先般、「言語空間+備忘録当」と言うブログに的外れな当ブログへの批判が乗っていたので、「当ブログ記事への見当外れの批判」として、注意記事を書いたのだが、それに対して小怒りもなく、開き直りのような記事を書き、トラックバックまでしてきた。その記事の問題点を列挙してみよう。
「言語空間+備忘録当」氏は言う。
<私は、誤解していないと思います。「文理両道」さんの主張、すなわち「レンジを空間的時間的に広げれば、収入に対してはテクニカル的にフラットである」を言い換えると、「消費税の累進性・逆進性は問題にならない」になります。私は、「テクニカル的にフラットである」から「逆進性は問題にならない」という主張を批判しているにすぎません。>
しかし、ここに論理の飛躍がある。「テクニカル的にフラット」と書いてあるだけで、なぜ、直ちに「消費税の累進性・逆進性は問題にならない」という結論を勝手にもってくるのだろう。ここでは別に個々人のことについては述べていない。どうも理解力に乏しいようなので、少し詳しく説明すれば、単に、例えば日本全体で長い時間レンジで見れば、トータルの収入に対して、大体5%分はとられることになるでしょうと言っているだけだ。誰も、個人に対して逆進性がないなんて主張していないし、それが、「フラットだからいいと言っているわけではない」とわざわざ書いてあるのに、これに反することを私が主張していると言うのは、名誉毀損と言っても良いだろう。
「言語空間+備忘録当」氏は別の記事で更にこのようにも書いている。
< このように意見が「異なる」のはなぜなのか、考えてみました。
「省略」
これではないかと思います。>
つまりは、相手が省略するから自分が分からないと言う訳だ。しかし、これがおかしいことは、すぐ分かる。なぜなら、自分の理解力が足らないかもしれないという前提が全く抜けているからだ。人は、自分の知識・経験を超えたものは、理解するには相当の努力がいる。そこに人間が成長する余地があるのだ。それを考えないということは、自分を全知全能だとでも思っているのだろうか?
最後に、問題の記事には、こうも書かれていた。
< なお、「引用の範囲」については、「文理両道」さんの記事の書きかたからして、必要な部分のみを切り取ることが困難であるために、やむなく全文引用したものであり、とくに問題にはならないと思います。>
これも呆れたことだ。著作権法には、公正な慣行に従った引用は許されているが、適切な引用とは、「原則として一部」を使用することであり、全文掲載は引用とはいえない。「言語空間+備忘録当」氏は、単に開き直っているにすぎない。自分の能力の欠如と言う可能性を考えず、他人の文章に原因を転嫁すると言う、上記の「省略」と全く同じようなことをやっている。はっきり言おう。著作権法には、自分にその力がない場合には、全文掲載しても良いなんて言う規定はどこにもない。
おっと、ひとつ忘れていた。「言語空間+備忘録当」氏のおかげで、元の記事のミスプリが一つあるのに気がついた。ここはお礼を言っておこう。
(H22.10.31追記)
この記事を書いた後で気がついたことだが、「言語空間+備忘録当」氏は、私の書いていることが、小飼氏や池田氏の論争に対してのコメントであるということを理解していないのではないだろうか。消費税が逆進的だのフラットだのと言っていても、そんなテクニカルな事はもっと大事な事を片づけてからの話であると言っているだけであるというのは、以前述べた通りだ。更に、池田氏の主張に関しては、特定の個人で見ると、それがフラットというのは「モデルの絶対視」に過ぎないと言った批判まで書いているのに、どうして「言語空間+備忘録当」氏のような論理となるのか理解に苦しむ。私の記事をリンク先まで読んだ上で記事を書いているのだろうか。
また彼は、<「文理両道」さんの意見に対する批判として書いたものではなく、「文理両道」さんの記事を読み、実質的な逆進性について考察した結果として、新たな主張を加えたものです。>とも言いだしたが、記事内容からはとても批判を目的としたものではないようには見えない。さらに言えば、彼の主張していることは、既に小飼氏が主張していることとほぼ同じ(小飼氏の方がもっと深いが)で、別に新たな主張でも何でもない。新たな主張と言うからには、別の切り口から攻めるべきであり、これを見ても、彼がリンク先まで十分に咀嚼したうえで発言しているようには見えない。ここでは、池田氏と逆進的だフラットだと論争しているから、それをどう見るかはレンジの問題でしょうと言っているだけなのに、そこを自分の論調に会うように解釈したうえで、議論を進めるというのは、仮に百歩譲って、「批判ではない」としても、問題だろう。
(H22.10.31再追記)
書いてあることは、普通の理解力があれば分かると思うのだが、それはさておき、ブログを書いた本人が、これはこういう解釈だと言っているのに、それに従わないというのは、どうにも理解しかねる。
(H22.11.8再々追記)
今日も、捨て台詞のようなコメントを入れてきた。そこまで恥を曝したい気持ちが良く分からないのだが。私が上で書いているのは、明記されていることも理解できないようだから、わざわざ端的に説明しているのに、それでも分からないと言うのはどのような読解力・理解力を持っているのかが不思議だということである。一方、彼の書いていることは、まともな読解力を持っていれば、批判でないというのは言い訳にしか見えない。それを同列に考えるロジックの貧困さは理解に苦しむ。
