいたのだが、最近は、出版社の関係って、こんなものなのだろうか。私の知らない、社会の裏側を見たような気になったというと、少し大げさか。





 
 
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秋田書店内部告発事件の和解に思う

2015-10-29 11:04:11 | オピニオン
 Yahoo!ニュース(読売新聞)によると、秋田書店が、読者プレゼントの当選者水増ししていたのを内部告発した女性が、懲戒解雇されて、解雇無効や地位確認などを求めて訴訟を起こしていたのだが、28日に解決金120万円で和解が成立したという。

 この事件は、大分前にマスコミで取り上げらていたので、覚えている方も多いと思う。この事件は、読者に対しての重大な裏切りであり、私も、一読者として憤りを感じたものである。

 しかし、この事件の発覚が内部告発によるものであり、当事者が懲戒免職になっていたことは初めて知った。コンプライアンスに反することをしていた方が、それを告発した相手を懲戒にかけるとはどういう了見か?全く呆れてしまう。

 それにしても、わずか120万円の解決金というのはどうなんだろう。安すぎないか。こんなことだから、ばれなければ儲けものということでやってしまうのではないか。「解決金」という名目も気になる。これが、億単位の和解金と、重い刑事罰を課せられれば、かなりの抑止効果が見込めると思うのだが。

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書評:OHM大学テキスト 電力発生・輸送工学

2015-10-29 09:15:18 | 書評:学術教養(科学・工学)
OHM大学テキスト 電力発生・輸送工学
クリエーター情報なし
オーム社


 本書は、タイトルの通り、大学向けの「電力発生・輸送工学」のテキストである。大学向けと言っても、まえがきに、「全く現場の知識のない大学・高専の学生の立場にたって」とあるところから、学部の1~2年もしくは高専の4~5年当たりをターゲットとして書かれているのではないかと推測する。

 ところで、「電力発生・輸送工学」というのは、その名の通り、発電から送電、変電、配電までを扱ったものだ。言い換えれば、電力を作り出して、需要家に届けるまでの仕組みについて解説されたものである。もちろん、発電、送電、変電、配電という分野のどれをとっても1冊のテキストには収まりきらないくらい奥の深いものだ。これらを1冊に纏めているのであるから、内容が概論的になってしまうのはやむを得ない。だから、本書のレベルは、電験3種程度だと思えば良いだろう。なお、電験というのは、電気に関する保安の監督を行う、電気主任技術者の免許を得るための試験で、1種から3種までの区分があり、免許の種類によって、扱える電圧などが変わってくる。

 これは、大学によって違うかもしれないが、私たちが学生のことは、このような電力技術を扱った概論的な授業はなかった。そもそも電力技術を扱った科目自体も少なかったし、それらの科目では、いきなり個別の難しい話に入っていくので、学生時代は、どちらかと言えば敬遠していた覚えがある。それが、今では電験1種試験に合格しているのだから、人生とは分からないものだ、学部の初年級のころに、このような科目があれば、当時もっとこのような分野にも興味を持てたのではないかと思う。

 「再生可能エネルギー」に1章が割かれていたり、「将来の電力発生輸送」という章で、分散型電源やスマートグリッドなど解説されているのは、いかにも今の時代を反映しているようだ。全体を読んでみると、概念的に少し難しいのは、故障計算のところくらいで、その他は、高校生でも十分理解できるような内容だろうと思う。電力というのは、私たちの生活になくてはならないものだ。しかし、この電力の物理的・工学的特性を知らないままヘンな議論がされているのをよく耳にする。願わくば、できるだけ多くの方に、このような本で基礎的な知識をつけていただきたいし、ここから更に高度な内容を勉強していく人が増えていって欲しいものだ。

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」からの写です。

○関連過去記事
電気主任技術者

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KANSEI(感性)サロン講演会

2015-10-28 14:28:42 | セミナー、講演会他


 昨日は、広島ガーデンバレスで行われた「KANSEI(感性)サロンの講演会を聴きに行ってきた。なんでも、日本語の感性は、英語でもそのまま”KANSEI"と訳されているらしく、この感性を活用して、産業の活性化につなげていく取り組みを紹介するということらしい。

 講演は、4つに分けて行われた。最初は、国立情報学研究所の佐藤いまり教授による「実世界の豊な色彩のモデル化」だ。物体の光学特性を織り込んだモデル化についての話だった。これまでは、目に見えるというのは、物体が、光を反射して、それが目に入ってくるのだと思っていたのだが、実は、反射だけでなく、光を吸収して、発光している「蛍光」能力を持ったものが、多く存在するらしい。これは意外だった。よりよいモデル化のためには、この蛍光を考慮しないといけないらしい。

 2つ目の講演は、児島株式会社の久保球児氏による「SKOOL ACTIV! ~女子高生:最高の7千時間を過ごす制服とは~」。児島株式会社は、倉敷市児島にある、学生服専門のメーカーだ。女子中高生の制服に関するアンケート調査が紹介されていた。制服の写真を見せて、幾つかの問いに答えてもらい、それをもとに、彼女たちの感性にあった制服というものを探っていこうということのようだ。しかし、写真の制服と、実際に街で見かける女子高生の制服、大分感じが違う。改造が入ったり、着こなしの工夫などがあるのだろうと思うが、女子高生の感性はメーカーの感性を遥かに超えているということだろうか?

 3つ目の公園は、広島市立大学のチャールズ・ウオーゼン教授による「3Dプリンターの革新的活用方法」だ。モノづくりだけではなく、芸術の世界にも3Dプリンターが進出しているとは驚いた。実際に、3Dプリンターで作った兎の置物を見せてもらったのだが、間近で見ると、下から上に向かって、樹脂を積層して作られていることがよく分かった。モデルを使って、3Dスキャナーの実演もあり、こちらも興味深かった。

 そして、最後の公演は、坂本和夫広島大学大学院特任教授による「COI 精神的価値が成長する感性イノベーション拠点の紹介」だ。広島台を中核拠点にして、感性に関する色々な研究が行われているようだ。

 講演が終わって帰ろうとすると、外は大雨だった。たまたま、折りたたみ傘がバッグの中に入っていたので助かったが、もし持ってなかったら、ずぶぬれになるところだった。
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