某書評サイトの私を非難している会員たちに、いちいち対応する時間が惜しいので、今後はこれを張り付けるだけにすることにした。ツイッター等で見つけても、同じ対応としたい。経緯は以下の通り。
これまで参加していた、某書評サイトに少し距離を置こうと決心した。ここは、抽選で献本が当たったら書評を書かなければならず、その際「審査」なるものがある。距離を置こうと思った、直接の理由は、この「審査」が何度となく遅れたからだ。その度に、苦情を挙げていたのだが、連絡ミスだったという理由で同じことが繰り返される。それならば、ほんとに「審査」っているのと言ったわけだが、営業上の理由で、「審査」が必要だと、同じ理由の繰り返し。
それなら、ランク分けをしているのだから、少なくとも、「免許皆伝」にはいらないでしょと言っても、放置プレイ。それまでにも、色々なことを言っていたのだけど、納得がいくまで、もう他の第1回免許皆伝の方と同程度にしか投稿はしないと宣言した。(他はほぼ休眠状態なので、実質投稿しないということ。こちらの方も、問題提起や改善提案をしているのだが)これは労働者に労働争議権があるように、レビュアーにとっても当然の権利であり、第3者が口出しするようなことではない。
ところが、これが気に食わない会員が何人かいて、殆ど個人攻撃のような書き込みである。他人の権利というものを理解できず自分の考えが絶対だと思い込んでいる。私の方から、その人たちを攻撃したことはないのに、あきれたことだ。どうも、私が、サイト側に色々言うのが気に食わないらしい。こういう人間は、どこにでもいるが、いくつか論点をあげてみよう。
○サイト側とレビュアーは対等か
私は対等の関係だと思っているが、只で使わせているのだから対等の関係ではないという会員がいる。しかし、規約第18条 書評と献本についての第9項には、次のようにある。
第9項 書評その他、利用者が自ら作成し投稿した文章や画像などの著作権は、利用者に属します。しかし同時に、本運営主体は、本サービスや書籍のPRやマーケティングの目的で利用者の著作物を引用することができることとします。
この手のサイトは大体そうなのだが、サイト側も書評を使うことができると明記してある。つまりは、掲載の代わりに、書評を使ってもいいよという相互互恵の関係である。これは、無料のブログなども同じだ。何らかのメリットがあるからこそ、このようなビジネスが成り立っている。誰もボランティアで、このようなものを作りはしないのだ。これがどうして対等ということにならないのだろう。対等である以上、要望を言うのは当然のことで、場合によっては、レビューをアップするのを止めるということを言うのもありだろう。これだけ説明しても、理解できないどころか、まったくフェーズの違うことを持ち出して、平等ではないと主張するのもいるから、もうどうしようもない。
○議論が始まると他のレビュアーは消耗するか
そういう人がいることは否定できないが、それが当然のことだとは思えない。そもそも、私とサイト側のやり取りに、勝手に入って来る人間がいるから議論になるのだ。そのやり取りを見て、勝手に消耗したと言われてもこちらも責任は持てないし、持つ必要もない。たとえば、野球で、選手が球団側と自分に関する契約改正で激しくやりとりしていたとして、それを見聞きしていた、実際の交渉にも関わってない、他の選手が辞めたとしたら、その交渉していた選手に責任があるとでもいうのだろうか。少し考えればわかることだと思うのだが、本当に論理的な考え方ができない連中だ。このサイトに入会しても、いつの間にやら姿を見せない人がたくさんいる。だから会員が長く居続けたいと思うようなインセンティブが働くようにしろとずっと言っているわけだが、一部ムラを作っている連中はそれを理解できる頭がない。
○サイト側への要望は、サイトと直接やるべきか
以前、ある会員が、他のレビュアーについて苦情を言ったことがあったらしい。らしいというのは、オープンになっていないからで、その結果、一人は退会、一人は実質休会状態になってしまった。これは、どっちもどっちという感じもしなくはないのだが、裏でどんなやりとりがあったかは、まったくわからない。この時は、ただ、結果から推測することしかできなかったのだ。こういったことを、この連中は、望んでいるのだろうか。何かあれば、堂々と、オープンにして、議論するのが筋というものだろう。
