文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
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スポーツ選手は国家を背負っているのか(石原都知事発言に思う)

2010-02-26 20:10:02 | オピニオン
 今、世間は、バンクーバーオリンピックで湧いている。もっとも、私は、全くオリンピックには興味がないので、家族がテレビを観ているのが目に入るか、新聞の見出しを目にする程度なのだが。

 しかし、今日のgooニュースに、ちょっと気になる記事が載っていた。石原都知事「銅メダルで狂喜する、こんな馬鹿な国ない」という短い記事だ。石原東京都知事が、オリンピックでの日本選手に対する国内の反応について、報道陣に、「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ」と言ったようだ。

 また、知事は、東京マラソン関連式典のあいさつでも同五輪に触れて、「国家という重いものを背負わない人間が速く走れるわけがない、高く跳べるわけない。いい成績を出せるわけがない」とも述べたという。

 これを聞いて、今が21世紀だということを一瞬疑ってしまった。いったい都知事の時間はいつの時代に留まっているのだろう。あたかも、石原氏の周りの時間だけ、国威高揚のためにスポーツが利用された時代のようだ。アインシュタインの相対性理論によれば、時間はそれぞれ相対的なもので、動く時計は遅れるということが導かれるが、石原氏の時計はどの位遅れているのだろう。

 オリンピックに限らず、マラソンにしても他のスポーツにしても、出場する選手は好きでやっているだけである。いわば趣味なのだ。別に国のためにやっているわけではない。それを好きな人は応援すればいいし、興味のない人は無視すればよいだけだ。それが、近代国家としての当然のあり様だろう。

 そもそも、国と言うものは、一スポーツ選手が背負えるようなものではないし、単なるスポーツ選手に背負わして良いものでもない。石原氏の発言を聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、東京オリンピックで銅メダルに輝いた円谷選手の悲劇である。ピンクピクルスと言う女性デュオが、この円谷選手のことを歌った「1人の道」という曲があるが、石原氏はこの曲を聞いたことがあるだろうか。重圧に押しつぶされてしまった選手の心を歌った詩に、私などは涙がでそうになる。

 オリンピックもその他のスポーツ大会も、しょせんは同好の士たちのお祭り。そう思って、ただ楽しめば良いのだ。

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コメント (3)
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