秋田大学通信教育の一般科学技術コースのうち「材料工学概論」の学習単位試験問題を近くのポストに投函してきた。これで合計12単位分。既に確定しているのが5単位。だから残り7単位のうち5単位を取れれば、合計10単位分になり修了要件を満たす。
しかし、7単位分は、まだどれも帰ってきていないので、どれだけ単位をとれるかは、シュレーディンガーの猫状態。あと出せるのは「機械工学概論」と「応用化学概論」だが、中間の報告課題もまだ出していない。あと半年強ほど在籍期間があるのでがんばってみるか。
秋田大学通信教育の一般科学技術コースのうち「材料工学概論」の学習単位試験問題を近くのポストに投函してきた。これで合計12単位分。既に確定しているのが5単位。だから残り7単位のうち5単位を取れれば、合計10単位分になり修了要件を満たす。
しかし、7単位分は、まだどれも帰ってきていないので、どれだけ単位をとれるかは、シュレーディンガーの猫状態。あと出せるのは「機械工学概論」と「応用化学概論」だが、中間の報告課題もまだ出していない。あと半年強ほど在籍期間があるのでがんばってみるか。
ある年代の人なら、原作者の阿佐田哲也という名前に懐かしさを感じるのではないか。麻雀の神様とも雀聖とも呼ばれた人だ。なお、阿佐田哲也というのは、麻雀小説を書く時の筆名で、純文学を書くときには色川武大という筆名を使っていた。直木賞なども受賞している。
賭け麻雀がばれて、大問題になった役人がいたが、、麻雀が男子大学生の必修科目であった時代、マルクスにかぶれていない人も、麻雀にはかぶれていた時代があったのだ。今ほど娯楽のなかった時代、麻雀は大学生の娯楽として普通だった。大学生は麻雀を知っていて当たり前だった。
私自身田舎の高校出身ということもあり、高校時代は麻雀のマの字も知らなかった。覚えたのは大学に入ってからである。そのころは、あまり一般的な役ではないもの、符の数え方などすべて頭に入っていた(もちろん、そんななかでも麻雀をやらない人もいたが。)。
本書は、同名の小説を原作としており、主人公は「坊や哲」という。明らかに阿佐田哲也自身がモデルなのだが、内容がどこまでフィクションなのかはよく分からない。戦後の混乱期、主人公は賭博の世界に入り、牌の積み込みなどを覚えていく。清水というガン牌の名人からガン牌を習得しようとするとき、清水は車にはねられてしまう。2巻はここで終わっている。
博打打ちなんて、今考えれば犯罪者以外の何物でもないが、あの時代、麻雀の強さだけでなく、昔の男子大学生にとっては、阿佐田哲也は一種のヒーローだったのだ。
☆☆☆☆
※初出は、「風竜胆の書評」です。
本書は自ら荒野のおおかみを自認するハリー・ハラ―という人物が間借りしていた部屋に残した手記とそこに記された「荒野のおおかみについての論文」が主な内容である。このハリー・ハラ―という主人公のイニシャルは作者のヘルマン・ヘッセと同じもので、巻末の訳者によるあとがきによれば、「50歳のヘッセを記念する仮借ない自己告白」(p276)だという。
訳者も指摘していなかったが、ヘッセの作品にはニーチェと仏教の影響が強いことは、以前指摘した通りである。この作品にもそんなところが垣間見える。
例えば、ニーチェ
「ハラ―は悩みの天才であること、ニーチェのよく言っていることばの意味で、天才的な、無際限な、恐ろしい苦悩の能力を養ったことを、私は知りました。」(p14)
二―チェは、「悲劇の誕生」において、理性的なものをアポロン的と呼び、本能的なものをディオニュソス的と呼んだ。もしかすると、ハリーの人間的な部分と本能的な部分をこの二つに例えているのかもしれない。しかし、ニーチェは悲劇をこの二つを統合するものとして考えた。そうすると荒野のおおかみにおいての悲劇とはなんだろう。確かに手記は悲劇的な終わり方をしていたが。
仏教については、次の記述に気が付いた。