そもそも、私がサイト側にどういう方法で要望を伝えようと、それは、私の自由であり、あくまでサイト側との問題のはずだ。なぜ、したり顔で、第三者がしゃしゃり出て、反論されると、どんどん感情的になるのだろう。公序良俗に触れない限り、他人の自由を最大限許容するのが、民主主義国家の原則ではないのか。
おまけに、まるで私が掲示板を荒らしたような中傷をする。私は、単に、言われたことにきちんと反論を続けているだけだ。反論が嫌ならやめればいい。何か言えば、反論があるかもしれない。当たり前のことだろう。それが分からないものは、ネットに書く資格はない。よくあるような無責任な炎上とは訳がちがい、私は淡々と反論しているだけだし、これからも何かあれば同じようにする。
「私は今のままでいい」という意見もいくつかはあった。しかし、それは自分の考えであり、別の意見を封じ込めるために言ってはいけない。「私は今のままではいけない」と思っている。会員として、そのことを言うのは、当然の権利であるし、義務でもある。そもそも、全会員が100%満足しているようなことなどあり得ない。だからこと、サイト側は、いろんな意見を吸い上げて、それに対応していく必要があるのだ。もちろん、全部を会員の言う通りにすることはできない。しかし、対応方針位は迅速にだすべきだろう。その方針が受け入れられなければ、それに従った対応をするのも、もちろん会員の自由なはずである。
私は、これまで、サイト側への指摘しかしておらず、第3者や、私を非難している連中を攻撃したことは一度もない。感情的な物言いで、自分たちが、掲示板が荒れる原因を作っておいて、人にその責任を押し付ける。自分の言うことに反論されると、すべて相手が悪いと陰でこそこそ言う。小人度し難しとはこのことだろう。
○ビジネスでやっているから迅速を心がけるべきではないか。
これも、兼任でやっているという呆れた反論があった。兼任だろうが、専任だろうが、ビジネスには変わりはない。あくまでも事業の一環としてやっっており、決してボランティアではないのだ。そして、ビジネスである以上、厳しさが付きまとう。あんたら、自分たちが趣味で作った、仲良しクラブと勘違いしていないかと、ただあきれるばかりだ。
○サイト側が「審査」は必要だと言っているのだから従うべきだ。
大本営発表をそのまま信じて、納得しろということだろうか。対等である以上、納得できる理由を聞くことは当然だろう。こういう発言があると、本当に日本人は、ムラを作るのが好きだと感じる。
もう一つ言えば、そりゃ、連中は、審査が必要なレベルだろう。しかし、あんなのと、いっしょにしてもらいたくないというのがホンネだ。
○私が感情的か
鏡のような対応を心がけているだけ。感情的な攻撃には、そのように見えるよう迎撃する。理知的な議論で、こちらが感情的になったことは一度もない。理知的な議論ができる人に対しては、議論の後、結構仲良くなったりしている。今回は、相手がそうでないので、同じように返しているだけ。
私がツイッターにつぶやいた言葉を見て、連中の中に、気分が悪いと言うものがいた。しかし、それは自分たちがやっていることに、同程度の反応があるということに気が付かないのだろうか。感情的な反応には、同じような反応が返ってくるということである。(まあ、そう見えるような書き方をしているところもあるが)。私も、攻撃されれば、当然の権利として、迎撃はするが、こちらから攻撃をしかけたことはない。まあ、自衛隊みたいなものである。しかし、そのことが、鏡に写った自分を見ているということが分からないとしたら、もう救いようがないだろう。
○某ネット古本屋の退会は誰のせいか(※)
私と議論になったうちの一人が、ツイッターで明らかに私を個人攻撃している悪口を言っていたのを見つけたので、抗議したところ、それを言い訳にして、「本が好き!」を退会してしまった。ツイッターは公開されているものという意識がなかったのだろうか。悪事が発覚したのに、開き直って退会とは、まるで幼稚園児のような行動だ。悪いことをしたら、まず謝るのが筋ではないか。小学校で習わなかったのか。こうなると常識を疑ってしまう。もちろん退会は自分の意思であり、誰のせいでもない。
それに関して、また例の連中が集まって、まるで私が追い出したかのように言っている。悪いのは100%悪口を言った方だろう。悪事を働いた方を擁護して、なぜ私が非難されなければならないのか。まるで、集団でいじめに加担しているアホな中学生レベルの反応ではないか。事の理非を判断する力に欠けているとしか言いようがない。これについても、嘘を言って自分を正当化したいやつがいるようで、事実とまったく違うことが連中の頭の中には染みついているようだ。
