文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:ボーイスカート 1

2016-05-31 08:04:03 | 書評:その他
ボーイスカート 1 (ヤングジャンプコミックス)
クリエーター情報なし
集英社

・篠原知宏

 タイトルだが、「ボーイスカウト」ではなく「ボーイスカート」だ。つまりは、スカートをはいたボーイのこと。このタイトルから想像がつくように、いわゆる「男の娘」モノである。

 主人公の越智裕也は,入学した高校の教室で、自分の前の席に、可愛い女の子が座っているのを見て困惑する。なぜなら、その列は男子の席のはず。ところが、その女の子だと思った生徒の名前は、和泉重光。女の子ではなく、「男の娘」だったのだ。

 担任の女性教師曰く。
<いずみくんはいわゆる「男の娘」だ 今時珍しくないので これ以上つっこまないように!>
 ええっ! 今時の学校は、「男の娘」っていっぱいいるのか??

 重光が女の子の格好をしているのには理由があった。双子の妹が極度の男性恐怖症で、彼女を怖がらせずに守っていくために女装をしているというのである。でも最近、スカートをはくのが楽しくなってきたらしい。

 しかし、制服のミニスカートの下に履いているのはボクサーパンツ。まだまだいろいろと吹っ切れていないようだ。だから時々、「男の娘」から「漢」になる(笑)。

 この重光の妹であるゆりかの方は、一見イケメン男子だが、実は水着になると超巨乳。男子たちが、「乳神様」とひれ伏すくらいの迫力なのだ。裕也と重光、ゆかりの兄妹とが繰り広げるドタバタコメディはなんとも面白い。

 いわゆる「男の娘」ものは多いが、この作品は、一見イケメンの男性恐怖症である重光の妹を絡めて、三人の物語としているところが新しいのではないだろうか。

 まだ1巻目だが、今後の展開はいろいろ予想される。裕也は重光のことが男だと分かっていても、あまりの可愛らしさに、時にドキドキしてしまう。ゆりかも怖いながらも裕也のことが気になっているようなところもみられる。果たして裕也と重光は友情を深めていくのか、それとも禁断の扉を開いてしまうのか。ゆりかとはどのようになっていくのか。今後の展開が期待できそうだ。

☆☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:複数の問題を一気に解決するインクルージョン思考

2016-05-29 09:18:18 | 書評:ビジネス
複数の問題を一気に解決するインクルージョン思考
クリエーター情報なし
大和書房

・石田章洋

 本書は、複数の問題を一気に解決するための思考法について述べたものだ。要するに一石で何鳥も狙おうというものである。世の中には、単一のことだけが問題になっていることは少ないのではないだろうか。多くは複数の問題が別々に存在し、互いにトレードオフの関係となっている。だからあちらを立てればこちらが立たずという状況に陥り、解決策を示しにくいのだ。著者の言うインクルージョン思考とは、個々の問題を一段高い観点から捉えて、一気に解決してしまおうとするものだ。

 それでは、「インクルージョン思考」を身につけるにはどうしたらいいのか。本書では、インクルージブなアイデアへ至るステップとして、次の4つを示している。
①高次の目的を決めて旅立つ
②目的に従って材料を集める
③異なる分野の材料をつなげる
④手放して「ひらめき」とともに帰ってくる

 これらについては、確かに一般的な発想法のステップとして納得ができる。しかし「インクルージョン思考」のための発想法だとすれば、どこが通常の発想法と異なるのだろう。私はこれまで、多くの「発想法」に関する著書を読んできたが、どこに差別化された部分があるのかはよく分からなかった。

 ただし、書かれていることは、アイデアの発想法としてはオーソドックスなものだと思うので、熟読して本書に述べられている方法を習慣化すれば、かなりのアイデアマンになれるものと思う。

 もっとも帯にあるように「あらゆる難問を0.1秒で片づける」というのは言い過ぎだ。本書中にも、アイデアを寝かせることの重要性が、インクルージブなアイデアへ至る発想法の1ステップとして述べられており、明らかに矛盾している。これはおそらく、出版社の方でつけたのだろうが、誤解を招きそうだ。

☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:僕は君たちほどうまく時刻表をめくれない2

2016-05-27 07:40:02 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
僕は君たちほどうまく時刻表をめくれない 2 (ガガガ文庫)
クリエーター情報なし
小学館

・豊田巧 (著), 松山せいじ (イラスト)

 旅先で美味しいものを食べるのが趣味という高2の少年栗原駿が、暴走鉄オタ娘の北見美優という可愛いけれど筋金入りの鉄子から鉄分を注入されながら、だんどん鉄道の魅力に目覚めていくというシリーズの第2作目。

 この巻では、美優の親友で、いつも行動を共にしている時刻表大好きなモデル体型美人の宮田くれあはもちろん、前巻で彼らが知り合った爆乳美術部娘の白糠由佳と駿からスポーツバカと呼ばれている友人の高千穂大輔も一緒に行動している。

 駿はテレビで視た、目の前に海が広がる駅はどこかと美優に聞いたことから、みんなでくれあの別荘に泊まって鉄道旅と海との両方を楽しもうということになる。

 今回出てくるのは鶴見線、湘南モノレール、江ノ電。江ノ電に現れる白い少女の幽霊の謎を、時刻表トリックを見破ることにより解決するところは、ちょっとした鉄道ミステリーのようだ。

 駿は、最初宮田さんの方が気になっていたようだが、美優にふりまわされているうちに、どんどん彼女にひかれてきているようだ。そりゃ、これだけ可愛いけりゃ、いくら暴走娘でも、それがそのままチャームポイントになるんだよな。

 ところで、スポーツバカと爆乳美術部娘の2人は、意外にも意気投合しているようだ。前巻で由佳があれだけご執心だった先輩のことは、もう心の片隅にもないのだろうか(笑)。

 イラストを「ゆりてつ」の松山せいじが担当しており、とっても可愛らしいキャラが頭のなかを走り回るようだ。それが一層楽しさを盛り上げている。とっても楽しい鉄道ラブコメなので、鉄道と萌えの好きな人は、一読の価値があるだろう。

☆☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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放送大学の通信指導提出

2016-05-26 12:39:52 | 放送大学関係

上田秋成の文学 (放送大学教材)
クリエーター情報なし
放送大学教育振興会



 放送大学のシステムWAKABAから、今学期新に履修している「上田秋成の文学」の通信指導を提出した。既に問題は解き終わっているので、作業はWEB画面に入力するだけ。5分もかからず提出できた。結果もすぐわかり、10/10点。これで単位認定試験の受験資格もできたことになる。
 提出期間は24日から始まっていたのだが、どういうわけか26日からと思い込んでいた。やはりこまめな確認というのは必要だと、改めて感じた次第である。しかし、もう一つの科目、「量子と統計の物理(’15)」のほうは、先学期に通信指導は合格してはいるのだが、中身の勉強のほうはさっぱり進まない。大丈夫か・・・?
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書評:毒があるのになぜ食べられるのか

2016-05-25 09:20:22 | 書評:学術教養(科学・工学)
毒があるのになぜ食べられるのか (PHP新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所

・船山信次

 我々の身の回りは、いかに毒のあるもので囲まれているか。本書を読むと驚きの事実がわかる。なにしろ普通に食べているものでも毒があるのだ。それを私たちは、いろいろな方法を使って食べられるようにしているのである。

 例えば加熱処理。青酸配糖体を含むタピオカ、タケノコや溶血作用のある物質を含むソラマメなどは、過熱をすることによって、有毒成分が分解するという。

 灰汁抜きという方法もよく使われる。対象となるのは、結石の原因となるシュウ酸を含むホウレンソウや発がん性のあるワラビ、フキノトウなどだ。

 毒があるものの代表のような「フグの卵巣」も、「フグのへしこ」と呼ばれるぬか漬けにして食べてしまう。

 救荒植物と呼ばれるものもある。アルカロイドを含むヒガンバナやサイカシンという有毒成分を含むソテツなども、デンプンが豊かなため、飢饉の際には毒を抜いて食べていた。かっては、現代のように豊かではなかった。非常時には、毒があるものでもなんとか工夫して食べざるを得なかったのだ。しかし、先人たちはどのようにして、毒を無害にする方法を見つけ出したのだろうか。

