文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

消費税は消費を促進させるか

2009-10-18 11:27:21 | 経済学
 池田信夫がアゴラに書いた「消費税の段階的増税を - 池田信夫」という記事に対して、小飼弾氏が彼のブログで「ワープアのあなたが消費税アップに断固反対するべき理由」として反論している。

 池田氏は「消費増税は消費を促進する効果がある」と述べ、その根拠として、1997年の消費税増税前後の例をあげ、消費税が増税されても、しばらくすると消費が通常の値に戻っていることを指摘している。

 しかし、これは乱暴な議論と言わざるを得ない。経済のような複雑なシステムには多くの変数やパラメータがあるはずだ。だから、単純にこのグラフだけ見て、消費増税が消費に影響が無いとは言えない。グラフはあくまで結果を示しているだけで、そこにどのような因果関係が潜んでいるかまでは、証明されていないのではないか。ましてや、「消費を促進する」という根拠にはならない。

 また、このときの消費増税がこのときは消費税の上げ幅は2%であった。しかし、税率3%から2%あがって5%となった場合の人間心理と、例えば税率が10%から12%になった場合の消費に関する人間心理は同じなのだろうか。また、税率5%と税率15%の人間心理の違いはどうなのだろう。池田氏は、最近人間心理を経済学に応用した「行動経済学」について引き合いに出されることが多い割には、そのあたりの分析が抜けているのではないかと思う。

 一方小飼氏が主張している「所得税の逆進性が、消費性向に由来していることまでは指摘していない。」については、もっと分かり易く、翻訳してみると、「消費税は消費に比例してかかる。だから、消費性向の高いものほど、所得に対して多くの消費税を払っている。消費性向の高い者は、一般に所得が低い。よって、所得の高いものと、所得の低いものの間には、消費性向に差によって所得税の逆進性が生じる。」といったことだろう。小飼氏は、このことが指摘されていないと言っているのだが、あまりに当たり前のことなので、いちいち書いていないだけだろう。

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経済学はシステム工学の一分野では

2009-05-24 19:40:42 | 経済学
 私は元々工学系の人間だが、趣味で経済学関係の本を読むことも多い。また、放送大学で経済関係の科目を勉強したりもしている。常々思うのは、経済学というのは、システム工学の一分野ではないかということである。

 試しに、Wikipediaでシステム工学の定義を調べてみると、<システムの設計、制御、および効率などを研究する学問(工学)>とある。そして、システムの定義は、<機能が異なる複数の要素が密接に関係しあうことで、全体として多くの機能を発揮する集合体>とされている。

 次に経済学の定義を同じくWikipediaで調べてみると<有限な資源から、いかに価値を生産し分配していくかを研究する学問>だそうだ。

 一見かなり違っているように見えるが、実はシステム工学の扱う領域というのはやたら幅広く、社会システムもその守備領域に入る。そして、<設計、制御、および効率>という部分を<いかに価値を生産し分配していくか>というように解釈すれば、まさにどんぴしゃりでである。

 いっそ経済学は、システム工学の一分野として大学で教えてはどうだろう。こんなことを言うのも、経済学の分野では、イデオロギーが先に立ち、ある経済モデルを万能だと主張し、モデルの適用範囲があるということを考えず、モデルから外れたような現象があると鬼の首を取ったようにモデルの欠陥だとあげつらうような風潮があるような気がするからだ。工学系の人間は、モデルには適用できる範囲というものがあり、その範囲外のところは、モデルと合致しなくなっても不思議ではないことを十分承知している。

 更に、現代の経済学は数学が必須である。しかし、昨今は経済学部の入試に数学の試験がないところも多いと聞く。これを工学の一分野と位置付ければ、まさか数学が分からない(程度の問題はあるが)という学生は入っては来ないだろう。教える方も効率が良いのではないだろうか。

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モラルハザードということ

2009-04-27 18:21:35 | 経済学
 池田信夫氏が「アゴラ」の「よみがえる社会主義」という記事で述べた「モラルハザード」と言うことについて小倉秀夫氏が彼のブログの「モラルハザード」という記事で批判していた。


 池田氏はこう言っている。
<モラルハザードとは「行動のコストを負担しないで自己の利益を追求すること」です。たとえば派遣村に集まった浮浪者に役所が無差別に生活保護を与えることはマスコミに賞賛されるが、そのコストは税金だから広く分散されて見えない。このように個別の(事後的な)利益が見えやすく、全体の不利益が見えにくい構造は公共的意思決定にはありがちです。>