一般に、日本人は、議論が下手で、何かあるとすぐ感情的になってエキサイトする。そして、周りが見えず、自分たちの言うことが絶対正しいと思い込む。もっとも、すぐに徒党を組みたがるのは、万国共通か?いずれにしても、反論される覚悟がなくては、ネットで主張すべきではない。
それまでは、サイト側からは、遅ればせながら、回答らしきものがあったので、しばらく暖かく見守っていこうと思っていたのだが、こういうことがあると、もうあそこに寄り付きたくはない。そうはいっても、登録している蔵書のが莫大なうえ、他に蔵書管理方法もないので、仕方なく使い続けているのだが。これを使うことは、既に1000以上の書評を提供しているからには、当然の権利というものである。
私も、あそこに書き込む際は、自分の場所ではないので、かなり遠慮して書いているところがある。言いたいことがあるなら、そんなところで、仲間内だけで、悪口を言うようなことはやめて、もっと開かれている私のブログにおいで。ここは自分の場所なので、たっぷりとかまってあげるから。もちろん、公序良俗に反するような書き込みは即削除するが。
(追記)
考え方の違いがあるのは当然で、それが民主主義の根幹をなすものですから、一方的な考え方を感情的に押し付けるものでない限り、尊重したいと思っています。理性的な意見には、例え反対でも、意見自体は尊重する。決して、人格に及ぶようなことは言わないというのが私の主義です。
相手がそうでない場合は、それなりの対応になりますが。
また、議論が平行線なら、それ以上続けても仕方がないので、打ち切りを宣言します。
(追記2)
これは、ムラを作って、仲間内だけで本の感想をしこしこ話していたい派と、私との、埋めがたい考え方の相違も原因があると思う。この違いは、前々からうすうす感じていた。
私の場合、ムラ内でやっているようなことには興味がない。自己啓発の一環として、色々な書を読み、書評を書く。同じ書くなら、少しでも良い書評にしたいし、感想文もどきしか書けない者たちとは、一線を画したい。ムラ社会に興味がないからこそ、要望があれば、サイト側にも伝えるし、自分の居心地が悪ければ、ムラに留まる気もない。正直、誰が決めたか分からないようなムラ社会のオキテなどどうでもよいのだ。しかし、、自分たちでオキテをつくり、それに従うことを他に求める連中がいる。これこそ、私がもっとも嫌うことだ。そもそも、後から来て、勝手にオキテをつくり、先住民にそれに従えという。何を考えているのか。
丸山眞男は、日本人は蛸壺社会だと看破した。こういうことがあると、彼の提唱したモデルの適用範囲というのは、非常に広いものだと実感する。仲間内で、感想文を披露しあっているばかりではなく、たまには、蛸壺から出て、不特定多数の人間を意識した、書評というものを書いてみる気はないのだろうか。
(追記3)
あそこの掲示板に書いたコメントをかなり削除した。提言のようなことも多いのだが、サイト側がやる気があるのなら、既にひかえているはずだし、例の会員たちのやり取りは、この記事一つで済むからだ。Fade awayの一環ということもある。
(追記4)
あそこと距離を置こうと思った、一番の理由は、例の会員たちとの不毛な議論があほらしくなったとが直接の原因だが、それ以上に、例の連中の井戸端会議的な雰囲気に違和感を感じていたということもある。あの連中の書く書評って、私には全然参考にもならないし(正直ヘタだと思う)、元々、井戸端会議にも興味はないし。
(追記5)
そもそも、うだうだ言っている連中の投稿数を全部合わせても、私の投稿数に及んでいない。ろくに実績もないのに、口だけは一人前だ。サイト側も、長く続けることへのモチベーションというものを軽視しているのではないだろうか。ああいった悪平等的な運営をやっていては、結局、力のあるレビュアーは残らないと思う。
(総括)
この問題は、そもそもは、私とサイト側とのやりとりであり、前々から主張していたことを言っているに過ぎない。こちらの要望が通らないのなら、これ以上書評を掲載しないというのも、当然の権利であり、以前から示唆していることだ。端的に言えば、そこに、バカな連中が、何の権利があるのか、不要な口出しをしてきたというのが、実際のところだろう。あれから約1ヶ月が経ったが、考えてみれば、時間の無駄遣いをしてきたものだ。
