文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

放送大学からの通信指導結果到着

2015-12-31 12:55:38 | 放送大学関係
 11月の終わりに、システムWAKABAを使って提出していた放送大学の通信指導結果が送られていた。、提出していたのは、「問題解決の数理(’13)」と「量子と統計の物理(’15)」の2科目。WEB提出なので、既に結果のほうは分かっていたのだが、これで単位認定試験のほうも受験するための要件が整ったことになる。

 しかし、別に卒業を急ぐ理由もないし、今回履修している科目はどちらも自専攻の科目ではない。試験日のあたりはいろいろと忙しいので、既に1科目は次学期回しにする気まんまんである。せっかく授業料を払っているのなら、粘れるだけ粘ったほうが得かもしれないと最近は思うようになった(笑)。

 
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書評:楽園への清く正しき道程 0番目は北国産のツンドラ王妃?

2015-12-31 10:41:09 | 書評:小説(その他)
楽園への清く正しき道程 0番目は北国産のツンドラ王妃? (ファミ通文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/エンターブレイン


 野村美月と竹岡美穂のゴールデンコンビによる新シリーズ「楽園への清く正しき道程」。その1作目となる「0番目は北国産のツンドラ王妃?」。実は副題の最後に「?」がついているのには意味がある。

 ローデシアの新国王となったルドヴィークは、元服屋の若旦那。王位に就いた兄3人が次々に亡くなったため、庶子だった彼にお鉢が回ってきたというわけだ。

 国内には彼が王になったことを快く思わない一派もいる。王としての基盤を強めるため、ルドヴィークは北の大国エンドラ帝国のカテリナ皇女を妃に迎えることに。

 カテリナが類いまれなる美女と聞いて期待で一杯のルドヴィークだったが、カテリナは彼の顔を見るなり、「ズロース(エンドラ語でキモイ)」

 なんとかカテリナと仲良くしようとするルドヴィークだが、カテリナは徹底的に彼を避ける。ツンデレ娘どころか、まさに副題通りのツンドラ娘。王妃との関係に悩むルドヴィークだが、物語は思わぬ方向に進んでいく。

 野村美月の描く美少女が、性格が悪くて可愛げのないただのツンツン娘であるはずがない。もちろんカテリナがツンドラ娘を演じているのには、ある理由があったのである。本当のカテリナは、他の野村作品に出てくる美少女と同じくとっても可愛らしくて魅力的な娘なのだ。冷酷キャラを演じていても、どこか演じきれていないところがある。また、全体を流れるコミカルな雰囲気も他の野村作品と同じだ。

 帯には、このシリーズはルドヴィークが7人の恋人と正しいハーレムを作る物語だと書かれている(ただし、予言によれば、7番目は決して手に入らないらしい)。しかしこのルドヴィーク、女性たちからの人気も抜群なのだが、これまではいつもいわゆる「いい人」扱いで終わってしまっていた。自分の妻である王妃からも結局「いい人」に認定されてしまったようだが、これではハーレムづくりは前途多難だろう。果たしてこの後どうなることか。

 副題には、カテリナは7人の中の「1番目」ではなく、「0番目」となっている。確かにこの巻の内容からは「0番目」かな。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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書評:相対論(放送大学教材)

2015-12-29 09:24:58 | 書評:学術教養(科学・工学)
相対論 (放送大学教材)
クリエーター情報なし
放送大学教育振興会


大学、大学院で電気工学を学んだこともあり、以前から理工系の本を読むのが好きだったのだが、最近はむくむくと「相対論」を勉強したいという気持ちが沸き上がっている。特殊相対論なら大学時代にも勉強して一応単位も取っているのだが、やはり一般相対論までは学んでみたい。それも通俗的な解説書ではなく、たとえ入門的なものでもきっちりと数式を使って、ごまかしなしに理論を展開しているようなものをである。

 その関係の本を何冊か買ってはみたが、理系の素養があるとはいえ、ウン十年も相対論なんて全く関係のない電気工学関係の仕事をしてきたので、こういった純粋物理学方面の知識はすっかり錆びついてしまっている。一般相対論にはリーマン幾何学の知識が不可欠であり、計算自体も複雑だ。この方面に疎くて計算も苦手な私としては、勉強の進み方はまさに亀の歩みといったところである。

 この状態を少しでも改善しようと本棚から引っ張り出してきたのが、この「相対論(放送大学教材)」(藤井保憲:放送大学教育振興会)というわけだ。’99年の教材なので、ちょっと古いかなという感じはするが、本書は教養学部とはいえ一応大学の正規の教材であるから、通俗書のように単なる言葉だけの説明で終わっていたりはしてはいない。