 本来なら毒のないものも、食中毒菌やカビの影響で毒を持つので要注意だ。農薬が蓄積されている場合もある。

 必要に迫られてということもあるのだろうが、人間の食に対する執念と知恵には驚くべきものがある。そんなことを感じさせてくれる一冊だ。有毒成分の化学式、化学記号なども一応示されているが、分からなくても内容の理解には差し支えないので、この分野を専門とする人以外は、あまり気にする必要はないだろう。

☆☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の摂ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:生態系ってなに?―生きものたちの意外な連鎖

2016-05-23 08:54:21 | 書評:学術教養(科学・工学)
生態系ってなに?―生きものたちの意外な連鎖 (中公新書)
クリエーター情報なし
中央公論新社

・江崎保男

 本書は、生体系とは何かについて分かりやすく説明したものだ。まず生態系の定義だが、本書によれば、「ある地域の生物群集とそれを取り巻く物質循環を含めた全体」(p20)のことだという。

 この定義を読んだだけでは少し分かりにくいかもしれないが、ある地域の生物たちは、互いに結びついて全体としてシステムを形成しているということである。

 例えば、地球上の食料生産者は植物だが、この生産量は、陸地が約1000億トン/年、海洋が550億トン/年だという。これを草食動物が食べ、さらに草食動物を肉食動物が食べ、食物連鎖という形で生物は繋がっている。

 植物が光合成により捕まえたエネルギーは、物質と共に食物連鎖の中を伝わっていき、最後は宇宙に散っていくのだが、もう一つ重要な連鎖がある。生きるということは結局死ぬということだ。生物は、この食物連鎖の中で大量の死物(デトリタス)を出し、これが再び他の生物を養う栄養源・エネルギー源となる。これは腐食連鎖と呼ばれる。生物はこれらの連鎖を通じて互いに密接に結びついているのだ。

 本書では、まず生態系の概念が説明され、次になぜ生態系がシステムであるかを示される。さらに、生態系を構成する生物個体の話に移り、それらがどのように繋がりあっているのかが示され、最後に生態系の概念が、再度分かりやすく示されている。生態家について一通りの基礎知識をつけるには良い本ではないだろうか。

 生態系がシステムであることについて、興味深い実験が紹介されている。捕食者が存在することにより、多種類の生物が共存できるというのだ。実験的に捕食者を取り除いてみると、これまで多種類の生物が共存していた場所が1種類の生物だけで占められてしまったというのだ。かように、生物間の相互作用というのは複雑なのである。

 本書では、生態系がジグソーパズルに例えられる。各生物は、ジグソーパズルのピースに当たる。だから、ある生物の絶滅が危惧されるからといって、その生物だけを考えてもあまり意味はないのである。ジグソーパズル全体を見なければならないのだ。これは絶滅危惧種の保護を考える際に重要な示唆を与えてくれるものだと思う。

 私たちが子供の頃には。まだあちこちに豊かな生態系が残っていた。川も山も田んぼさえも多くの命がひしめいていたのだ。しかし、いまでは目にすることのなくなった生物たちは余りにも多い。豊かな生活を求めてきた結果、失ったものも大きいのである。私たちは再び豊かな生態系を。取り戻すことができるのであろうか。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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ドラマレビュー:「ドラマスペシャル 帝都大学叡古教授の事件簿

2016-05-22 13:32:16 | 映画・ドラマ

 昨日のテレビ朝日系列で放映していた「ドラマスペシャル 帝都大学叡古教授の事件簿」。原作は門井慶喜の「東京帝大叡古教授」だが、大学名が変わっていることから想像がつくように、中身はほぼ別物。