(追記6)※
あのとんでもないネット古本屋、HNを変えてまた舞い戻っているようだ。(素●堂⇒哀●亭●楽)ツイッターのブロックリストを見ると、ブロックした覚えもない名前が、あのネット古本屋に変わって出ている。いくらHNを変えても、アカウントが一緒ならすぐばれるということに気が付かないというのは、やっぱりかなり残念な奴だったか。
まあ、二度とあいつを相手にすることはないから、仲間内で井戸端会議をしていればいい。
(追記7)
なんだかもう一人かなり粘着質な方が出てきて、例の連中(特に両生類と古本屋)とバトルをしているみたいだ。なんだか例の舞い戻った古本屋、一丁前のコメントをしていたが、私はお前たちのやったことを忘れてないぞ! どうも運営側と何かあったらしく、粘着質な方は退会していたが、あの両生類と古本屋は相変わらず居座っている。これは許しがたい。
(追記8)H30.02.27
またこの問題の中心人物の一人であるか●めの奴が、別ブログにいいがかりをつけてきた。こちらは完全に無視しているのに、バカにつける薬はない。まあ、井戸端会議で自分たちのことを棚に上げて、人の悪口ばかりを言っている連中の典型的な行動だ。実際に私がち●わなるものに誹謗中傷されたコメントは、ずっとそのままだし、中の人間はあのとき何も動かなかったし。「私の時は何も」と言って当然だろう。勝手に割り込んで文句をつけたあげくに、自分たちの思うようにならないからとどんどん感情的になり、勝手に疲弊したと言いがかりをつけられてもこちらは全く責任を持てない。ア●●マなるもののツイートを引用しているが、お前らよりよっぽど学生時代に勉強してるし、学校が学校だったから周りにあんたらよりずっと優秀な人はたくさんいたよ。それに私は団塊系じゃない。不完全な情報で、勝手に脳内で想像して、人にレッテルを貼るのって残念なネット民の典型じゃないか。まあ、よくドラマに出てくる、井戸端会議で人の悪口を言っているオバはんみたいなものだろう。
「ワタシも一度絡まれかけて、けっこう不快だったんですよね~」って、そっちから絡まれた覚えはあるが、こっちから絡んだことはないはずだが。きっと横から乱入してきて反撃されたというのが真実だろう。脳内でヘンな記憶ができているようであきれる。老害や妄想にとりつかれているのはお前のほうじゃないかな? 何かにつけてしゃしゃり出て、例の粘着質の人にぴしっと言われたのを覚えてないのか?ああ、もしかするとそっちから言いがかりをつけてきて、撃ち落されたことを差しているのかな? こちらからアクションをしかけたことはないと思うのだが。まあ、一度他の人にコメントをつけたら、そのコメントに絡まれた覚えはあるが。コメントを付けた記事を書いた人とは、一度その人の書いた電子書籍に評価のようなものを書いていてある程度人間関係ができていると思っているのだが。それを横から割り込んで、自分勝手な思い込みで文句をつける。もう救いようがない。
絡んだのは自分の方じゃないか。こっちの方がかなり不快な思いをしている。そりゃ、絡んでくるやつには反撃するよ。まあ、あのコメントは反映しないが、一応言いがかりをつけてきた証拠としては残してある。そのうち何かあったら公開するかな。自分のバカな行動を謝りに来たのかと思ったが、とんだ時間の無駄をしてしまった。正直最近はバカ相手にするのがものすごく面倒臭い。そんなことで時間をロスしたくないというのが本音だ。
しかし、人のブログにあんな書き込みをしてくるとは常軌を逸していると自分で思わないのかね? まあ、次にやったらあいつのブログにいいがかりをそのまま貼り付けてやろう。人のブログを汚しているんだから、自分の文面を貼られても文句は言えないよな。
(追記9)
書き込まれた中にア●●マなる者とのツイッターでの人の悪口を言い合っているような内容が記されていたが、あれは、自分が抽選に外れたので、人にいちゃもんつけてきたのを切替されたので根に持っているのだと思う。大事にとっておこうが、捨てようが読者の自由だろう!? ⇒ コメント欄に注目 しかしバカだねえ。自分たちがツイッターで人の悪口を言っているのをそのまま貼り付けてくるなんて。自分たちが他人をこそこそと誹謗中傷している証拠を出しているようなものなのに。ありがたく保存して、何かの時に公開することにしよう。それに、小説しか読まないやつと小説も読む人間とどちらが思考が柔軟で、視野が広いか言わなくてもわかることだと思うが。