「(前略)人間は百もの皮からできている玉ねぎである。たくさんの糸からできている織物である。古いアジア人はこのことを認識し、正確に知っていた。仏教のヨーガ(瑜伽)では、個性という錯覚を取り除くための正確な技術を発見した。(後略)」(p73)
このような記述もある。
「(前略)仏陀を解する人間、人間性の中の天国と深淵とをほのかに感じる人間は、常識や民主主義や市民的教養の支配する世界に生きるべきではないだろう。(後略)」(p79)
実は、この作品は、専業学生のころ一度読んだことがある。その時はそうは思わなかったのだが、今回読み直してみて、かなり病的な文章ということを感じた。とにかく何が言いたいのかよく分からないのだ。
その頃はこんな言葉はなかったのだが、今はぴったりの言葉がある。それは「厨二病」という言葉だ。なにしろ自分のことを「荒野のおおかみ」なんて呼ぶこと自体、かなりの重症だろう。
☆☆☆
※初出は、「風竜胆の書評」です。
本書の原作は至道流星さんによるラノベで、これまで3人の漫画家によりコミカライズされている。一人目は川村一真さんという人で、星海社のウェブサイトに連載されていたらしい。
二人目は「舞-HiME」などで知られる佐藤健悦さん。「チャンピオンRED いちご」に連載されていた。現在吉野弘幸さんの原作で「神呪のネクタール」を「チャンピオンRED」に連載している。
そしてこの荒木宰さんが3人目ということになる。「ヤングマガジンサード」に連載されていたものだ。
ヒロインは高校2年の神楽日毬という超絶美少女。グラビアアイドルをやっているが、普通のアイドルとは一味も二味も違う。なにしろその思想はバリバリの右翼。なにしろ
「真正なる右翼は日本に私ただ一人である!!」
なんて街頭演説をするくらいなのだ。アイドルをやっているのも、自分の主張を聞いてもらうためには、メディアへの露出が不可欠だと思っているからだ。
だから日本史の教師とは良く衝突している。歴史観が全くかみ合わないのだ。
しかし教師の中にも熱心なファンがいる。例えば、地歴科の橋本という年配の教師だ。心の中では「ひまりん」と呼んで応援している。ただ残念なことに、彼はマルクスの大ファン。つまり思想的にはかなり左ということだ。思想的には左なのに、右翼のひまりの大ファン。いっそのことマルクスはマルクスでも、喜劇映画のマルクス兄弟だったらどれほどよかっただろうと思っている。
可愛そうなのは、斎藤というクラスメートの少年。実際は斎藤ではないらしいのだが、日毬が間違って斎藤と呼んだことから、すっかり定着してしまった。本名は出てこないので分からないのだが、もう斎藤でもいいや。
まあ、思想的にはちょっとアレだが、笑えるところも多い。一読すれば、以外に可愛らしいところのある美少女日毬にすっかり夢中になるだろう。
☆☆☆☆
※初出は、「風竜胆の書評」です。
本書は、副題に「桜庭一樹奇譚集」と名付けられている短編集であり、6つの話が収められている。収められているのは次の6篇であり、話間の繋がりはない。
・モコ&猫
大学で出会ったぼくとモコとの物語。しかし、いくら色が黒くて、美人でないとしても、女の子に「胡麻油の、瓶に似てますね」(p9)なんて言うか?
・このたびはとんだことで
表題作だが、短い。女の情念を感じるような話。
・青年のための推理クラブ
タイトルから分かるように、桜庭さんの作品、「青年のための読書クラブ」と関係がある話。巻末の解説によればこの作品の冒頭を飾る予定だったが、話の流れが変わったので浮いてしまったとのことだ。礼拝堂からマリア像を持ち出したのは誰かをクラブの面々が推理するというもの。
・冬の牡丹
山田牡丹は32歳の派遣社員。牡丹と大家の老人田沼慎との話。牡丹は昔は優等生だったが、27歳の時に就職した会社を退職し、今は派遣会社に登録している。次の科白は、慎が牡丹に言ったものだ。
「おまえ知らないの、最近の婆さんは、爺さん、ナンパするんだぜ。こっちが相手選ばねぇと思ってる。年を取るほど強気だぜ。(後略)」(p141)
そうなのか?