 たださすがに理学部ではなく、教養学部の教材なので、あまり数学的なことには深入りしておらず、物理的な考察のほうに重点が置かれている。だから相対論を勉強する第一歩として、概念的なものをつかむには役に立つのだろう。実は、この科目も放送大学で単位を取ってはいるのだが、試験のためのやっつけ仕事だったような気がする。今読み返してみると、「こんなこと書いてあったかな?」ということがかなりあったのは驚きだった(苦笑)。

 相対論の世界には、我々の普通の常識とは相いれないようなものが多い。だからこそ、多くの人の興味を引き付けて離さないのだろう。私自身も、本書で概念的な部分を固めながら、少しずつ数学的なところも勉強していき、いつかは一般相対論を数学的にも理解できるようになりたいと思う。しかし、いつの日になることやら。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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仙巌園と鶴嶺神社(鹿児島旅行12)

2015-12-28 14:00:26 | 旅行:四国・九州・沖縄



 異人館からちょっと歩いたところに仙巌園がある。この庭園は、19代島津光久が造ったもので、中国江西省の景勝地である龍虎山仙巌に景色が似ていることから、「仙巌園」と名付けられたようだ。少し前まで土砂降りだった雨もほとんど上がっていたのだが、残念なことに時間がもうあまりない。入園料も高いので今から入ってももったいないということで、外側から写真を撮って終わった。




 その代わりということで、すぐ傍にある「鶴嶺神社」に参拝する。ここは島津家歴代当主とその家族を祀った神社だということだ。


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異人館(鹿児島旅行11)
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異人館(鹿児島旅行11)

2015-12-27 11:09:08 | 旅行:四国・九州・沖縄



 雨が強くなってきたが、いったん鹿児島中央駅に戻って、異人館を目指すことにする。乗ったのは、2種類ある循環バスのうちの「まち巡りバス」。城山や西郷像など、鹿児島市内の主な観光地をぐるっと回って鹿児島中央駅に帰ってくる。




 これは、バスから見た西郷さんの像。雨足がどんどん強まっているので、こんな写真になってしまった。



 上の写真が異人館。異人館といえば、つい神戸を連想してしまうが、鹿児島にもその名で呼ばれるものがある。この建物は、正式には旧集成館「旧鹿児島紡績所技師館」と呼ばれているものだ。(1867年(慶應3)に薩摩藩が日本初の洋式紡績工場として鹿児島紡績所を建設したときに、工場の指導者として招いたイギリス人技師のイー・ホームズら7名の宿舎として建設されたという。技師を招聘するために、こんな立派な建物を建てるのだから、当時西洋の技術がいかに重要視されていたかわかるだろう。

 なお、世界遺産うんぬんの立て札が写っているが、これは「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が一括で登録された際に、ここも構成資産の一つになったからである。


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鹿児島県立博物館(鹿児島旅行10)
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馬鹿につける薬はない

2015-12-27 09:04:19 | オピニオン
 私は、とある書評サイトに所属して、自分のブログだけでなく、そのサイトにも書評を供給していた。

 しかし、一部会員たち(以下井戸端会議グループ)のエキセントリックな言動の相手をすることやサイト側の対応が馬鹿らしくなって、今年の10月末からあのサイトとは距離を置いていた。

 年末が近づいたので、井戸端会議グループの連中は別にしてもその他の会員さんの方が多いので、年末のご挨拶をと書評をひとつ投稿した。

 するとこの投稿ではなく、以前投稿した書評に、井戸端会議グループの一人から、常軌を逸していると思えるようなコメントが張り付けられていた。まあ一度読んでみてほしい。ネット上に氾濫するゴキブリのような下品このうえない物言いで、私が以前「ネットゴキブリ」と名付けた連中そのままの行動そのものだから。この人物、以前も献本を直接申し込んできた方に対して、それが気に食わなかったのか、かなりエキセントリックな対応をしていた。あの時は、ふつうあそこまで言うかと思っていたのだが、考えてみればネットには似たような書き込みがあふれている。「ネット弁慶」のような存在はそう驚くにはあたらないのかもしれない。ネットの世界には、このように頭の中を疑いたくなるような連中がたむろしている。

 こいつが一番悪いのは、同じ井戸端会議仲間とやっていたと思われる噂話に基づいて私を非難していることだ。世間でよく問題になっている風評被害は、きっとこういった連中が広めていくんだろうなと思う。もっと自分の頭で考えてみればいいとも思うのだが、両生類ではしょうがないか。おまけに、人の書評をさんざん荒らしておいて、罪悪感のかけらも見られない。ネットで顔が見えないのをいいことに頭脳構造を疑うようなことを主張する。

 そもそもこの連中には本来関係のないことに、厚顔にも自分の愚かな意見を押し付けてくる。いったい何の権利があって、人に干渉してくるのか?まさに馬鹿につける薬はない。人に自分の稚拙な意見を押し付ける暇があれば、まともな書評が書けるように努力しろよと思うのだが。