○関連過去記事
・書評というものについての私見
これまで参加していた、某書評サイトに少し距離を置こうと決心した。ここは、抽選で献本が当たったら書評を書かなければならず、その際「審査」なるものがある。距離を置こうと思った、直接の理由は、この「審査」が何度となく遅れたからだ。その度に、苦情を挙げていたのだが、連絡ミスだったという理由で同じことが繰り返される。それならば、ほんとに「審査」っているのと言ったわけだが、営業上の理由で、「審査」が必要だと、同じ理由の繰り返し。
それなら、ランク分けをしているのだから、少なくとも、「免許皆伝」にはいらないでしょと言っても、放置プレイ。それまでにも、色々なことを言っていたのだけど、納得がいくまで、もう他の第1回免許皆伝の方と同程度にしか投稿はしないと宣言した。(他はほぼ休眠状態なので、実質投稿しないということ。こちらの方も、問題提起や改善提案をしているのだが)これは労働者に労働争議権があるように、レビュアーにとっても当然の権利であり、第3者が口出しするようなことではない。
ところが、これが気に食わない会員が何人かいて、殆ど個人攻撃のような書き込みである。他人の権利というものを理解できず自分の考えが絶対だと思い込んでいる。私の方から、その人たちを攻撃したことはないのに、あきれたことだ。どうも、私が、サイト側に色々言うのが気に食わないらしい。こういう人間は、どこにでもいるが、いくつか論点をあげてみよう。
○サイト側とレビュアーは対等か
私は対等の関係だと思っているが、只で使わせているのだから対等の関係ではないという会員がいる。しかし、規約第18条 書評と献本についての第9項には、次のようにある。
第9項 書評その他、利用者が自ら作成し投稿した文章や画像などの著作権は、利用者に属します。しかし同時に、本運営主体は、本サービスや書籍のPRやマーケティングの目的で利用者の著作物を引用することができることとします。
この手のサイトは大体そうなのだが、サイト側も書評を使うことができると明記してある。つまりは、掲載の代わりに、書評を使ってもいいよという相互互恵の関係である。これは、無料のブログなども同じだ。何らかのメリットがあるからこそ、このようなビジネスが成り立っている。誰もボランティアで、このようなものを作りはしないのだ。これがどうして対等ということにならないのだろう。対等である以上、要望を言うのは当然のことで、場合によっては、レビューをアップするのを止めるということを言うのもありだろう。これだけ説明しても、理解できないどころか、まったくフェーズの違うことを持ち出して、平等ではないと主張するのもいるから、もうどうしようもない。
○議論が始まると他のレビュアーは消耗するか
そういう人がいることは否定できないが、それが当然のことだとは思えない。そもそも、私とサイト側のやり取りに、勝手に入って来る人間がいるから議論になるのだ。そのやり取りを見て、勝手に消耗したと言われてもこちらも責任は持てないし、持つ必要もない。たとえば、野球で、選手が球団側と自分に関する契約改正で激しくやりとりしていたとして、それを見聞きしていた、実際の交渉にも関わってない、他の選手が辞めたとしたら、その交渉していた選手に責任があるとでもいうのだろうか。少し考えればわかることだと思うのだが、本当に論理的な考え方ができない連中だ。このサイトに入会しても、いつの間にやら姿を見せない人がたくさんいる。だから会員が長く居続けたいと思うようなインセンティブが働くようにしろとずっと言っているわけだが、一部ムラを作っている連中はそれを理解できる頭がない。
○サイト側への要望は、サイトと直接やるべきか
以前、ある会員が、他のレビュアーについて苦情を言ったことがあったらしい。らしいというのは、オープンになっていないからで、その結果、一人は退会、一人は実質休会状態になってしまった。これは、どっちもどっちという感じもしなくはないのだが、裏でどんなやりとりがあったかは、まったくわからない。この時は、ただ、結果から推測することしかできなかったのだ。こういったことを、この連中は、望んでいるのだろうか。何かあれば、堂々と、オープンにして、議論するのが筋というものだろう。