 これに対して小倉氏は、モラルハザードとは、コストの話ではなくリスクの話として、次のように書いている。
<モラルハザードというのは,例えば,妻の実家から莫大な遺産を受け継いだために仮に失業しても経済的に困らない人が,そのような遺産等の支えがない人であれば自らが長期的に失業することになった場合のことを考えて現在の失業者に対して失業給付や生活保護等の名目で給付することに賛成するであろう公的資金についても,その給付に反対するような場合をいうというべきでしょう。>

 モラルハザードとは、経済学の定義では、プリンシパル(依頼人)とエージェント(代理人)の関係において、情報の非対称性のために、エージェントがプリンシパルの利益に反する行動をとることを言う。たとえば、株主が取締役を監視できないので、取締役が株主の利益に反するような行為をすると言ったようなことだ。

 この観点から、両者の意見を比べてみよう。まず池田氏の意見である。例えば、役所が納税者からの監視が十分でないことをいいことに、いい加減な審査をして、もらえるべき人がもらえなかったり、本来はもらうべきでない人までもらっているというのなら「モラルハザード」であろう。役所のモラルハザードとしては、年金問題が典型的な例であると思う。また、生活保護というセーフティネットがあるために、働けるのに働こうとしない者が出てくるのなら、これもモラルハザードといえよう。しかし、単に緊急避難的に無差別に生活保護を与えること自体は、納税者と役所の関係においても、役所と生活保護を受ける人との関係においてもただちにこれを、モラルハザードと呼ぶことは適当ではないと思う。一つ一つの行為は賞賛されても、トータルすると全体の不利益になるということを言いたいのなら、「合成の誤謬」といった方がふさわしいかもしれない。

 次に、小倉氏の意見だが、これもその人が利己的であるとは言えるが、上の定義に照らしてみれば、遺産等の支えがない人とプリンシパルーエージェントの関係が特にあるわけではないので、「モラルハザード」とは呼べないだろう。

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基礎とモデル

2009-03-27 14:01:27 | 経済学
 池田信夫氏のブログを読むとよく分からない部分があった。氏のブログ記事「思考する言語」から引用してみよう。尚この記事は、ピンカーと言う人の本の訳書に対する氏の感想を書いたもののようだ。

<生成文法や新古典派経済学のような疑似科学がアカデミズムで主流だったのは、その数学的に整った体系が、大学や学界のヒエラルキー構造を維持する上で便利だったからだが、社会科学が数学や物理学をモデルにするのはおかしい。社会の要素は人間なのだから、今後の社会科学の基礎は脳科学や心理学だろう。>

 まず、数学的に整った体系が、なぜ大学や学会のヒエラルキー構造をを維持する上で便利だったというのだろう。仮にそうだとすると、最もヒエラルキー構造が顕著なのは、理工系の分野のはずである。しかし、理工系は人文科学系や社会科学系に比べヒエラルキーはそれほど堅固ではない。理論が数学的に体系だっていることと人間組織がヒエラルキー構造になっていることとの間には、なんら論理的な関係は見出せない。

 次に数学はモデルにしているというよりは、思考を他の者に正確に伝えるための道具として使用しているのだろう。数式で書けば1行で書けることを言葉で書けば冗長になるだけでなく不正確にもなる。<今後の社会科学の基礎は脳科学や心理学だろう>と言っても、この二つだけを基礎に社会科学が展開できるわけではない。脳科学がどのように社会科学の基礎となるのかはよく分からないが、社会科学で人間を基礎に置くのは当然のことだ。しかし、何らかの社会科学のモデルを考えた場合、それを厳密に記述するのには数学ほど便利なものはない。その意味で、社会科学での、基礎としての数学の素養の必要性は少なくともこれまでより少なくなることはないだろう。

 更に、仮に社会科学の基礎が脳科学や心理学になったとしても、それとモデルをどのようにつくるかとの間には論理的な関係はない。脳科学や心理学を基礎にしても、物理学のような秩序だった体系をつくることは可能性としては否定できないだろう。基礎にするということとモデルにするということはレイヤーが違うと思うのだが。

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解雇自由で労働生産性はあがるのか

2009-02-18 20:12:33 | 経済学
 今日も、池田信夫氏が彼のブログ記事「北欧モデル」で労働市場の自由化を述べている。

 <北欧の労働生産性が高いのは、解雇自由で労働移動がすみやかなことが原因といわれているが、このモデルに普遍性があるかどうかはわからない>と述べながら、結局は、<北欧型の積極的労働政策には学ぶべき点が多い。解雇自由にする代わりに、職業訓練などによって労働移動を円滑にする制度を、労組や政府ではなくビジネスベースで実現するしくみが必要だろう。>と括っている。

 しかし、私には現実を全く見ていない空論に思えてならない。解雇自由となれば、不況期には巷は失業者であふれるのではないか。それがまた不況を加速するといった負のスパイラルに陥りはしないか。そんな状況下で、職業訓練などで本当に労働移動が円滑になるのか?仮に次の職が見つかったとしても、労働者の処遇は一層悪くなり、それが新しい職に就くたびに加速するようなことはないのか。

