放浪の俳人、種田山頭火の3つ目の旅日記だ。昭和14年の春に、広島から近畿、中部を旅したときの記録である。
山頭火はこの年に松山に移り、翌年には鬼籍に入っている。四国に渡ったのがこの年の9月、松山に一草庵を結んだのが12月で、亡くなったのが次の年の10月だから、この日記の書かれたのはまだ彼が湯田温泉の風来居にいたころとなる。
彼には生活能力はまったくといっていいほどなかったのだが、人には好かれたのだろう。日記を読むと、彼が旅の先々で知り合いに歓迎され、割と気楽に旅をしていたことが読み取れる。中には初対面の人もいた。この点山頭火と並び称される自由律俳句の俳人尾崎放哉の偏屈さとは対照的だ。山頭火の句を読んでみても、放哉の句と比べると軽快であり、中にはユーモラスなものもある。
風のなか野糞する草の青々(4月21日)
若葉を分け入りてうんこすること(4月26日)
どれだけ野糞が好きなんだと思わないでもないが、あの時代公衆トイレなんて整備されていなかっただろうし、もよおしたら出さないと旅が続けられない。
山頭火も放哉と同じく酒におぼれていたが、おそらく飲んで陽気になる酒だったのだろう。そうでなくては、これだけ色々な人の厄介になれるわけがない。しかし、おそらくアルコールが彼の寿命を縮めたのだろう。享年58、幾らあの時代でも、結核などを患ってもいないのに、少し早い死だと思われる。
最後に本書にある山頭火の言葉を引用しよう。難しいことを言っているが、その実態は・・・。おそらくこういった理屈をつけないと、自分で納得できなかったのだろう。
色即是空、 空即是色、 いひかへると、現象と実在とが不即不離 になつて、私の身心其物として表現せられる境地、その境地に没入することが私の志である。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。