そもそも、私がサイト側にどういう方法で要望を伝えようと、それは、私の自由であり、あくまでサイト側との問題のはずだ。なぜ、したり顔で、第三者がしゃしゃり出て、反論されると、どんどん感情的になるのだろう。公序良俗に触れない限り、他人の自由を最大限許容するのが、民主主義国家の原則ではないのか。
おまけに、まるで私が掲示板を荒らしたような中傷をする。私は、単に、言われたことにきちんと反論を続けているだけだ。反論が嫌ならやめればいい。何か言えば、反論があるかもしれない。当たり前のことだろう。それが分からないものは、ネットに書く資格はない。よくあるような無責任な炎上とは訳がちがい、私は淡々と反論しているだけだし、これからも何かあれば同じようにする。
「私は今のままでいい」という意見もいくつかはあった。しかし、それは自分の考えであり、別の意見を封じ込めるために言ってはいけない。「私は今のままではいけない」と思っている。会員として、そのことを言うのは、当然の権利であるし、義務でもある。そもそも、全会員が100%満足しているようなことなどあり得ない。だからこと、サイト側は、いろんな意見を吸い上げて、それに対応していく必要があるのだ。もちろん、全部を会員の言う通りにすることはできない。しかし、対応方針位は迅速にだすべきだろう。その方針が受け入れられなければ、それに従った対応をするのも、もちろん会員の自由なはずである。
私は、これまで、サイト側への指摘しかしておらず、第3者や、私を非難している連中を攻撃したことは一度もない。感情的な物言いで、自分たちが、掲示板が荒れる原因を作っておいて、人にその責任を押し付ける。自分の言うことに反論されると、すべて相手が悪いと陰でこそこそ言う。小人度し難しとはこのことだろう。
○ビジネスでやっているから迅速を心がけるべきではないか。
これも、兼任でやっているという呆れた反論があった。兼任だろうが、専任だろうが、ビジネスには変わりはない。あくまでも事業の一環としてやっっており、決してボランティアではないのだ。そして、ビジネスである以上、厳しさが付きまとう。あんたら、自分たちが趣味で作った、仲良しクラブと勘違いしていないかと、ただあきれるばかりだ。
○サイト側が「審査」は必要だと言っているのだから従うべきだ。
大本営発表をそのまま信じて、納得しろということだろうか。対等である以上、納得できる理由を聞くことは当然だろう。こういう発言があると、本当に日本人は、ムラを作るのが好きだと感じる。
もう一つ言えば、そりゃ、連中は、審査が必要なレベルだろう。しかし、あんなのと、いっしょにしてもらいたくないというのがホンネだ。
○私が感情的か
鏡のような対応を心がけているだけ。感情的な攻撃には、そのように見えるよう迎撃する。理知的な議論で、こちらが感情的になったことは一度もない。理知的な議論ができる人に対しては、議論の後、結構仲良くなったりしている。今回は、相手がそうでないので、同じように返しているだけ。
私がツイッターにつぶやいた言葉を見て、連中の中に、気分が悪いと言うものがいた。しかし、それは自分たちがやっていることに、同程度の反応があるということに気が付かないのだろうか。感情的な反応には、同じような反応が返ってくるということである。(まあ、そう見えるような書き方をしているところもあるが)。私も、攻撃されれば、当然の権利として、迎撃はするが、こちらから攻撃をしかけたことはない。まあ、自衛隊みたいなものである。しかし、そのことが、鏡に写った自分を見ているということが分からないとしたら、もう救いようがないだろう。
○某ネット古本屋の退会は誰のせいか(※)
私と議論になったうちの一人が、ツイッターで明らかに私を個人攻撃している悪口を言っていたのを見つけたので、抗議したところ、それを言い訳にして、「本が好き!」を退会してしまった。ツイッターは公開されているものという意識がなかったのだろうか。悪事が発覚したのに、開き直って退会とは、まるで幼稚園児のような行動だ。悪いことをしたら、まず謝るのが筋ではないか。小学校で習わなかったのか。こうなると常識を疑ってしまう。もちろん退会は自分の意思であり、誰のせいでもない。
それに関して、また例の連中が集まって、まるで私が追い出したかのように言っている。悪いのは100%悪口を言った方だろう。悪事を働いた方を擁護して、なぜ私が非難されなければならないのか。まるで、集団でいじめに加担しているアホな中学生レベルの反応ではないか。事の理非を判断する力に欠けているとしか言いようがない。これについても、嘘を言って自分を正当化したいやつがいるようで、事実とまったく違うことが連中の頭の中には染みついているようだ。