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理工系人にとって経済学は趣味として最適では

2009-02-15 11:22:06 | 経済学
 私は元々工学系を専門とする人間だが、趣味で放送大学などで経済学系の勉強もしてきた。常々思うのだが、経済学というのは、理工系を専門とする人間の趣味としては最適ではないだろうか。特に定年後などの知的な趣味としてもいいのではないかと思う。

 現代の経済学というのは、結構数学をつかう。数学を使って物事を理解し解析するのは、元々理工系の得意とするところだ。だから海外には、理工系出身の経済学者も結構いる。わが国でも野口 悠紀雄氏が工学部出身だというのは良く知られた話である。また我が国で一番ノーベル経済学賞に近いと言われている宇沢弘文氏も理学部出身である。

 理工系の学問と違い、経済学の勉強は、実験装置も要らず、本と紙と鉛筆があればできる。一番の魅力は、適当なことを言っても、責任を取らなくてもいいということだ(笑)。理工系の人間は、例えば設計で寸法が1mm間違っても、安全上の問題などで責任を問われる可能性がある。たとえ第3者的な立場であろうが、変なことを言えば、非難轟々は明らかだ。しかるに、経済系では、実験で検証できないせいもあり、色々な人間がそれぞれ好き勝手なことを言っても大丈夫である。まさに理工系の人間の、仕事の重圧から解き放たれた定年後の知的な趣味として最適ではないだろうか。

 私がこんなことを書くのも、どうも経済関係の学者の書くブログを読んでいるとイデオロギーが先に立って、実証的な態度が抜けているような気がするからである。マル経なんてのはその最たるものであるが、そうでなくても○○主義だとか△△派だとか言った表現が目につくのは、理工系の分野ではまず考えられない。彼らに任せておくと、日本が変な方にミスリードされないかと不安である。それを防ぐためには、理工系の素養のあるものが、ニュートラルな立場からもっと経済の分野で物を言っていかなければならない。でも、残念ながら在職中には時間がない。そこで、定年後に趣味として経済学をやることを勧めるのである。

 例えば、経済学者のひとりである池田信夫氏は自分のブログで積極的に経済に関する自らの意見を発表している。これに対して、小倉秀夫氏などは彼のブログで、新自由主義的な論調だと批判している。確かに池田氏の主張はどこかイデオロギーが先行している様に感じ、いわゆる経済の専門家でない者から見ても納得しかねることを言っていることも多い。池田氏は、こんな場合、相手を経済学を知らない素人として見下したような論調で批判することが多いように見受けられるが、経済学というのは、何らかのモデルを選択して議論しているだけにすぎないものであり、それが現実を範囲的にも期間的にもどの程度まで説明できるかは誰にも言えないだろう。これが、物理学などと違う、経済学の大きな弱みでもあると同時に、おいしい点でもあると思う。

 そういえば、池田氏は、「経済学者のコンセンサス」で面白いことを言っている。Mankiw's blogを引きあいに出して、<「経済学者が3人いたら意見は4つある」などといわれたのは昔の話で、現在はかなり広範な合意が成立している。>と主張しているのだが、経済学の領域では、多数決で正しいかどうかを判断するのだろうか。他の学問の分野では多数派が必ずしも正しくないというのは、何度も繰り返されて証明されてきたことだと思うのだが。


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雇用流動化で失業率は下がる?

2009-02-11 21:59:19 | 経済学
 最近池田信夫氏あたりが、雇用の流動化を盛んにブログで主張している。

 今日は時間がないので手短に言おう。結局、主張していることは、正社員を増やすというより、みんな派遣社員化してしまえということに等しいのではないのか。
それで見かけの数字はよくなったとしても実質はどうなるんだろう。

 まずは「隗より始めよ」で、ぜひ大学教員で実験して見て欲しいものであるが。

 Recently Nobuo Ikeda, one of the so-called α-bloggers in Japan , is
insisting on the mobility of employment on his popular blog.

Today I'll be brief because there is no time. After all, what he says is not increasing full-time staffs but making all employees temporary staffs. It might get down the unemployment rate superficially.But what will be the actual situation?

"You should begin first!", Pleae experiment that in the Univercity teacher's world.