 一応サイト側には、12/26に書評投稿者への、他者からのコメント削減機能追加の提言と、他人のへの誹謗中傷という規約違反の連絡をしておいたが果たしてどんな対応になることやら。


(追伸)
 一応コメントは画面コピーをとっておいたから、たとえ後で削除してしらばっくれても無駄である。


(追伸2)
 規約には以下の通り書いてある。明らかに誹謗中傷なので、その旨この記事を書いた際にサイトに連絡はしたのだが、H28.2.2現在サイト側からは一切の反応がない、要するに当事者能力がないということだろう。今回の件でそれがよく分かった。もうあそこはだめだなというのが私の今の気持ちだ。

(利用規約抜粋)

 第8条 禁止行為

利用者は、本サービスを利用して、次の行為を行わないものとします。
禁止行為を行った場合、弊社は利用者の掲載内容について送信防止措置(削除あるいは非表示)を講じることがあります。また、利用者の以後の利用を禁止する場合があります。
(略)
3. 他者を差別もしくは誹謗中傷・侮辱し、他者への差別を助長したり言論を封じ、またはその名誉もしくは信用を毀損する行為


○関連過去記事
なぜネットにはアホなコメントが氾濫するのか


 

 

 

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書評:薔薇の殺人

2015-12-27 08:52:53 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
薔薇の殺人 (角川文庫)
クリエーター情報なし
角川書店


 華やかな女の園である「宝塚」をモチーフにした浅見光彦シリーズの一冊、「薔薇の殺人」(内田康夫:角川文庫)。もっとも宝塚で事件が起こるという訳ではなく、事件の遠因が7年前の宝塚で起きたある出来事になっているということである。だから現役のタカラジェンヌが事件に巻き込まれるという訳ではないので、宝塚ファンの方はご安心を。

 今回光彦が事件に関わることになったのは、親戚の大学生・緒方聡に誘拐殺人事件の嫌疑がかけられたからだ。この事件の被害者は、浜岡文絵という美少女女子高生。緒方は、通っている大学に隣接している女子高に通う文絵を見初めて、こっそり後を付けるというようなことをしていたために疑われたのである。

 浅見光彦シリーズにはヒロインとして美少女が登場することはあっても、事件の被害者になったのはこの作品ぐらいだろうか。このシリーズはほとんど読んでいるはずなのだが記憶にない(私が忘れているだけか?)。この作品では、最初にヒロイン候補が殺されてしまったためか、ヒロインらしき女性は出てこない。本来なら光彦とヒロインの絡みも一つの読みどころなのだが、ヒロインの変わりが生意気な親戚の大学生。これも珍しいことである。

 ところで事件を解き明かすために光彦が目を付けたのが、脅迫状を作るのに使われていた新聞の見出しに使われる「初号活字」による「娘」という文字。光彦はいつの新聞に使われていたかを調べるために、なんと17年分も過去の新聞を調査するのだ。見つかったのは17年前の記事で、これが事件の解決の糸口となるというのはなかなか斬新なアイディアだろう。作者はこれに、東京版と関西版では記事が違うことがあるということを入れて光彦の推理に彩を添えている。

 しかし考えてみれば、これは諸刃の剣である。なぜなら光彦が調べたのは東京版の17年分だからだ。関西版と記事が違うことがあるのなら、関西版の方も同じように調べてみないと、「娘」の文字が使われたのは、17年前の記事にしかなかったということは言えないはずだ。おまけに新聞は、締め切りの関係で配達地域によって記事が差し変わるということもある。

 ともあれ今回の事件は、17年前の出来事に端を発する因縁が時を超えて悲劇に結びついたというようなところか。しかし光彦はどうも最後の詰めが甘いところがある。99%事件を推理しても、最後のところで肝心の犯人を間違ってしまうことがままあるのだ。今回もそれが結果的に更なる悲劇に繋がったような格好になってしまったのだが、必ずしも完璧ではないというところも光彦の魅力の一つなのだろう。ただ明らかになった事件の真相の方は、いくらなんでもリアリティに乏しいように感じてしまう。

※本記事は、2007.12.14付で「時空の流離人」に掲載したものを下敷きに、本書を再読のうえ、全面的に書き直したものです。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の節ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。

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鹿児島県立博物館(鹿児島旅行10)

2015-12-25 15:35:55 | 旅行:四国・九州・沖縄



 写真は、天文館のアーケードを抜けてちょっと行ったところにある「鹿児島県立博物館」。内部はこんな感じだ。鹿児島県内に生息する生物、鹿児島県の地質に関するものなど、ここを見学するだけで鹿児島県に関することはかなり分かるという優れもの。






 私は博物館に行くのが好きなので、旅行先にあったら、つい立ち寄ってしまう。この鹿児島県立博物館は、うれしいことになんと入場無料。色々な博物館に行ったが無料というのは初めての経験だ。おまけに記念品ということで桜島の火山灰の入った袋をくれた。さすがは西郷さんの御膝元、なんとも太っ腹である。


