・エリザベス・ウェイン、(訳)吉澤康子
主人公のローズはアメリカ人女性飛行士で、イギリスの補助航空隊に所属している。戦闘機の輸送途中でドイツ空軍に捕まり、ナチスの強制収容所の一つであるラーフェンスブリュック収容所に送られることになる。そこはまさにこの世の地獄。
収容者は番号で呼ばれ、栄養状態も衛生状態も最悪。繰り返される虐待。食べ物はパンのかけらと何が入っているかわからないスープ。色が付いているだけのコーヒーと呼ばれるもの。腸チフスや結核などの疫病が蔓延し、収容者が、点呼中に催した時は、そのまま垂れ流ししないといけなかった。
またウサギと呼ばれるポーランド人の女性たちも収容されていた。彼女たちは、忌まわしい人体実験の材料にされ、足に傷を持っていた。
そしてしばしば行われる大量処刑。銃殺やガス室での処刑が日常的な風景なのだ。病気や飢えで死ななくても、いつ自分が処刑される番になるかわからない。死人たちの衣服は回収され、収容者たちに再利用される。そこには人間の尊厳などといったものはない。
この作品はローズを語り手にして、彼女が収容所に入れられる前後を含めて描き、収容所の悲惨さを描いたものだ。
それでは、当時のドイツ人がひときわ残虐だったのだろうか。もちろんそんな人間もいるだろうが、多くの人間はそうではなかったのだろう。心理学にミルグラムという人が行った有名な実験がある。この実験についての詳細はググってみて欲しいが、この実験はしばしばアイヒマン実験とも呼ばれている。人間は服従や権威への盲従でいくらでも残虐になれる生き物なのだ。
それにしても、あのちょび髭の見るからに胡散臭いおっさんに世界中がかき回された時代。今から見ればアホらしいことこの上ないが、いったん権威が確立されると人はそれに盲従してしまうものだ。
ところで、この作品もやはり、「正しい理科知識普及委員会(自称)」からの指摘は免れなかった(笑)。
この作品にも「高圧電流が流れている」という表現が気が付いただけで2か所。もう指摘するのも疲れたのだが、「高電圧」とか「大電流」というものはあるが、「高圧電流」というものはない。一応、出ている箇所を抜き出しておこう。ローズたちが、ラーフェンスブリュック収容所を脱出して、そこから飛行機を盗むことになる飛行場に拘束されているときのことだ。
<わたしは、自分たちが有刺鉄線のフェンスのすぐそばに立っていたので心配だったことを覚えている。そこにはたぶん高圧電流が流れているに違いないと。>(p369)
<それなのに、高圧電流の流れる鉄条網に囲まれ・・・>(p371)
この表現は2重の意味で間違っている。一つは先に言った通り、「高圧電流」というものはないということ。もうひとつは、鉄条網に高圧の電圧はかかっているかもしれないが、常時はほとんど電流が流れていないということだ。電流は何かが鉄条網に触れたとき、そこから大地に向けて流れるのである。
次の箇所も気になる。
<重力というものは常に一定だと思うかもしれないが、そうではない。曲芸飛行や急降下をする場合-凧が砂浜に墜落する場合もー加わる重力は増し、通常の重さ以上になる。>(p423)
これは力学の初歩 F=ma を知っていれば間違いだと分かる。慣性力の方向を考えると、曲芸飛行はともかく、急降下する場合、減速している場合にのみ、慣性力と重力の方向がベクトル的に一致して、見かけの重さが増す。凧のように自由落下する場合には、重力と慣性力がキャンセルするため、無重力状態に近くなるのである。
著者はカバーに掲載されている紹介によれば、小型飛行機を操縦するのが趣味のようだが、こういった科学的な知識には疎いようなのは残念だ。
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※初出は、
「風竜胆の書評」です。