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誤解を招く企業の内部留保と言う言葉

2009-01-10 11:04:21 | 経済学
 最近のニュースでは、非正規労働者の雇用問題に関連して、企業の何兆円もの内部留保がやりだまにあげられることが多い。

 たしかに、雇用を継続できる能力のある企業は、景気を支えるために、できる限りの雇用確保をすることが社会的責任であろう。

 ただ、気になるのは、この「内部留保」という言葉が正しく伝わっているかということである。どうも「内部留保」というと、企業がお金を銀行や金庫にそのぶんだけお金をため込んでいるというように思っている人が多いのではないかと思う。

 実は「内部留保」=「ため込んでいる現金」ではない。簿記を少し勉強すれば分かることだが、内部留保とは、企業が保有している土地や建物・設備を買ったり製品を作るためのお金の出どころのひとつにすぎない。企業は設備投資や製品を製造するためのお金を集めるためには、借金するか、増資して株式を発行するか、企業活動によって出た利益(内部留保)をつぎ込むかである。

 だから、内部留保は、現金の形である場合もあるが、土地や建物・設備あるいは製品などに既に変わってしまっている場合も多い。そして、今のご時世では、このような資産は、いつ評価損を出さなければならないかもしれない。そうすると次の会計年度には、本来の企業活動の成績に関わらず、利益が減り、内部留保自体も減ってしまうリスクがあるのだ。更には、企業は運転資金として、ある程度の現金を保有しておく必要もある。それらをすべて考慮しながら、余裕のある企業は当然社会の公器としての役割を果たすべきであろう。しかし、そのあたりの情報は十分伝わっているとは言い難い。

 マスコミは、もっとこのあたりに踏み込んで、国民に正しい情報を与えていかないと、有益な世論の形成につながらないのではないだろうか。


製造業の派遣雇用、衆院予算委で論戦…首相と経財相が答弁(読売新聞) - goo ニュース

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厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)
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「競争的な労働市場」は有効な処方箋か

2009-01-03 14:53:03 | 経済学
 池田信夫氏のブログ記事「奴隷制の効率性」で彼は、<理論的には、雇用問題を解決する最善の方法は、人的資本の売買を合法化すること>だが、それは政治的にできないので、事前の策として、<競争的な労働市場を作り出すこと>を提案している。

 彼は、<技術がモジュール化されて資本と労働の補完性(資産特殊性)がなくなり、労働者の外部オプションが内部労働市場と同じになれば、労働者の交渉力は資本家と同じになり>と主張しているが、果たしてそうなのだろうか。

 技術がモジュール化されるというのは、内部の特定の技能を持ったものでなくても、誰でもその技術が扱えるということであろう。しかし、それは、企業側に言わせれば、別に誰でもよいということであり、そこに、対等の交渉力が生まれるとは思えない。労働者のほとんどは、野球の3割打者のような交渉力はないのである。


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「技術が上がれば労働需要が減る」:404 Blog Not Found


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経済学だけで日本は成り立たない 「池田信夫 blog「プロジェクトX」という錯覚」への批判

2008-12-04 21:41:07 | 経済学
 「池田信夫 blog」、最近はスルーしていたのだが、12月2日付で出ていた[「プロジェクトX」という錯覚]という記事には少し言っておきたいことがある。

 彼は、<「プロジェクトX」に描かれているのは、日本経済をだめにした局所最適化の錯覚なのだ>と書いている。いかにも、経済学者が,頭の中でしか考えなさそうなことである。

 別に番組のことを擁護しているわけではない。私も、この番組自体はそれほど見ていない。(中島みゆきのテーマソングは好きだが)しかし、考えてみるといい。日本は、科学技術なくしては生きられない国である。資源のほとんどない我が国が、世界の主要国の一環を占めていられるのも、科学技術の基盤があってこそである。元プロデューサーがどうしたという話や番組のつくりに対する評価はさておき、この科学技術の基盤を作ってきた先人たちの苦労を十把一絡げに「錯覚」であるとは、無知もはななだしい。大きなプロジェクトには、新しい技術開発がつきものであり、開発された技術は、色々なところで役に立ち、国を豊かにしていくのである。たとえば、かって、飛行機中心の戦闘という、時代の波に乗り遅れ、あっけなく沈んでしまった戦艦大和も、池田氏に言わせれば、「局所最適」の最たるものと一刀両断されてしまうのであろう。しかし、大和で培われた技術は、戦後の日本の復興に大きく寄与しているのである。

 もちろん、すべてのプロジェクトがそうとは限らないのは当たり前の話だが、彼のように、あの番組で取り上げられたものがすべて「局所最適化の錯覚」と一刀両断するのは、あまりに乱暴ではないだろうか。

 彼は、プロジェクトXのポスターに出ている<ヘルメットのおじさんのような労働者>を、<「できるかできないか一切考えない。ただやる。無我だ。真っ白だ。突撃だ」という、くさいナレーションが「効く」のだろう>とバカにしているが、果たして、日本に本当に必要なのは、科学技術を支える技能者か、それとも空論をもてあそぶ経済学者なのだろうか。


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