 文系の天才というふれこみの帝都大学教授・宇野辺叡古が学内で発生した猟奇的な連続殺人事件を解決に導くという内容だ。

 時代も原作とは違っている。原作では日露戦争が起こったころの明治の日本が舞台だったが、ドラマではこれが現代に置き換えられている。阿蘇藤太も旧制五高から東京帝大入学を目指していた若者だったところが、こちらでは叡古教授の助手。原作ではかなり重要な役を果たしていたのだが、ドラマではかなり軽い役どころだった。助教ではないので、あまり学問の道を目指しているわけでもないようだ。また叡古教授自身もなんだか原作より軽い。

 原作との一番の違いは、ストーリーに警察が大きく関わっているところだろう。南波陽人という警視庁刑事が叡古の相棒役のようである。この南波刑事、階級は警部補らしいが、ドラマ中で「ダメキャリ」と罵られる場面があったので、一応キャリア警察官なのだろう。母親が国家公安委員長という設定からもそれが推測できる。しかし、キャリア警察官なら、警部補は最初の1年間だけ。すぐに警部に昇進するはずだ。難波を演じている田中直樹は、年齢的にとても入庁1年目の新人には見えない。母親が国家御公安委員長なら、降格処分を受けたということも考えにくい。

 彼の上司に当たる警視庁捜査一課の係長とその腰ぎんちゃくのような刑事が出ていたが、その二人の態度の横柄なこと。その腰ぎんちゃくのほうが南波の頭を叩いているシーンがあったが、係長が警部だからその部下なら警部補か巡査部長というところだろう。階級社会の警察で、同格以上の階級のキャリア警官を、いくら「ダメキャリ」と思っていても、頭を叩くようなことがあるのだろうか。

 捜査一課長が、やたらと国家公安委員長のところに行っているというのも気になる。行くのなら、刑事部長か警視総監のところではないのか。なかなか突っ込みどころの多いドラマだった。

 ところで、叡古教授をわざわざ「文系の天才」と銘打ったのは、帝都大学には、理系の天才であるガリレオこと湯川准教授がいるからなのか(笑)。テレビ局は違うが、この二人がコラボしているドラマを作ったら面白いかなと思った。


○原作
・東京帝大叡古教授(門井慶喜)
東京帝大叡古教授 (小学館文庫)
クリエーター情報なし
小学館


○出演
・藤木直人(宇野辺叡古)
・清水富美加(宇野辺さくら子)
・白洲迅(阿蘇藤太)
・田中直樹(南波陽人)他

☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:血流がすべて解決する

2016-05-21 10:09:13 | 書評:その他
血流がすべて解決する
クリエーター情報なし
サンマーク出版

・堀江昭佳

 著者は漢方薬剤師で、出雲大社の参道で90年近く続く老舗漢方薬局の4代目だということだ。そんな著者が語る血流改善法。本書に述べられているのは、「血流を増やして、心と体のすべての悩みを解決する方法」(p1)だ。

 本書によれば、血流が悪い原因は3つに分けられるという。すなわち、血がつくれない(気虚体質)、血が足らない(血虚体質)、血が流れない(気滞 瘀血体質)である。だから、血をつくる、増やす、流すの3つの観点から対策を行えば血流はよくなるというのだ。この辺りは、ロジカルシンキングでいうMECE(ミッシー)になっておりとても分かりやすい分類だ。

 そして、それぞれについて個別にどうしたらよいかが説明されているが、どれもそう難しいようなことではない。例えば、血をつくるには、胃腸を元気にして適切な食事法を実践すればよいし、血を増やすには、早く寝て、朝起きたら太陽の光を浴びればよいのだ。そして、血を流す方法はウォーキングと呼吸法である。もちろんこの他にも細かいことは色々書かれているが、どれも実行することはそれほど困難なことではない。