一般に、日本人は、議論が下手で、何かあるとすぐ感情的になってエキサイトする。そして、周りが見えず、自分たちの言うことが絶対正しいと思い込む。もっとも、すぐに徒党を組みたがるのは、万国共通か?いずれにしても、反論される覚悟がなくては、ネットで主張すべきではない。
それまでは、サイト側からは、遅ればせながら、回答らしきものがあったので、しばらく暖かく見守っていこうと思っていたのだが、こういうことがあると、もうあそこに寄り付きたくはない。そうはいっても、登録している蔵書のが莫大なうえ、他に蔵書管理方法もないので、仕方なく使い続けているのだが。これを使うことは、既に1000以上の書評を提供しているからには、当然の権利というものである。
私も、あそこに書き込む際は、自分の場所ではないので、かなり遠慮して書いているところがある。言いたいことがあるなら、そんなところで、仲間内だけで、悪口を言うようなことはやめて、もっと開かれている私のブログにおいで。ここは自分の場所なので、たっぷりとかまってあげるから。もちろん、公序良俗に反するような書き込みは即削除するが。
(追記)
考え方の違いがあるのは当然で、それが民主主義の根幹をなすものですから、一方的な考え方を感情的に押し付けるものでない限り、尊重したいと思っています。理性的な意見には、例え反対でも、意見自体は尊重する。決して、人格に及ぶようなことは言わないというのが私の主義です。
相手がそうでない場合は、それなりの対応になりますが。
また、議論が平行線なら、それ以上続けても仕方がないので、打ち切りを宣言します。
(追記2)
これは、ムラを作って、仲間内だけで本の感想をしこしこ話していたい派と、私との、埋めがたい考え方の相違も原因があると思う。この違いは、前々からうすうす感じていた。
私の場合、ムラ内でやっているようなことには興味がない。自己啓発の一環として、色々な書を読み、書評を書く。同じ書くなら、少しでも良い書評にしたいし、感想文もどきしか書けない者たちとは、一線を画したい。ムラ社会に興味がないからこそ、要望があれば、サイト側にも伝えるし、自分の居心地が悪ければ、ムラに留まる気もない。正直、誰が決めたか分からないようなムラ社会のオキテなどどうでもよいのだ。しかし、、自分たちでオキテをつくり、それに従うことを他に求める連中がいる。これこそ、私がもっとも嫌うことだ。そもそも、後から来て、勝手にオキテをつくり、先住民にそれに従えという。何を考えているのか。
丸山眞男は、日本人は蛸壺社会だと看破した。こういうことがあると、彼の提唱したモデルの適用範囲というのは、非常に広いものだと実感する。仲間内で、感想文を披露しあっているばかりではなく、たまには、蛸壺から出て、不特定多数の人間を意識した、書評というものを書いてみる気はないのだろうか。
(追記3)
あそこの掲示板に書いたコメントをかなり削除した。提言のようなことも多いのだが、サイト側がやる気があるのなら、既にひかえているはずだし、例の会員たちのやり取りは、この記事一つで済むからだ。Fade awayの一環ということもある。
(追記4)
あそこと距離を置こうと思った、一番の理由は、例の会員たちとの不毛な議論があほらしくなったとが直接の原因だが、それ以上に、例の連中の井戸端会議的な雰囲気に違和感を感じていたということもある。あの連中の書く書評って、私には全然参考にもならないし(正直ヘタだと思う)、元々、井戸端会議にも興味はないし。
(追記5)
そもそも、うだうだ言っている連中の投稿数を全部合わせても、私の投稿数に及んでいない。ろくに実績もないのに、口だけは一人前だ。サイト側も、長く続けることへのモチベーションというものを軽視しているのではないだろうか。ああいった悪平等的な運営をやっていては、結局、力のあるレビュアーは残らないと思う。
(総括)
この問題は、そもそもは、私とサイト側とのやりとりであり、前々から主張していたことを言っているに過ぎない。こちらの要望が通らないのなら、これ以上書評を掲載しないというのも、当然の権利であり、以前から示唆していることだ。端的に言えば、そこに、バカな連中が、何の権利があるのか、不要な口出しをしてきたというのが、実際のところだろう。あれから約1ヶ月が経ったが、考えてみれば、時間の無駄遣いをしてきたものだ。
(追記6)※