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鹿児島ラーメン 豚とろ(鹿児島旅行9)
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書評:ゴードン・スミスの日本怪談集

2015-12-25 11:41:11 | 書評:その他
ゴードン・スミスの日本怪談集 (怪BOOKS)
クリエーター情報なし
角川書店


 日本の怪談を書いた外国出身の人と言えば、すぐ連想するのはラフカディオ・ハーンがだが、もう一人忘れてはならない人がいる。イギリスの博物学者で旅行者のリチャード・ゴードン・スミスだ。彼が日本にやって来たのは1898年(明治31)。すっかり日本が気に入って居ついてしまったスミスは、多くの日本の怪談・奇談を書き留めていた。

 「ゴードン・スミスの日本怪談集」(荒俣宏編訳:角川書店)は、大判5冊に及ぶ彼の原本の中からよりすぐりの16編を紹介したものだ。大富豪でもあったスミスは、ほとんどの物語に美しい挿絵を描かせている。本書にもその挿絵が掲載されているが、なんとも雰囲気のあるすばらしいものばかりだ。

 収められている話はどれも怪しく美しい。例えば「帰ってきた名刀、幸丸」という話は、命を助けられた雌鯉の精が助けてくれた男の嫁になるという話だ。男女の愛は種族の壁を超えるという異種婚姻譚である。

 和歌山に伝わる「安珍と清姫」の原本になったという「白羊塚」という話も載っている。ただしこちらは沖縄の話だ。猟師の息子である松寿は、首里の蓮華道の住持のもとで学問を学んでいた。あまり学問好きではなかった彼は、口実をこしらえて師匠から逃げ出し山に入る。山で白い山羊を見つけた彼は、その山羊を追いかけるうちにすっかり道に迷ってしまった。山の中を歩き回るうちに見つけた小屋で出会った娘の名が「清姫」。山は「道成山」だった。

 自分といっしょに暮して欲しいという清姫に、松寿は色よい返事をしない。遂に怒り心頭に達した清姫は、夜叉のようになって松寿を追いかける。「安珍と清姫」と違うのは、鐘の中に入って死ぬのは清姫の方だというところである。もちろん人間ではない。それにしても、和歌山に伝わる話のルーツが遠く離れた沖縄にあったというのは面白い。いったいどのようにして伝わったのだろうか。

 ところで本書中には、いくつか気になる箇所が見られる。まず「観音という慈悲の女神」(p94)と書かれているところだ。観音菩薩は女性ではないし神でもないというのが私の見解だ。スミスは、髭が描かれている観音像を見たことがなかったのだろう。もっとも、観音菩薩を女神として扱うこともあることはある。しかし、顔に髭を書くと言うことは、少なくとも正式な仏教では、女性としては扱われなかったということだろうと思う。なお、あれは髭ではなく口の動きだと言う説もあるが、客観的にはどう見ても髭にしか見えない。

 また祇園の神様として有名な牛頭天王について、次のように書かれている。
 「牛頭天皇は、ときに冥土の神と呼ばれる」
 「牛頭天皇は月の神とも呼ばれる」 (p98)
 牛頭天皇はスサノオノミコトと同一とされ、「疫病神」としての性格も持っているが、「冥土の神」と言うのはどういうことだろう。スサノオが「根之堅州國」に住んでいたからなのか。また「月の神」というのは初耳だ。そのような伝説もどこかに伝わっていたのだろうか。それともスサノオの兄である「月読命」と混同したのだろうか。

 しかしこれらの物語は、ハーンの「怪談」と比べても遜色がないくらい興味深いものだ。スミスがこのような物語を、私たちに残してくれた意義は大きいのではないかと思う。できれば本書に収録されなかった話も、機会があれば読んでみたいものである。

☆☆☆☆

※本記事は、書評専門の拙ブログ「風竜胆の書評」に掲載したものです。



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鹿児島ラーメン 豚とろ(鹿児島旅行9)

2015-12-24 18:54:47 | 旅行:四国・九州・沖縄


 2日目の昼食は鹿児島ラーメンでも食べてみようと、ガイドブックにも載っていた「豚とろ」という店に入る。



 注文したのも、もちろん「豚とろ」ラーメン。写真の通り、見るからに濃厚な豚骨スープで。癖になりそうなくらいうまい。ところで「豚とろ」の読み方、てっきり「ぶたとろ」だと思っていたら「とんとろ」が正解らしい。店員が持ってきたときに「とんとろ」と言うので、最初何を言っているのか分からなかった。「とんとろ」では、どうも語呂が悪い。「ぶたとろ」の方が言いやすくていいと思うのだが。

 

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ハンマーヘッド?(鹿児島旅行8)
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