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「言語空間+備忘録当」氏は言う。
<私は、誤解していないと思います。「文理両道」さんの主張、すなわち「レンジを空間的時間的に広げれば、収入に対してはテクニカル的にフラットである」を言い換えると、「消費税の累進性・逆進性は問題にならない」になります。私は、「テクニカル的にフラットである」から「逆進性は問題にならない」という主張を批判しているにすぎません。>
しかし、ここに論理の飛躍がある。「テクニカル的にフラット」と書いてあるだけで、なぜ、直ちに「消費税の累進性・逆進性は問題にならない」という結論を勝手にもってくるのだろう。ここでは別に個々人のことについては述べていない。どうも理解力に乏しいようなので、少し詳しく説明すれば、単に、例えば日本全体で長い時間レンジで見れば、トータルの収入に対して、大体5%分はとられることになるでしょうと言っているだけだ。誰も、個人に対して逆進性がないなんて主張していないし、それが、「フラットだからいいと言っているわけではない」とわざわざ書いてあるのに、これに反することを私が主張していると言うのは、名誉毀損と言っても良いだろう。
「言語空間+備忘録当」氏は別の記事で更にこのようにも書いている。
< このように意見が「異なる」のはなぜなのか、考えてみました。
「省略」
これではないかと思います。>
つまりは、相手が省略するから自分が分からないと言う訳だ。しかし、これがおかしいことは、すぐ分かる。なぜなら、自分の理解力が足らないかもしれないという前提が全く抜けているからだ。人は、自分の知識・経験を超えたものは、理解するには相当の努力がいる。そこに人間が成長する余地があるのだ。それを考えないということは、自分を全知全能だとでも思っているのだろうか?
最後に、問題の記事には、こうも書かれていた。
< なお、「引用の範囲」については、「文理両道」さんの記事の書きかたからして、必要な部分のみを切り取ることが困難であるために、やむなく全文引用したものであり、とくに問題にはならないと思います。>
これも呆れたことだ。著作権法には、公正な慣行に従った引用は許されているが、適切な引用とは、「原則として一部」を使用することであり、全文掲載は引用とはいえない。「言語空間+備忘録当」氏は、単に開き直っているにすぎない。自分の能力の欠如と言う可能性を考えず、他人の文章に原因を転嫁すると言う、上記の「省略」と全く同じようなことをやっている。はっきり言おう。著作権法には、自分にその力がない場合には、全文掲載しても良いなんて言う規定はどこにもない。
おっと、ひとつ忘れていた。「言語空間+備忘録当」氏のおかげで、元の記事のミスプリが一つあるのに気がついた。ここはお礼を言っておこう。
(H22.10.31追記)
この記事を書いた後で気がついたことだが、「言語空間+備忘録当」氏は、私の書いていることが、小飼氏や池田氏の論争に対してのコメントであるということを理解していないのではないだろうか。消費税が逆進的だのフラットだのと言っていても、そんなテクニカルな事はもっと大事な事を片づけてからの話であると言っているだけであるというのは、以前述べた通りだ。更に、池田氏の主張に関しては、特定の個人で見ると、それがフラットというのは「モデルの絶対視」に過ぎないと言った批判まで書いているのに、どうして「言語空間+備忘録当」氏のような論理となるのか理解に苦しむ。私の記事をリンク先まで読んだ上で記事を書いているのだろうか。
また彼は、<「文理両道」さんの意見に対する批判として書いたものではなく、「文理両道」さんの記事を読み、実質的な逆進性について考察した結果として、新たな主張を加えたものです。>とも言いだしたが、記事内容からはとても批判を目的としたものではないようには見えない。さらに言えば、彼の主張していることは、既に小飼氏が主張していることとほぼ同じ(小飼氏の方がもっと深いが)で、別に新たな主張でも何でもない。新たな主張と言うからには、別の切り口から攻めるべきであり、これを見ても、彼がリンク先まで十分に咀嚼したうえで発言しているようには見えない。ここでは、池田氏と逆進的だフラットだと論争しているから、それをどう見るかはレンジの問題でしょうと言っているだけなのに、そこを自分の論調に会うように解釈したうえで、議論を進めるというのは、仮に百歩譲って、「批判ではない」としても、問題だろう。
(H22.10.31再追記)
書いてあることは、普通の理解力があれば分かると思うのだが、それはさておき、ブログを書いた本人が、これはこういう解釈だと言っているのに、それに従わないというのは、どうにも理解しかねる。
(H22.11.8再々追記)
今日も、捨て台詞のようなコメントを入れてきた。そこまで恥を曝したい気持ちが良く分からないのだが。私が上で書いているのは、明記されていることも理解できないようだから、わざわざ端的に説明しているのに、それでも分からないと言うのはどのような読解力・理解力を持っているのかが不思議だということである。一方、彼の書いていることは、まともな読解力を持っていれば、批判でないというのは言い訳にしか見えない。それを同列に考えるロジックの貧困さは理解に苦しむ。
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