あのとんでもないネット古本屋、HNを変えてまた舞い戻っているようだ。(素●堂⇒哀●亭●楽)ツイッターのブロックリストを見ると、ブロックした覚えもない名前が、あのネット古本屋に変わって出ている。いくらHNを変えても、アカウントが一緒ならすぐばれるということに気が付かないというのは、やっぱりかなり残念な奴だったか。
まあ、二度とあいつを相手にすることはないから、仲間内で井戸端会議をしていればいい。
(追記7)
なんだかもう一人かなり粘着質な方が出てきて、例の連中(特に両生類と古本屋)とバトルをしているみたいだ。なんだか例の舞い戻った古本屋、一丁前のコメントをしていたが、私はお前たちのやったことを忘れてないぞ! どうも運営側と何かあったらしく、粘着質な方は退会していたが、あの両生類と古本屋は相変わらず居座っている。これは許しがたい。
(追記8)H30.02.27
またこの問題の中心人物の一人であるか●めの奴が、別ブログにいいがかりをつけてきた。こちらは完全に無視しているのに、バカにつける薬はない。まあ、井戸端会議で自分たちのことを棚に上げて、人の悪口ばかりを言っている連中の典型的な行動だ。実際に私がち●わなるものに誹謗中傷されたコメントは、ずっとそのままだし、中の人間はあのとき何も動かなかったし。「私の時は何も」と言って当然だろう。勝手に割り込んで文句をつけたあげくに、自分たちの思うようにならないからとどんどん感情的になり、勝手に疲弊したと言いがかりをつけられてもこちらは全く責任を持てない。ア●●マなるもののツイートを引用しているが、お前らよりよっぽど学生時代に勉強してるし、学校が学校だったから周りにあんたらよりずっと優秀な人はたくさんいたよ。それに私は団塊系じゃない。不完全な情報で、勝手に脳内で想像して、人にレッテルを貼るのって残念なネット民の典型じゃないか。まあ、よくドラマに出てくる、井戸端会議で人の悪口を言っているオバはんみたいなものだろう。
「ワタシも一度絡まれかけて、けっこう不快だったんですよね~」って、そっちから絡まれた覚えはあるが、こっちから絡んだことはないはずだが。きっと横から乱入してきて反撃されたというのが真実だろう。脳内でヘンな記憶ができているようであきれる。老害や妄想にとりつかれているのはお前のほうじゃないかな? 何かにつけてしゃしゃり出て、例の粘着質の人にぴしっと言われたのを覚えてないのか?ああ、もしかするとそっちから言いがかりをつけてきて、撃ち落されたことを差しているのかな? こちらからアクションをしかけたことはないと思うのだが。まあ、一度他の人にコメントをつけたら、そのコメントに絡まれた覚えはあるが。コメントを付けた記事を書いた人とは、一度その人の書いた電子書籍に評価のようなものを書いていてある程度人間関係ができていると思っているのだが。それを横から割り込んで、自分勝手な思い込みで文句をつける。もう救いようがない。
絡んだのは自分の方じゃないか。こっちの方がかなり不快な思いをしている。そりゃ、絡んでくるやつには反撃するよ。まあ、あのコメントは反映しないが、一応言いがかりをつけてきた証拠としては残してある。そのうち何かあったら公開するかな。自分のバカな行動を謝りに来たのかと思ったが、とんだ時間の無駄をしてしまった。正直最近はバカ相手にするのがものすごく面倒臭い。そんなことで時間をロスしたくないというのが本音だ。
しかし、人のブログにあんな書き込みをしてくるとは常軌を逸していると自分で思わないのかね? まあ、次にやったらあいつのブログにいいがかりをそのまま貼り付けてやろう。人のブログを汚しているんだから、自分の文面を貼られても文句は言えないよな。
(追記9)
書き込まれた中にア●●マなる者とのツイッターでの人の悪口を言い合っているような内容が記されていたが、あれは、自分が抽選に外れたので、人にいちゃもんつけてきたのを切替されたので根に持っているのだと思う。大事にとっておこうが、捨てようが読者の自由だろう!? ⇒ コメント欄に注目 しかしバカだねえ。自分たちがツイッターで人の悪口を言っているのをそのまま貼り付けてくるなんて。自分たちが他人をこそこそと誹謗中傷している証拠を出しているようなものなのに。ありがたく保存して、何かの時に公開することにしよう。それに、小説しか読まないやつと小説も読む人間とどちらが思考が柔軟で、視野が広いか言わなくてもわかることだと思うが。
○関連過去記事
・書評というものについての私見