午前0時の忘れもの (集英社文庫) | |
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集英社 |
・赤川次郎
<お腹が空いている。- それは、生きてること、そのことのように、すてきな感じだった……。>(p300)
大林宜彦監督の「新・尾道三部作」の2作目となる「あした」。その原作となったのが本書である。ただし、原作では事故を起こしたのはバスだが、映画では船になっている。
深夜、実ヶ原バスターミナルに集まった人々。ヤクザの親分、社長夫人、女子高生、陸上選手、会社の中間管理職。経歴も、年齢も、性別も様々で、一見共通点がないような面々。
彼ら、彼女らは、1か月前のバス事故で大切な人を亡くしていた。そして、死んだはずの人たちから、バスターミナルに午前0時に会いに来てほしいというメッセージを受け取っていたのだ。
これは、最終バスに乗り遅れて、一晩バスターミナルで過ごすことになった女子大生、法子とルミが目撃した、わずか1時間だけの奇蹟の物語。
本作は、この死んでしまった大切な人たちとの再会のドラマを主体に、それにいくつかの話を絡ませて物語を大きく膨らませている。ヤクザの親分金沢の命を狙う一派の襲撃。法子と彼女の幼馴染だった金沢の子分・貢との再会と恋。
亡くなった人の気持ちも、亡くした人の気持ちも皆同じだと言うわけではない。描かれているのはそれぞれの思い。自分はもう十分生きたからと死者についていくもの。立ち直ってほしいと死者に励まされるもの。
考えてみれば、死者が会いにくるというのは不気味な出来事なのだが、本作にはそのような気味悪さは感じられない。描かれているのは、まさに現代のおとぎ話。そして生きているということのすばらしさだろう。
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※本記事は、「風竜胆の書評」に掲載したものです。