・五月雨
一言で言えば、バンパイアとバンパイアハンターの物語。それにしても、中国山地の奥にバンパイアの一族が住んでいるのか。ヒバゴンならいるかもしれないが。
・赤い犬花
収録作の中で一番長い作品。短編というよりは、中編と言った方が相応しいだろう。母親とその再婚相手がもめて、その息子の床田太一は、義理の父の実家に預けられた。そこでユキノという少女と出会う。太一がそこに滞在した1週間の間の奇妙な出来事。以外などんでん返しもある。
この中で桜庭さんらしさが一番出ていると思うのは最初の「モコ&猫」だ。とにかく桜庭さんらしくヘンなのである。一番長い「赤い犬花」も100ページちょっとなので、あまり長い話を読む時間がない人に勧めたい。
☆☆☆☆
※初出は、「風竜胆の書評」です。
一言で言えば、作者の得意な、アホ京大生の出てくる話だ。作品中に大学名は明記されていたかったと思うが、書かれていることから、明らかに京大である。主人公の学部もはっきり出てこなかったと思うが、wikipediaによれば農学部の3回生らしい。
収録されているのは、四つの物語。それぞれ、新入生で入った時に押し付けられたビラのうち興味を引かれたところに入ったらどうなっていたかというものだ。まあ、1種のパラレルワールドものと言えるのだが、共通部分が結構あることから、口の悪い人はコピー小説とも呼ぶ。
例えば第1話「四畳半恋ノ邪魔者」は、映画サークル「みそぎ」に入った場合はどうなるかである。この話では、サークルの部長である城ケ崎やその腰巾着の相島とそりが合わず、主人公の腐れ縁の電気電子学科の同回生である小津とサークルを自主追放され、その復讐をするという話だ。
第2話「四畳半自虐的代理代理戦争」では、樋口師匠に弟子入りしたらどうなるかである。ちなみに樋口というのは小津の師匠だ。「えっ、何の師匠かって?」 それはよく分からない。ただ第1話では樋口は下賀茂神社の御祭神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と名乗っているが、2話目からはそれが無くなっていたので、普通の人に格下げになったようだ。
第3話「四畳半の甘い生活」では、主人公と小津はソフトボールサークル「ほんわか」に入る。実はこのサークル、大学に結構ある(あった?)変な宗教系のサークルだった。
そして最終話の第4話「八十日間四畳半一周」は、秘密組織<福猫飯店>に入った場合の物語だ。ここではパラレルワールドものということが強調される。何しろ主人公が住んでいる四畳半を出ようとしても別の四畳半が広がっているのだ。
主な登場人物は下鴨幽明荘に住む主人公とその友人の小津。主人公が恋する黒髪の乙女・明石さん、そして小津の師匠の樋口氏とその友人で歯科衛生士の羽貫さん。城ケ崎氏とそのラブドール香織さん。そして城ケ崎の腰巾着になったり、クーデターを起こしたりと忙しい相島。
どのストーりーでも共通なのは明石さんが蛾が苦手で(どのくらい苦手かというと、蛾の大群をみて「ぎょええええ」とマンガのような悲鳴を上げるくらいだ)、それをきっかけに主人公との恋が成就するということ、そして主人公の部屋が樋口からの部屋の浸水で書籍やパソコンのデータが被害を受けること。小津が鴨川に落ちて骨折することなど。
しかし、小津の所属が電気電子工学科というのは時代を感じるなあ。私たちのころは、電気系というくくりで電気工学科、電気工学第二学科、電子工学科と一括募集していた。
さすがに、こんなアホな京大生はいなかった(いやいたかな・・)ような。この〇回生という言い方には、懐かしさを感じる。関西では〇年生ではなく〇回生ということを、大学に入って初めて知り、自分も〇回生となってうれしかったのを思い出す。
☆☆☆☆
※初出は「風竜胆の書評」です。
秋田大学通信教育「資源開発工学概論」の学習単位試験問題をファミマ宇品西店前のポストに投函してきた。これで終了に必要な10単位分だがまだ5単位分しか返っていない。念のために現在「材料工学概論」の学習単位試験問題(2単位分)を作成中だ。
本書で扱われるのは、戦時中の因縁に繋がる事件だ。永遠の33歳である光彦が34歳になって、これまでの事件で出会ったヒロインたちから上巻でお誕生会をしてもらい、「平家伝説殺人事件」に出てきた、稲田佐和と再会する。稲田佐和との愛は、殆ど婚約寸前までいったのに、内田センセイの大人の都合でなかったことにされた。