 本書は、主に女性を対象に書かれているようだ。しかし、紹介されている方法は、特に男女の区別なく、健康づくりのためには有効だろう。もっともタイトルのように、血流改善ですべてが解決するかどうかは疑問であるが、少なくとも実行しても無駄にはならないようなことが書かれていると思う。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:仏像は語る

2016-05-19 07:50:12 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
仏像は語る (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

・西村公朝

 著者は、東京芸大名誉教授で、財団法人美術院国宝修理所で千数百体の仏像(神像)修理に携わった仏師でもある。天台大仏師法印の称号を持ち、京都の愛宕念仏寺住職をされていたが、2003年に亡くなられている。

 本書は、西村さんが体験した、仏像に関する様々なエピソードを纏めたものだ。生きている御神木に不動明王を刻んだり、手を触れただけで指がめり込むほど虫食いが進んだ神像を甦らせたり、三十三間堂の千手観音の修理を行ったりと、いかにも仏師らしい仏像修理のエピソードが満載だ。仏像の着付けを研究するため、インド古典舞踊団の団長から衣装の着方を教わったこともあったという。

 西村さんによれば、仏像について無知だと平気でいう住職が割りと多いそうだ。自分が祀っているご本尊が何かも知らない住職もいるそうだから呆れてしまう。

 もっとも、これも今に始まったことではなく、江戸時代の仏師には、千手観音の右手と左手を入れ換えてしまうといういい加減な仕事をするものが結構いたらしい。ところが、歴代の住職がこれに気が付かないまま、現代に至っているということもよくあるというのである。こうなると、宗教者のあり方としてどうなんだろうと思ってしまう。これは、多くの寺で、住職が世襲の職業になってしまっているということにも関係しているのだろう。

 現代科学は、これまでは宗教の領域でしかなかったものを、次々に解き明かしてきた。おそらく最後に残るのは「こころ」の領域ではないかと思う。だからこそ、これからの仏教者は、「こころ」を扱うものとして、いかにあるべきかということを徹底的に考える必要があるのではないか。単に先祖から受け継いだ寺を維持しているだけでは、仏教の未来は暗い。そんなことを思いながら、本書を読み終わった。

☆☆☆☆

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書評:「できない」を「できる」に変えるマネジメント

2016-05-17 11:11:50 | 書評:ビジネス
「できない」を「できる」に変えるマネジメント
クリエーター情報なし
セルバ出版

・細谷知司

 本書に述べられているのは、「個体差」に着目した「違いのマネジメント」についてだ。要するに、みんなが「同じ」ようにできることを目指すのではなく、それぞれに今よりもできることを目指そうということである。そのための手段は「対話」だという。

 そもそも一人一人が、能力も性格も違うのだ。金太郎飴のように同じ人間を作ることなどできる訳がない。金子みすゞではないが、「みんなちがってみんないい」を目指すことが現実的なのである。

 本書では、まずこの「違いのマネジメント」について説明し、次にどういった「できない」が問題になっているのかを分類しその処方箋を提示している。さらに、具体的にはどのようにすればよいのかということで、実際の対話の場面を再現し、ポイントとなる部分を解説する。本書では、この具体例に全体の約半分が割かれているので、どのような場合にどのような対話を行えば良いかがよくわかるだろう。

 ただ実際に本書にあるような対話を行えるようになるには、かなりの場数を踏むことが必要だろうし、口も旨くなくてはいけない。しかし、本書は個体差のマネジメントを重要視しているのだから、そもそも全く同じようにする必要もないのだろう。本書を参考に、自分なりのやり方を模索することが大切なのだ。心に留めておかなければならないのは、どんな場合でも、マネージャーとして逃げてはいけないということだと思う。

 無能な経営者やマネージャーほど、「ベクトルを合わせる」などと意味不明のことを唱えて、自分の価値観を押し付けたがるものだ。みんなが経営者にベクトルを合わせた結果が、最近世間を騒がせている不祥事ではないのか。いま企業で必要なのは、本書で述べられていることからさらにもう一歩進んで、「同じ」人間を作ることではなく、「違う」人間を作っていくことなのだろう。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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