この下巻では、飛行機嫌いの光彦が、なんと飛行機に乗ってドイツに行く。そこで出会った兄の陽一郎が関係する過去の因縁。これまで光彦は、国内で飛行機に乗ったことはあったし、船で外国に行ったことはあったが、私の記憶にある限りは、たぶんこれが飛行機で外国に行った初めての体験だ。そしてこの事件には兄の陽一郎だけではなく、祖父の陽介も絡んできている。キーワードは、「ヒトラーユーゲント」と「退廃芸術」。
やはり、光彦にとって、稲田佐和は特別なようで、この巻では佐和のことを考えていることが多いし、神戸で就職した佐和とデートしたりしている。他のヒロインも本作には出ているし、他の事件では佐和のことは全く出てこなかったにも関わらずだ。これはもしかすると、「焼け木杭に火が付いた」というやつだろうか。2人の今後ははっきりとは書かれていないが、どうも光彦は佐和との結婚を意識しているようだ。次の光彦と母の雪江との会話を見て欲しい。
「そう、それなら安心ね。でも佐和さんは神戸の会社に入ったばかりって書いてありましたよ。そんなに急にお辞めになるわけにもいかないと思うけど、どうなさるおつもりかしら?」「それも心配無用です。いざとなったら、僕が神戸に住めばいいんですから」(p329)
なぜか「年貢の納め時」という言葉が浮かんだが、順調に外堀が埋められているようだ(笑) 光彦より一回り以上も年下の佐和のこと、結婚したら可愛くって仕方がないと思う。内田センセイも、いったんは大人の都合から光彦と佐和の中はないことにされたが、やはり心にはひっかかっていたんだろう。
最後に、細かいことだが、わらび餅について異論がある。
「(前略)昔はこの辺りの山にもわらびが出ましてね。子供の頃は母親と摘みに来て。わらび餅を作ってもらったものです。(後略)」(PP259-260)
内田さんはわらび餅は、摘んだわらびから作ると思っている節があるが、あれはわらびの根から採れるデンプンから作るもの。そしてデンプンの採れる量は少ないので、普通は家ではわらび餅にはせず、山菜として食べると思う。実は私の故郷はわらびが沢山取れて、私も子供のころ摘んだ覚えがあるが、わらび餅にするというのは聞いたことがない。蓬餅じゃないんだから。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。
さっき、秋田大学の通信教育「電気電子工学概論」の学習単位認定試験問題を近くのポストに投函してきた。まだ4月の初めに出した「土木環境工学概論」の結果が帰ってきていないが、全部単位をとれたとして9単位目である。修了要件は10単位。まだ最終が12月なので、なんとか修了できそうだ。
本書の主な登場人物は二人。「絡新婦の理」に出てきた、呉美由紀と京極堂・中禅寺秋彦の妹で中禅寺敦子。 美由紀は、「絡新婦の理」での事件のあと、別の学校に転校していたが、そこでの1学年上の友人片倉ハル子は、「片倉の女は代々刀で斬り殺される運命にある」と恐れていた。そして、その言葉通り、最後の7人目の被害者として切り殺される。
扱われるのは昭和の辻斬り事件と呼ばれるもの。次々に犯人とされた宇野憲一だが、実は色々と疑問点があった。最後に思わぬ辻斬りの犯人が明らかになる。
出てくるのは鬼の刀。ここでの鬼とは、新選組鬼の副長と呼ばれた土方俊三のことである。(いやそれは二つ名で、妖怪の鬼ではないだろうというツッコミはなしで(笑))
このシリーズは昨年3か月連続で出版社を変えて出たものの最初の1冊である。ちなみに他の出版社とは角川、新潮社で、それぞれ「河童」、「天狗」というタイトルが付けられている。
知らなかったが、「京極堂シリーズ」もいつの間にか「百鬼夜行シリーズ」に組み込まれて、あの凶器になりそうな厚さから一転普通の文庫本の厚さになっている。だから読むときの苦労を考えれば、大分楽になっているが、その分京極堂も榎木津礼二郎も直接は出てこない(間接的には話の中で出てくる)ので、それを期待している人にはちょっと物足らないかもしれない。
それにしても「鵺の碑」はどうなったんだろう。
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※初出は、「風竜胆の書評」です。